dain さんのブログ

スマッシュ(途中)

 鳥のように大空を自由に飛び回ることも、手のひらからオレンジ色のビームを出すこともできないと、人は何時頃気づくのだろう。成長するにしたがって、眼前の世界からそれらの魅力的な色彩が色褪せていくことを、いつのまにか当然のように受け止め、そうすることでなんとか生きながらえている。
そんな状態について誰に不満を言うわけにもいかず、というよりもむしろ、不満というほどの明確な形になってないこのぼんやりとした感情が、ひょっとしたら自分の生活の大半を占めてるんじゃないか、最近そんなふうに考えてばかりいる。

眠たいけれど、すきまだらけど、何とか。

 話を続けたい。
 この世界の話を、である。
 大陸中央部に点在する都市部の老人たちは、今でも茶飲み話に語ることがある。
「昔は、虹のような時代だっての」
 その表情は過ぎ去った自分たちの青春時代を懐かしむようであり、また、自分たちがすでに不必要な存在であるということを無言のうちに伝えてくる社会に対する、強がりにもとれる。
 昔、といってもまだ老人達が若年であった程度の時代、この世界を席巻していたのは、魔法といういわば奇跡的な、「虹のような」力であった。

三月の5日間にたどり着くまで

 別にひとくくりの解釈にも本の裏書や解説に縛られる必要もないのだけれど、とりあえずはこの作品をそう規定してもいいかもしれない。つまり、戦争という現実について現実感を持てない日本人の現在の状態やその中での抵抗や生き方の有様について、ということだが、けだしこの正常と私たちには感じられるーがそれはどれほどの普遍性を持つのか疑わしいーこの感覚に至るまで、どのような歩みを経て、私たちの思考は
あるいは感覚は変遷してきたのか、思いを巡らせてみたいという気持ちになった。

これはなんだろう

 おもいつくままに書いてみた。ガン患者とその友人の会話のつもりです。

「まあ、よかったね、結局。終わって」
「一応ね。でもまあ、全快じゃないから」
「あぁ、うん。でもいいじゃん、成功はしたんだし」
「そうだけどね。まあ、確かに」
「え、なんか、どうなの。今の、気分とかさ。初めてだったでしょ」
「うーん。まあすっきりしたっていうかね。いらないものとったから。軽くなった」
「あー」
「経験してみたらわかるけどね。すがすがしいし、調子いいよ」

契約恋愛3

 自分でもわからない、いらだちとも焦燥感ともつかない、不思議な感情に、ずっと四苦八苦していた。無理して頼んだアイスコーヒーが、汗をかいてテーブルに滴り落ちている。
 目の前にいる相手に、確かに、昔のある時期、特別な感情を抱いたはずなのだが。高校を卒業して以来だから、2年と5ヶ月ぶりの再会は、なんだかよくわからない苦しさしか、感じられない。この感情が相手に伝わらないようにと祈りながら、なんとか言葉を続けている。

ひとりでごはん

 メシにも、本気のメシとそうでないメシがある。
 人生80年時代、一日三食たべるとすると、1年間で1095食。それを80倍すると87600回、人間はメシをくわなきゃならない。
 それだけの数をこなすには、いつもいつも本気でかかっていては身が持たない。必然、腹ふさぎというか、その場しのぎというか、適当なものを腹にいれておくというメシになる時が、ままある。
 その晩のメシは、まさにそんな感じだった。

 仕事が遅くなって日付がかわりそうな寒空の下で、バイクのアクセルをまわしている。一日終わった仕事のストレスやそろそろ冷えてきた秋の夜風が、暖かいものでも食べていこうかという気にさせた。

あらすじ?

