<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss version="2.0" xml:base="http://drupal.cre.jp" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
<channel>
 <title>Drupal.cre.jp - 直江兼嗣 - Comments</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/taxonomy/term/4846</link>
 <description>Comments for &quot;直江兼嗣&quot;</description>
 <language>ja</language>
<item>
 <title>軍神（謙信）のような戦い方を目指して</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2671#comment-645</link>
 <description>&lt;p&gt;　人は、成功体験を繰り返すとはよく言われることです。&lt;br /&gt;
　日本陸軍は、日露戦争で成功した分進合撃を繰り返し、日本海軍は、日本海海戦で成功した日本近海での全力を持っての邀撃を狙いました。&lt;br /&gt;
　上杉謙信の後を継いだ景勝と兼嗣も、上杉謙信の下での成功体験を繰り返そうとしたのでしょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　九州の雄である島津家は、その版図を最大にまで広げたところで秀吉の軍勢にこてんぱんにされました。勢威の絶頂での敗北に、自らの軍制の欠点に気づいたのでしょう。以後は、上方流の軍制改革を行い、朝鮮の役では大活躍をしております。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし、上杉家は、織田信長の攻撃に対して敗北寸前まで追い込まれたものの、本能寺の変で織田勢が撤退してしまい、完全な敗北を知ることなく国内の統一を迎えました。&lt;br /&gt;
　この時点で、景勝や兼嗣は、上杉流の軍における欠点や欠陥に、ある程度は気づいていたのではないかと思います。&lt;br /&gt;
　ただ、大きな改革をしようにも、周囲にはその必要性を認めない諸将が大勢いたのではないでしょうか。何しろ、形の上では「上杉は敗北していない」のです。島津のようにばっさり領土を削られたわけではなく、むしろ領土は拡張しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　成功している間の改革が困難なのは、国家や企業でもしばしば見られることです。組織の改革は、しばしば、大失敗した後でのみ可能になります。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　上杉家の関ヶ原での不甲斐ない戦いぶりは、織田信長に敗北しなかったがゆえで。&lt;br /&gt;
　上杉家の大阪の陣での優れた戦いぶりは、関ヶ原の敗北によって大リストラをされたがゆえであろうと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　本能寺の変によって幸運にも敗北を免れたことが、結果として上杉家にとっての最大の陥穽であったとすると、なかなか世の中、一筋縄ではいきません。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 10 May 2009 21:30:05 +0900</pubDate>
 <dc:creator>銅大</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 645 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
<item>
 <title>凡人が天才に師事した不運</title>
 <link>http://drupal.cre.jp/node/2671#comment-644</link>
 <description>&lt;p&gt;　思うに。上杉景勝も直江兼続も、上杉謙信の元で育ち、その薫陶を受けてきたわけで、彼らは「謙信の戦い方」以外は知らなかったのでしょう。&lt;br /&gt;
　特に謙信の最晩年の頃に到っては、その謙信自身のカリスマによって、謙信が出陣しただけで戦闘の全てが謙信の望むとおりに動いていくような様相を、兼続も景勝も見てきたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そうして自分たちも謙信と同じように戦えると。謙信の下で戦ってきた自分たちも彼と同じ立場になれば同じように戦える、と考えていたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そして、謙信が死に、自分たちが景虎の先手を打って春日山城を奪いながら、その目算－－謙信と同じ立場になれば、同じ戦い方ができること－－が外れたとき、彼らは大いに慌てたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　そして自分たちが知っている「謙信の戦い方」が使えない、でも戦いが始まった以上勝たなければ滅亡する。そういった状況の中、自分たちが考えられることを必死にやってきたのでしょう。&lt;br /&gt;
　かつて経験したこと、学んできたことが通用しない、応用すら難しい、となれば、もはや場当たり的に対処して、やっていくしかありません。野球を全く知らない人に、プロ野球チームの監督から作戦指揮までスタッフの仕事をアドバイザー無しに全てやらせて優勝を求めるようなものでしょう。景勝も兼続も、関が原までは、ずっとそんな状況だったのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　もし上杉謙信以外の人物の下で、上杉景勝や直江兼続が泥臭い凡人の戦いを経験していたら。&lt;br /&gt;
　彼らは、もう少し気楽に、もう少し勝てる戦いができたのかもしれません。そんな気がするのです。もちろん、それが上杉（長尾）家を戦国の戦いの中で、大名として江戸時代まで残すことができたかどうかは、また別の話になるわけですが。&lt;br class=&quot;clear&quot; /&gt;&lt;/p&gt;
</description>
 <pubDate>Sun, 10 May 2009 20:21:53 +0900</pubDate>
 <dc:creator>mihiro</dc:creator>
 <guid isPermaLink="false">comment 644 at http://drupal.cre.jp</guid>
</item>
</channel>
</rss>

