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 <title>Drupal.cre.jp - 歴史 - Comments</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/taxonomy/term/108</link>
 <description>Comments for &quot;歴史&quot;</description>
 <language>ja</language>
<item>
 <title>小早川秀秋の軍勢が８千であれば、悩んだ末の選択かもしれません</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/3361#comment-905</link>
 <description>&lt;p&gt;tentenさんへ&lt;br /&gt;
　同じ歴史群像105号の河合秀郎さんの記事『作戦研究　関ヶ原合戦』では、小早川秀秋の軍勢は通説の１万５６００人ではなく、その半数の８０００人ではないかとの説をとられています。この数では、へたなところで東軍側については袋だたきになります。&lt;br /&gt;
　東軍が関ヶ原に主力を近づけたことで、ようやく伊勢方面の制圧を命じられていた小早川は東軍側に駆け込むチャンスを得たわけですが、それでも、周囲が敵なのは間違いなし。&lt;br /&gt;
　松尾山新城というのは、「西軍を裏切って決戦を誘引するための積極策」ではなく、「東軍に駆け込む前に、袋叩きにされそうなので逃げ込んだ避難所」というあたりが実情であったのかもしれません。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Wed, 12 Jan 2011 22:40:46 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>小早川秀秋の再評価なるか？</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/3361#comment-904</link>
 <description>&lt;p&gt;はじめまして。楽しく読ませていただきました。&lt;br /&gt;
　私も、西軍の主力であるはずの毛利が、何故あんなところで遊んでいたのか、長年疑問に思っていましたので、なるほどと合点いたしました。吉川の小細工うんぬんより、よほど納得できる説明だと思います。&lt;br /&gt;
　してみると、関ヶ原における小早川の功績は多大なものになりますね。状況は西軍有利で、黒田も真田も長期戦になると予想していた関ヶ原の合戦を、西軍が決戦せざるを得ない状況に追い込み、たった1日で終わらせる原因をつくったわけですから。裏切りのせいで、どうしても評価の低い小早川秀秋ですが、松尾山への布陣がそこまで見越してのことならば、認識を改めなければなりません。・・・単に「裏切るんだから、でかい手土産を。」ぐらいの考えだった気もしますが。東軍にしても決戦はリスクが大きすぎるし。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Wed, 12 Jan 2011 14:43:45 +0900</pubDate>
 <dc:creator>tenten</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>はじめまして</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2521#comment-857</link>
 <description>&lt;p&gt;　遅ればせながら最近ようやくこの作品が目に付いた者です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今川義元と太原雪斎の出会いから始まる、この経済的展開は圧巻で、まさに「桶狭間は一日にして成らず」というか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今川側については、一巻の方でまた触れますが、織田側を見ると、まさに『ゴッドファーザー』という感じですね。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　意識してか、三巻のラストなんかまさにそれですし、一巻の祭りの場面で信秀が「大ダンナ様」と呼ばれる場面なんかまさにそれというか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　あと信長の初恋や吉乃との隠れた関係とかも印象的で。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Wed, 25 Aug 2010 22:02:19 +0900</pubDate>
 <dc:creator>ＪＩＮ</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>『鉄炮記』についての情報ありがとうございます（DMAXさんへのレス）</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/101#comment-820</link>
 <description>&lt;p&gt;DMAXさん&lt;br /&gt;
　詳細なチェック、ありがとうございます。&lt;br /&gt;
　なるほど、『鉄炮記』の内容については、他の史料からも確認がとれる部分があるのですね。&lt;br /&gt;
　となると、種子島がほぼ最初期に鉄砲が伝来した場所と考えても間違いではないわけですか。&lt;br /&gt;
　そしてもちろん、他の場所に種子島とは無関係に鉄砲が伝来し、普及した可能性もあるわけですね。&lt;br /&gt;
　歴史はなかなかに複雑で、いろいろな面が多層的に見えて面白いですね。&lt;br /&gt;
　これからも、よろしくお願いします。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 07 Mar 2010 04:49:49 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>著者の事実誤認あり</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/101#comment-819</link>
 <description>&lt;p&gt;本書の頁９及び頁２２５で、著者の事実誤認による間違いがあります。&lt;br /&gt;
誤「種子島久時が祖父時堯の」の祖父は誤りで、&lt;br /&gt;
正「種子島久時が父時堯の」父が正しい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;１４代島主・種子島時堯は１６代島主・種子島久時の父です。&lt;br /&gt;
種子島時堯(1528.03.10-1579-10.31(51)&lt;br /&gt;