 その地は、エスタルという。
 エスタル、すなわちエスト人のというだけで、国(ランド)とか場所(プレイス)とか当然その後にくるべき言葉がないのは、この地に対する人々の意識をよくあらわしているといっていい。
 そもそも、明確な領域すらなかった。
 当時の地図を広げてみると、北方、西方に流れる二つの川と肥沃な台地を中心にしたいくつかの大勢力が覇を競っており、その周辺に、衛星のような有象無象の小勢力が散らばっている。それらの小勢力は時に一方の勢力につき、あるいは寝返り、競り合いして生存競争を行っていたが、大勢に影響を与えるようなことはほとんどといっていいほど、なかった。

未完成耳かき小説

 金曜日の夜というのは厄介なものだ。
 これから始まる週末への期待と開放感で胸が満たされながら、身体のほうは連日の酷使で重く濁っている。
 だれも待つものなどない六畳一間のソファーベッドを胸に描きながら、重たい全身を引きずるようにして1人、帰り道を行く。
 ずいぶん暗くなるのが早くなった都会の夜6時の風景に、あちこち光るネオンの明かりがぼんやりと幻想的に浮かび上がる。
 特に目を見張るものがあるわけではなく、ましてや足等止めるはずもなく。光の洪水の中を俺は歩き続けている。

ある演劇評に答ふる文

最初に御断り。
この文章をタイピングしている指先は、小刻みに震えている。身体の奥が暑苦しくて、額に張り付く髪の感触も感じられる。
 久しぶりに劇評というやつと出会い、しかもそれが自分と近しくかつ手の届かない高校演劇という世界のものに触れてしまうと、やはり冷静ではいられない。悔しさも羨望も怒りも蔑みも、全部が全部自分の中にある力のように思え、誰に頼まれるわけでもない駄文を書き連ねるしかなくなってしまう。

何故「優しいドラマ」が私は嫌いなのか 2.0

 おいおいどんだけ時間空いてるんだよという突っ込みを自分でいれずにはおけないほど間が空いてしまいました。申し訳ない。まるでどっかの作家か漫画家みたいです。そんなえらいもんじゃないですけど。

 雑談はさておき、何故優しいドラマが嫌いなのか?の、「優しいドラマって何よ?」からよーやく「何故嫌いなのか」について書く段階になったようです。(前回までの不完全さはさておいて)
 ですが、ここで正直、当初書こうとした内容をそのままにすべきか、自分の心の中で迷っているのです。時間が空いたのも幾分かはその迷いのせいであったりします。

キャラクターシートサンプル

自分でもサンプルとして20かいてみるべきと思ったので、かこう。そうしよう。形式まるぱくり?ははっ、なんのことかわからないなぁ

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○キャラクター1:被検体

 新薬実験のアルバイトで暮らすフリーター。現状に不満は無いが満足もない。ぼんやりとしたからだの不安をかかえている

 欲求:こんなことをつづけていて大丈夫なのか、安心したい

○キャラクター2:定時制高校生

燃焼系ダイン式作品の作り方(合作準備用テキスト 整備中)

 はい、そういうわけでね。これからダイン式の作品の作り方とか手順を書いてみたいと思いますよ。
 現段階でテスト的にかいてるんでね、うん。改善案とかつっこみあればよろしくねっ。

1 まず、キャラクターを考えよう

 作品を作るうえで大事なのは何か?ということなんですが、まあぶっちゃけていえばテーマですよね。「で、何がいいたいの?」「何が売りなの?」という疑問に「これじゃあああ」と胸を張れるほうがいいわけです、多分。

私が今、考えていることなど。その2 改訂版

 暇にまかせて部屋の片付けをしていると、懐かしい文章や本に再会することがあります。今日も本棚の整理をしていると、鴻上尚二さんの「ごあいさつ」という文章がぽろっと出てきました。

 ご存じない方のために説明すると、この「ごあいさつ」というのは鴻上さんが演出した舞台にいくと、観客全員に配られる文章です。舞台のことや近況のことや鴻上さんの思考やいろんなことが書いてあって結構面白く読めます。「ごあいさつ」だけをまとめた本もでているほどです。

私が今、考えていることなど。その2

 暇なのでお部屋の片付けなんかをしていると、懐かしい文章や本に再会することがあります。今日も本棚の整理をしていると、鴻上尚二さんの「ごあいさつ」という文章がぽろっと出てきました。

