『真説 鉄砲伝来』宇田川武久

 鉄砲伝来
 教科書では、1543年に種子島に漂着したポルトガル商人から手に入れたのが普及したとされている。

 というのも、鉄砲伝来についてそれなりにきちんとした史料は『鉄炮記』しかないからである。
 この史料については私も聞きかじるぐらいであった。本書では『鉄炮記』の全文(意訳)が紹介されており読むことができた。

 感想――短っ!

 意訳してひらがなふっても新書で5ページにしかならない。
 なんともはや。しかもこの記録は戦国の終わった1606年に、種子島の領主がじいさまが鉄砲の伝来に関わったという記録を残そうとライター(僧侶)に発注して書かせた「我が家の名誉」を伝えるための文章である。

 あからさまなウソこそあまりなくても、誘導はしているはずだ。

 そういうわけで、クロスチェック。
 きちんと年代とかエピソードが記された史料がないなら、それ意外の史料などを元にあれこれ推理を働かせたのがこの本である。

 歴史を読み解く知的な興奮を味わえる良書だ。

 なお、個人的にたいへん面白かったのは砲術師の秘伝書にある鉄砲の由来である。

 なんと、お釈迦様の時代、無意鬼という凄腕のメカニックがいて彼が鉄砲を発明。んで、お釈迦様は鉄砲を使った説法によってこの世の悪を鎮めたという。

 お釈迦様のイメージがワイルドアームにっ!
 かっちょえー。

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著者の事実誤認あり

本書の頁9及び頁225で、著者の事実誤認による間違いがあります。
誤「種子島久時が祖父時堯の」の祖父は誤りで、
正「種子島久時が父時堯の」父が正しい。

14代島主・種子島時堯は16代島主・種子島久時の父です。
種子島時堯(1528.03.10-1579-10.31(51)
種子島久時(1568.11.27-1611.01.29(42)
久時が11歳で父・時堯が死去。16歳で島津義久のもと元服。
豊臣秀吉の2度の朝鮮出兵に島津義久とともに4度出兵する。
果敢に戦い異国の戦地でも鉄炮は活躍しました。
1592年(文禄の役) 1597(慶長の役)

久時は父の死から27年後、16代島津義久・17代義弘・18代家久に仕えた
南浦文之に依頼して1606年『鉄炮記』を書き残す。
その5年後に死去する。

鉄炮伝来は『鉄炮記』以外にも葛飾北斎『北斎漫画』六篇や、
シーボルト編『NIPPON』第一分冊・挿絵Ⅲに、
天文12年8月25日と日付を記載した絵図が存在します。
よって『鉄炮記』は立派な史料として400年以上たちます。

『鉄炮記』末尾の記述は以下の通りです。
昔の人はこう言っている。「有徳の先輩が善いことを成したのに、
世の中に知れ渡らないとしたら、それは後世の者の過ちである」と。
従ってこれを書して先徳の偉業を伝えたい。

本書の著者が、『鉄炮記』の史料としての価値否定に、
違和感を覚えコメントを書かせて頂きました。

『鉄炮記』についての情報ありがとうございます(DMAXさんへのレス)

DMAXさん
 詳細なチェック、ありがとうございます。
 なるほど、『鉄炮記』の内容については、他の史料からも確認がとれる部分があるのですね。
 となると、種子島がほぼ最初期に鉄砲が伝来した場所と考えても間違いではないわけですか。
 そしてもちろん、他の場所に種子島とは無関係に鉄砲が伝来し、普及した可能性もあるわけですね。
 歴史はなかなかに複雑で、いろいろな面が多層的に見えて面白いですね。
 これからも、よろしくお願いします。


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