種子島久時(1568.11.27-1611.01.29(42)&lt;br /&gt;
久時が１１歳で父・時堯が死去。１６歳で島津義久のもと元服。&lt;br /&gt;
豊臣秀吉の２度の朝鮮出兵に島津義久とともに４度出兵する。&lt;br /&gt;
果敢に戦い異国の戦地でも鉄炮は活躍しました。&lt;br /&gt;
1592年(文禄の役)  1597(慶長の役)&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;久時は父の死から27年後、16代島津義久・17代義弘・18代家久に仕えた&lt;br /&gt;
南浦文之に依頼して１６０６年『鉄炮記』を書き残す。&lt;br /&gt;
その５年後に死去する。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;鉄炮伝来は『鉄炮記』以外にも葛飾北斎『北斎漫画』六篇や、&lt;br /&gt;
シーボルト編『ＮＩＰＰＯＮ』第一分冊・挿絵Ⅲに、&lt;br /&gt;
天文１２年８月２５日と日付を記載した絵図が存在します。&lt;br /&gt;
よって『鉄炮記』は立派な史料として４００年以上たちます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『鉄炮記』末尾の記述は以下の通りです。&lt;br /&gt;
昔の人はこう言っている。「有徳の先輩が善いことを成したのに、&lt;br /&gt;
世の中に知れ渡らないとしたら、それは後世の者の過ちである」と。&lt;br /&gt;
従ってこれを書して先徳の偉業を伝えたい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本書の著者が、『鉄炮記』の史料としての価値否定に、&lt;br /&gt;
違和感を覚えコメントを書かせて頂きました。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 19:06:03 +0900</pubDate>
 <dc:creator>ＤＭＡＸ</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>北方版水滸伝も、ぜひ読んでみようと思います</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2762#comment-739</link>
 <description>&lt;p&gt;rincyuさんへ&lt;br /&gt;
　オススメありがとうございます、北方版水滸伝も、いずれぜひ、読ませていただこうと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　楊家将の戦闘シーンは、時間感覚を伸ばして死傷者を減らせば、実際の戦争とそう大きくは違わないと考えております。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　いろいろ戦史の本をひもといてみますと、肉弾ぶつかりあう戦闘では、意外にも死傷者は少ないようです。古代地中海の名将ハンニバルが編み出した「両翼包囲」という戦術ですと敗北した側が逃げることができずに大損害ですけれども、そうでない場合は、死傷者５％くらいで崩れた時点で片方が敗走となり、負けた側の兵の多くは逃げ切ってしまいます。&lt;br /&gt;
　この時に、騎兵などを用いた追撃が不徹底であれば、敗走した側も何とか兵をとりまとめることができ、死傷者は５～１０％くらいですむことがあるわけですね。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　楊家将の戦闘シーンですと、ばたばた敵がやられて味方の損害が少ないことが多いですが、敵の損害も味方と同じくらいで、騎兵の突撃を受けて「散って」しまうだけ（時代劇のテレビドラマで、画面の外に悪役が逃げていくノリですね）だと考えると、「リアルに近い」感覚になるかと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　特に白兵戦を中心とする時代では、陣形が崩れると、軍隊としては戦闘力を喪失します。いかに相手の陣を崩し、味方の陣は維持するか。これが指揮官の能力で重要な部分であったと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　古代から近世までの長い間、この陣を維持する力で重要であったのは、何より「意志の力」でした。先も述べたように、弓矢および白兵武器では、物理的な破壊力が相対的に小さかったためもあろうと思います。楊業の持つカリスマや、采配は「この人についていけば大丈夫だ」という思いを兵に抱かせ、「意志の力」を高めたことでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし、銃や大砲の威力が増すにつれて、火力、すなわち物理的な破壊力が「意志の力」を圧倒するようになります。どんなカリスマがあろうが、大砲の弾は防げないのです。こうなると、指揮官の采配はいかに物理力に部下をさらさないか、にかかってくるわけですね。「意志の力」の重要性が下がったわけではないのですが、決定的要因ではもはやない時代になってきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そんな現代にもしも楊業が生まれれば――なんとなく、軍人ではなく、会社を興して社長をやってそうな感じがします。そして息子たちを縦横に活躍させて海外に進出するも、経済危機によって倒産の危機に……という感じでしょうか。&lt;br /&gt;
　そういう、現代企業戦士な『楊家将』も、また、面白そうです。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Fri, 31 Jul 2009 20:40:38 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>楊家将→血涙→水滸伝→楊令伝　</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2762#comment-726</link>
 <description>&lt;p&gt;始めまして&lt;br /&gt;
お邪魔します。&lt;br /&gt;
私も　楊家将を読み終えて　すぐに　血涙　水滸伝　そして楊令伝　と読み進めております&lt;br /&gt;
が　楊令伝でちょっと息切れ中&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;楊家将　戦闘シーンは　ええ？ってところも　素人なれどありますが&lt;br /&gt;
迫力の文章は　さすがハードボイルドーーー　&lt;br /&gt;
人馬入り混じるシーンは　眼裏に土ぼこり舞い　耳には馬の嘶きまで聞こえるようです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;是非　水滸伝を！ながいですが　読んでください。&lt;br /&gt;
楊家の末裔がでてきます。&lt;br /&gt;