 ご存じない方のために説明すると、この「ごあいさつ」というのは鴻上さんが演出した舞台にいくと、観客全員に配られる文章で、舞台のことや近況のことや鴻上さんの思考やいろんなことが書いてあって結構面白いのです。まとめた本も確か、でてました。

まだ途中

 なんだか、叔母が死んだらしい。
 その事実を告げるやけに事務的な文章と、「忙しいなら無理して帰ってこなくてもいいです」という親切なのか冷たいのかわからない追伸が書かれたメール画面を見つめていた。
 昼飯のあんパンがやけに喉にひっかかる。ゴマの風味が喉から鼻腔に抜けて、水分を失った軟口蓋がひっつめたような感触が、やけに記憶に残っている。

 シーズンはずれの新幹線は想像以上にガラ空きで、収入的にやっていけるのか、色んな金の無駄遣いじゃないのかとまったくの他人事に腹を立てながら座席に座る。気兼ねなくリクライニングを倒してみても、思っていたほど気持ちよくなかった。

「待ちながらこの冬に」

 過去に書いた作品です。本当に未熟なのですが、過去を見てアチャーという気分に浸るのもたまにはいいものです

「待ちながらこの冬に」

昼下がり。冬休みの高校の会議室。

舞台上に5つの長机が上手に向かってコの字型にならべられ、椅子がそれぞれの机に2個ずつ、全部で10個配置されている。上手側の机の後ろにはホワイトボードがある。

舞台後方の壁面は廊下側になっており、上手と下手の壁面にそれぞれ扉がある。

私が今、考えていることなど。

 例えば書物を読んでいると、感動する時があります。
 それぞれの書物にはそれぞれの素晴らしさがあり、本当にそれは、「生きている実感」のようなものを与えてくれる時があります。
 多くの場合、物語と呼ばれる書物は、たとえどんな形であれ、このような、人を感動、という言い方が悪ければ人の心に影響を与えることを念頭に置いて作られているのでしょう。それは、製作者がそう意図するかどうかなど何の関係もなく、そこに価値を見出すことがどうやら、普遍的もしくは社会的な物語の立ち位置として適当であるようです。

契約恋愛2

 取り入れたまま床に散乱している洗濯物と、半年分の雑誌で出来た見事な瓦礫の山から、
不釣合いな電子音が響いている。
 数ヶ月外気に触れていないせいで、ぬるく湿った布団から俺の左手が這い出し、不快なノイズの
元を断ち切ろうと、山の中に埋まっていく。柔らかな布と硬い紙の質感をあちこちで感じながら
腕を2,3回左右に動かすと、プラスチックの無機質な手ごたえが中指の先にかかり、それから
ようやくナツメロを流し続けるケータイが掌に収まった。

「契約恋愛」

「あー・・・ん、え?」
 流そうという意識すら存在するのか怪しい、その場の空気を埋めるために日々何十回と繰り返すであろう相槌の言葉が、思わず止まってしまう。理解できなかった、その直前自分に向けられた言葉を二度も聞き返す俺の顔はきっと、相当に間が抜けていることだろう。
「あごめんね、急な話で。別にそれは、そんな、今すぐにとかじゃなくて、考えてもらってでいいから」
 俺の不細工顔を作った原因である対象は、それでも俺の疑問にまるで答えることなく、勝手な飲み込みをして言葉を続けている。この季節にしては気温の高い今日の青空から横のガラス窓を通して差し込んでくる直射日光が、その額から銀縁の眼鏡にかけて照らし、うっすらと湿り気を帯びてきているように見えた。

何故「優しいドラマ」が私は嫌いなのか1.5

 さて、やや間が空いてしまいましたが続きをはじめようと思います。
 最初にお断りを。ほんとーはなんで優しいドラマがいかんのかについてかこうと思ってたんですが、
前回のを見て優しいドラマとか閉じた世界についてどうも、美味く伝わっていない感がありまして。まずは
そこをなんとかせいよというご意見をいただきまして。とりあえずそのへんを今回は補遺できればいいなというわけで1.5でございます。

 さてさて、「優しいドラマ」とは何か、じゃあ優しくないドラマとはなんなのかということを考えていくと、必然的に

コンテンツのシンジケート


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