奥様は最強06『城主夫人の家計簿 妻たるもの夫の三つの袋を握るべし』

奥様は最強06『城主夫人の家計簿 妻たるもの夫の三つの袋を握るべし』

 私の母は古風な女性である。
 嫁入り前に母は、私を呼び出して妻の心得を説いた。

「いいですかラプンツェル。妻たるもの、夫をただ愛するだけではいけません。男のそばでニコニコ笑っているだけのお人形は妻とは呼びません。それだけなら、結婚していなくても、どんな女でもできます。ええそうです、あの女、ちょっと若いからって人の旦那にモーションを――」

「あの、それでお母様。お話というのは」

「コホン、妻は夫を尽くし、立てなければいけません。夫の進む道を手助けし、困難を共に乗り越えてこそ妻なのです。夫の敵は自分の敵。あなたも妻になるのならば、そのことを忘れないように」

「はい、お母様。あの人の敵は、私の敵です。私とラプターが徹底的に制圧し、殲滅します」

「それだけではいけません」

「お母様、私は急ぎますので、長くなるようでしたらまたの機会に」

「いいから聞きなさい。夫の進む道を手助けするには火力や攻撃力だけでは足りないのです。夫の持つ三つの袋。それをあなたは掌握しなければいけません。これは妻として夫の家に入ったら真っ先になすべきことです」

「三つの袋ですか? お母様、それはなんです?」

「一つは胃袋です。男というのは、すべからく餌付けに弱い生き物です。おいしい食事を食べさせてくれる女にはほいほいと甘い顔をしてついていってしまいます。夫がそのような事で道を誤らないように、胃袋にはしっかり手綱をつけるのですよ」

「わかりました、お母様」

「二つめは巾着袋、すなわち財布、家計になります。夫が何をなすにしてもお金は絶対に必要です。けれど男は金の使い方を間違いやすい生き物です。無駄遣いを戒めるためにも、巾着袋の紐は妻が握っておくべきなのです」

「わかりました、お母様」

「それで三つめの袋です。いいですか、これがあなたにとっては一番大事で大変な仕事になると思います。何しろあなたの夫はああいう天然系の人ですからね。わ、私にまであのような――いえ、私は別にあの程度のことでよろめいたりはしません。ええ、しませんとも。ですが、あなたが気をつけなければ、どのような恐ろしい事態になるとも……」

「いたぞっ! 姫様の機体があんなところにっ!」
「まさか宮殿の中に潜んでいたとは。なんで誰も気づかないんだっ!」
「あれはF-22ラプターだぞっ! フルのステルスモードなら目の前にあっても気づけるものかっ!」

「申し訳ありません、お母様。お父様の追っ手が来たようですので私はこれで」

「わかりました。気をつけるのですよラプンツェル。お父様は私が後で取りなしますから、あなたは幸せになることだけを考えなさい。私も、そしてお父様も本当に願っているのはそれだけですから」

「お母様――っ! はいっ! 行ってきますっ!」

 ……

 そういえば、結局三つめの袋については分からずじまいだった。
 なんだろうか。袋……袋、そうか知恵袋かもしれない!
 私の夫は智者だ。湯水のようにわき出すその知恵袋が詰まらないようにするのも妻の努めであろう。

「うむむむー。どう計算しても赤字転落間違いなしですわ」

 温泉のある館の屋根の上。
 母の教えに従い私は夫の巾着袋、つまり財政を把握するために家計簿をつけてみた。収入と支出の貸借対応表、いわゆるバランスシートである。
 温泉でほてった身体と心を夜風で冷やしながら私はせっせと数字を並べる。

「売りに出した戦闘機兵には、額面上ではそこそこの値段がついてはいますけど――現金化できるのはほんの一部ですか。特に具合のよい正機兵は全部、バーター貿易ですわね」

 あの戦いの後、夫は鹵獲した戦闘機兵や機材を売りに出した。
 もちろん売る相手は慎重に選ばなければならない。兵器の売買とは安全保障に密接に関連する事柄だ。敵に売ることはできないし。中立国に売ったつもりが、そのままロンハンに横流しされたのでは目も当てられない。
 となると、友好的な関係にある――太平洋同盟加盟国か準加盟国が対象になる。だが、そうした国のほとんどが私の故郷である神聖合衆国から輸出される機体をメインに使用している。ミグやらスホーイやらがあっても整備や運用、何よりパイロットに問題が山積みだ。

「姫様? 夜風は身体に毒ですよ」

 私がかけておいたはしごを上って顔をのぞかせたのは、夫のお付きメイドであるライナだった。手にしているのは抹茶ミルク。お砂糖たっぷり。

「はい、どうぞ」

「ありがとう、ライナ。あの人は?」

「湯あたりはもうよくなられました。今は大鷲様が介抱なさっています。姫様がおられないのを気になさってましたよ。まだ怒っているんじゃないかと心配なご様子です」

「もう怒ってはいませんわ」

 考えてみれば、むしろ怒るべきなのはこのメイドとイーウィーニャという風来坊のような気がする。それにまるで気づいていないのか、メイドはほにゃほにゃとした笑顔で私の手元をのぞきこんだ。