なぜ　そこまでかっこいいのさ　ってくらい　くらくらします。&lt;br /&gt;
水滸伝（北方版）では　淋中がすきですけど　&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;楊家将はレッドクリフのように　だれかかーーーこよく　映画化してほしい&lt;br /&gt;
アジアのスター大集合で。&lt;br /&gt;
余談でした　すみません。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Wed, 15 Jul 2009 14:34:43 +0900</pubDate>
 <dc:creator>ｒｉｎｃｙｕ</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>『楊家将』を読み終えてすぐに、本屋に走りました</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2762#comment-725</link>
 <description>&lt;p&gt;通りがかりのあにむすさんへ&lt;br /&gt;
　ご推薦、ありがとうございます。&lt;br /&gt;
　『血涙』は、おっしゃる通り、ブランクなしに読むのがいい感じですね。&lt;br /&gt;
　否、ブランクをあけられなかったと言うべきでしょうか。&lt;br /&gt;
　『楊家将』を読み終えたあと、最初はアマゾンで『血涙』を注文しようかと思ったのですが、届くまでの二～三日が待ちきれず、本屋さんにバイクで行き『血涙』を購入しました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　壊滅した楊家軍の再建だけでも盛り上がるのに、行方不明になった兄が記憶を失って敵として登場するのですから、これで燃えずして何に燃えるという素晴らしい展開でした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そしてあの結末。&lt;br /&gt;
　ドラマそのものは完全フィクションではありますが、史実とのバランスをうまくとった、素晴らしい結末であろうと思います。&lt;br /&gt;
　素晴らしい本に出会えたことに、北方謙三さんと、楊家将の物語を語り継いできた多くの人に感謝です。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Tue, 14 Jul 2009 16:58:26 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>楊家将→血涙</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2762#comment-722</link>
 <description>&lt;p&gt;北方「楊家将」は続編で完全フィクションの「血涙」へと続いていきます。&lt;br /&gt;
こちらも熱い漢の血潮が滾る物語です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自分はこの２つの物語を（文庫化するまで待ってしまったために）半年ほど&lt;br /&gt;
ブランクを空けて読んでしまったのですが、ブランクなしに読むのがお勧めです。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Tue, 07 Jul 2009 13:49:23 +0900</pubDate>
 <dc:creator>通りがかりのあのにむす</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>軍神（謙信）のような戦い方を目指して</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2671#comment-645</link>
 <description>&lt;p&gt;　人は、成功体験を繰り返すとはよく言われることです。&lt;br /&gt;
　日本陸軍は、日露戦争で成功した分進合撃を繰り返し、日本海軍は、日本海海戦で成功した日本近海での全力を持っての邀撃を狙いました。&lt;br /&gt;
　上杉謙信の後を継いだ景勝と兼嗣も、上杉謙信の下での成功体験を繰り返そうとしたのでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　九州の雄である島津家は、その版図を最大にまで広げたところで秀吉の軍勢にこてんぱんにされました。勢威の絶頂での敗北に、自らの軍制の欠点に気づいたのでしょう。以後は、上方流の軍制改革を行い、朝鮮の役では大活躍をしております。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし、上杉家は、織田信長の攻撃に対して敗北寸前まで追い込まれたものの、本能寺の変で織田勢が撤退してしまい、完全な敗北を知ることなく国内の統一を迎えました。&lt;br /&gt;
　この時点で、景勝や兼嗣は、上杉流の軍における欠点や欠陥に、ある程度は気づいていたのではないかと思います。&lt;br /&gt;
　ただ、大きな改革をしようにも、周囲にはその必要性を認めない諸将が大勢いたのではないでしょうか。何しろ、形の上では「上杉は敗北していない」のです。島津のようにばっさり領土を削られたわけではなく、むしろ領土は拡張しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　成功している間の改革が困難なのは、国家や企業でもしばしば見られることです。組織の改革は、しばしば、大失敗した後でのみ可能になります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　上杉家の関ヶ原での不甲斐ない戦いぶりは、織田信長に敗北しなかったがゆえで。&lt;br /&gt;
　上杉家の大阪の陣での優れた戦いぶりは、関ヶ原の敗北によって大リストラをされたがゆえであろうと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　本能寺の変によって幸運にも敗北を免れたことが、結果として上杉家にとっての最大の陥穽であったとすると、なかなか世の中、一筋縄ではいきません。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 10 May 2009 21:30:05 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
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</item>
<item>
 <title>凡人が天才に師事した不運</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2671#comment-644</link>
 <description>&lt;p&gt;　思うに。上杉景勝も直江兼続も、上杉謙信の元で育ち、その薫陶を受けてきたわけで、彼らは「謙信の戦い方」以外は知らなかったのでしょう。&lt;br /&gt;
　特に謙信の最晩年の頃に到っては、その謙信自身のカリスマによって、謙信が出陣しただけで戦闘の全てが謙信の望むとおりに動いていくような様相を、兼続も景勝も見てきたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そうして自分たちも謙信と同じように戦えると。謙信の下で戦ってきた自分たちも彼と同じ立場になれば同じように戦える、と考えていたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そして、謙信が死に、自分たちが景虎の先手を打って春日山城を奪いながら、その目算－－謙信と同じ立場になれば、同じ戦い方ができること－－が外れたとき、彼らは大いに慌てたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そして自分たちが知っている「謙信の戦い方」が使えない、でも戦いが始まった以上勝たなければ滅亡する。そういった状況の中、自分たちが考えられることを必死にやってきたのでしょう。&lt;br /&gt;
　かつて経験したこと、学んできたことが通用しない、応用すら難しい、となれば、もはや場当たり的に対処して、やっていくしかありません。野球を全く知らない人に、プロ野球チームの監督から作戦指揮までスタッフの仕事をアドバイザー無しに全てやらせて優勝を求めるようなものでしょう。景勝も兼続も、関が原までは、ずっとそんな状況だったのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　もし上杉謙信以外の人物の下で、上杉景勝や直江兼続が泥臭い凡人の戦いを経験していたら。&lt;br /&gt;
　彼らは、もう少し気楽に、もう少し勝てる戦いができたのかもしれません。そんな気がするのです。もちろん、それが上杉（長尾）家を戦国の戦いの中で、大名として江戸時代まで残すことができたかどうかは、また別の話になるわけですが。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 10 May 2009 20:21:53 +0900</pubDate>
 <dc:creator>mihiro</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 644 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
<item>
 <title>感想です</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2342#comment-440</link>
 <description>&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今回の日記も昨今の情勢を思わず連想してしまって興味深かったです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　内容とはピントがずれてこちらが受け取っているかもしれないのですが、読んでいてひょっとして今の日本(もしかしたら世界的なものかもしれないですが)も展望をひらけないテロとの戦いや金融危機の発生に地面が覆るような恐怖を感じたり、劣等感を抱きつつあるのではという感想を持ちました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　現在進行中の事なので渦中にいる我々が昨今の情勢に太平洋戦争に至った道への相似を見出せるかどうか、断定することは難しいのでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかしたとえ歪みつつあるとしても我々には敗戦によって恐怖と劣等感に向かい合い這い上がってきた経験があるわけで、それを生かせればそう悲観的になる必要はないかなと、皮相的ではありますが思ったりしました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　日記の最後に言及されていた『平成イリュージョン』。鋭い部分を持ちながらもどこかゆる～い作風が好きで、打ち切りになったときはがっくりしました。現在は個人誌の通販という形で続いているようですがまたどこかに載らないもんでしょうか。……あくしずならばとはかない望みを抱いているのですが。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Thu, 15 Jan 2009 19:15:05 +0900</pubDate>
 <dc:creator>comings</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 440 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
<item>
 <title>倭寇が廃れたのは幕府の取り締まりによってです</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/86#comment-127</link>
 <description>&lt;p&gt;日本人による初期倭寇は明からの泣きが入ったことにより鎌倉幕府の取締りによってなくなったのであって戚継光が壊滅させたのとはちょっと違います&lt;br /&gt;
初期倭寇を行っていた当人達は武力に訴える事をやめてもそのままけろりと明との交易を続けていました&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もちろんこれは戚継光が対倭寇、というか日本刀と日本剣術で戦う部隊あいての攻略法を研究実践していたことを否定するわけではありません&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 28 Oct 2007 18:07:55 +0900</pubDate>
 <dc:creator>Anonymous</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 127 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
<item>
 <title>関連書誌情報</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/586#comment-50</link>
 <description>&lt;p&gt;阿部 謹也，『近代化と世間　私が見たヨーロッパと日本』（朝日新書），朝日新聞社，Tokyo，2006．&lt;br /&gt;
阿部，『社会史とは何か』，筑摩書房，Tokyo，1989．&lt;br /&gt;
阿部，「社会史とは何か」,『社会史とは何か』（前出）所収，初出=「社会史研究」8号，1988．原題=「歴史における人格の問題再論」&lt;br /&gt;
増田 四郎，『西欧市民意識の形成』（講談社学術文庫），講談社，Tokyo，1995．原著，1949．&lt;br /&gt;
阿部 謹也，『日本社会で生きるということ』，朝日新聞社，Tokyo，1999．&lt;br /&gt;
阿部，「『世間』とは何か」，『日本社会で生きるということ』（前出）所収．人権問題指導者養成研修会講演（1996）．&lt;br /&gt;
阿部，『ヨーロッパを見る視角』（岩波現代文庫），岩波書店，2006．原著，1996．&lt;br /&gt;
阿部，『日本人の歴史意識　「世間」という視角から』（岩波新書），岩波書店，2004．&lt;br /&gt;
阿部，『学問と「世間」』（岩波新書），岩波書店，2001．&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sat, 12 May 2007 17:13:07 +0900</pubDate>
 <dc:creator>鍼原神無〔はりはら・かんな〕</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 50 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
<item>
 <title>『近代化と世間』（朝日新書）の構成</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/586#comment-55</link>
 <description>&lt;p&gt;阿部 謹也，『近代化と世間』（朝日新書），2006．の構成について。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;----&lt;br /&gt;
新書本，192頁＋参考文献目録（４頁）＋奥付（１頁）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;----&lt;br /&gt;
本扉（P.1）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「まえがき」（P.3～6）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;目次（P.7）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第一章「西欧社会の特性」（P.9～86）&lt;br /&gt;
*P.9は、第一章章扉。&lt;br /&gt;
*第一章本文は、P.11～86（76頁）。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;
これ〔本書の前半〕は、ヨーロッパ史研究の中で改めて日本を振り返った記録である。日本とヨーロッパの違いがいくつかの点について説明されている。&lt;br /&gt;
（「まえがき」P.5）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;
個人の成立と自然からの脱却／公共性の成立／一ニ世紀ルネサンス／贈与・互酬関係の変化／アジール・フラウイングの成立／現代の「アジール」／聖なるものへの憧憬／西欧における差別／人間狼にについて／追放された人々／二つの宇宙／外部との闘い／小宇宙としての共同体／大宇宙との接点／賤民の成立と解体&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　第一章の読解には、同じ著者の次の本がことに有益だろう、『ヨーロッパを見る視角』（岩波現代文庫）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第二章「日本の『世間』」（P.87～122）&lt;br /&gt;
*P.87は、第ニ章章扉。&lt;br /&gt;
*第二章本文は、P.89～122（34頁）。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;
第二章では日本の「世間」が分析されている。&lt;br /&gt;
（「まえがき」P.5）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;
日本の個人／巌谷小波の『世間学』／日本における贈与・互酬関係／自画像の欠如／「世間」の中の時間／大学の崩壊／子供の位置／日本における差別／自らの体験から／「世間」と差別／日本のアジール&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第三章「歴史意識の東西」（P.123～180）&lt;br /&gt;
*P.123は、第三章章扉。&lt;br /&gt;
*第三章本文は、P.124～180（57頁）。&lt;br /&gt;
*第三章は、「第64回日本哲学学会大会」（2005年５月）での講演を元にしたものとの事。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;
第三章では歴史意識の東西の中でヨーロッパの歴史学の現状と日本の歴史学の現状を比較検討している。&lt;br /&gt;
（「まえがき」P.5）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;
西欧の歴史意識／シャルトル学派／サン・ヴィクトールのフーゴー／歴史的神話の形成／理性は神話に勝てない／日本人の歴史意識－－「世間」とは何か／自然との関係／「世間」と時間／「世間」の景観／「世間」の神々／丸山真男の「歴史意識の『古層』」について／文献だけでなく、行動からも&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　第三章の読解には、同じ著者の次の２書がことに有益だろう、『日本人の歴史意識　「世間」という視角から』（岩波新書）、『学問と「世間」』（岩波新書）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;終章「ヨーロッパと日本」（P.181～188）&lt;br /&gt;
*P.181は、終章章扉。&lt;br /&gt;
*終章本文は、P.182～188（7頁）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「結語」（P.189～192）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;参考文献目録（P.193～198）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;奥付（P.199）&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
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 <pubDate>Sat, 12 May 2007 17:12:00 +0900</pubDate>
 <dc:creator>鍼原神無〔はりはら・かんな〕</dc:creator>
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