「難しいお顔をなさってたのは、そっちの家計簿が原因ですか。……あう、数字がいっぱいです。いったい何がどうなっているんでしょう?」

「よくありませんわ」

 私は現状について説明した。今回の戦いは敵の大軍を防御拠点にまで引きつけて補給線を断ってから殲滅するという、口にすれば単純な兵法で勝利した。
 しかし、その勝利はさまざまな犠牲と引き替えになっている。たとえば侵入してきた敵によって蹂躙された町や砦だ。人間は城に避難させ、動かせる物資も一緒に回収したので被害は限定されたが、その再建には少なからぬ金がかかっている。

「で、こっちの数字がそんな好き放題やった敵の捕虜の衣食住や監視にかかる経費です。額は小さくてもなんとなく理不尽な気分になりますわ」

「姫様、名案があります。捕虜から身代金を取りましょう!」

「ダメです。他の国ならそれもありますが。何しろ今のロンハンは人民革命とやらのお国です。身代金なんか請求しても鼻で笑われるだけです」

「じゃあ解放しちゃいましょう。うちにいても困るだけです」

 私が何と答えようか悩んでいると、夫と大鷲が屋上に上がってきた。

「それもダメなんだ。彼らが処刑されてしまう」

「降伏した捕虜の中で今も収容されているのは、ほとんどが最後の足止めのために最前線に残された部隊の兵士だ。全滅して時間を稼げと命令されている。しかし、イーウィーニャが背後からの奇襲で指揮機を撃墜したので混乱してな。私の部隊が追いついた時にすぐに降伏したのだ」

 大鷲が沈痛な顔で言葉を続けた。

「死守命令とはいえ、命令は命令だ。それに違反したのだから罰は当然であるが……」

「足止めにされた捨て石の部隊は、昔から京姉たち大鷲の一族ともゆかりのある地方領主の部隊でね。今のロンハンでは目の敵にされているんだ。たぶん、これを奇貨として家は取りつぶし、領土も何もかも人民革命政府が奪うことになるだろう」

「でも、それは捕虜になってても同じじゃないんですか?」

「だから、彼らは……その、戦死したことになっているんだ。私が若殿にお願いして、そのようにしてもらった。名誉の戦いをして、我が軍の足止めをして全滅したとロンハン側には伝えてある」

「いいんだよ、京姉。これは僕にとっても都合がいいんだ。こちらと隣接する領土へ人民革命政府のやたら好戦的な役人が赴任してくるよりは、昔からあそこに根付いていて無理な戦いを避ける古い領主がいてくれた方がありがたい」

 むむむむ。
 私は面白くなかった。夫の言葉は本当だし、政治的には優れた判断だということも分かるのだけれど。

 たぶん――順番が、逆だ。

 きっと夫はまず大鷲の、乳兄弟の願いを聞き入れた。そして、その乳兄弟の願いをかなえる方法を考えて、今のような計略にたどりついたに違いない。
 私が気に入らないのは、夫のそんな優しさではない。怜悧なだけではなく、優しくて人の気持ちを理解してくれるそんな夫だからこそ、私は愛しているのだ。
 その夫の優しさに甘える大鷲のありようが、私は気に入らない。ふたりは乳兄弟で、幼なじみで、今も親しく会話をする間柄であるが――妻は、私だ。

「ですけど、今のままずっと飼い殺しというわけにはいきません。この始末をどうなさるおつもりですか、あなた」

 自分で考えていた以上にきつい声だった。夫とメイドが驚いた表情になる。大鷲は唇を噛んでうつむいている。
 う、なんで私が罪悪感を感じないといけないの!

「お金、自分で稼ぐといいんじゃないか、ねえー!」

 頭に大きなお盆を乗せたイーウィーニャが器用にはしごを伝って上ってきた。
 お盆の上には、飲み物やらお菓子やらが山積みになっている。
 姿が見えないと思ったら、いろいろあさっていましたのね。

「今宵はいいお月様も出てる。みんなで宴会する、ねえー!」

 にらみつける私へ、イーウィーニャが満面の笑顔を向けた。彼女は私より年上のはずなのに、まるであどけない幼児のような笑顔をする。

「まったく、もう。宴会は許可いたしますから、その前に説明なさいな。自分で稼ぐというのはどういう事ですか?」

「畑でも耕してもらうんですか? あ、そういえば庭師のおじいさんが手伝いをほしがってましたぁ」

「捕虜になったヒト達、けっこう腕がタツよ。機体は古いケド、よく整備してあったし。取った機体返して、傭兵にしたげるとイイ、ねえー!」

「待て、イーウィーニャ。傭兵にするにしても、戦闘機兵は返せんぞ。あの機体を売却して利益を出さねば、金が手に入らない。それでは我が国は立ちゆかなくなってしまうのだ」

「いえ! その案、いけます!」

 私は大声で言うと、家計簿を皆の前に広げた。
 のぞきこんだ顔のうち、そこに並んだ数字を理解してそうなのは私をのぞけば夫だけだが、それは別にいい。夫の巾着袋を握るのは他の誰でもない、妻である私の仕事であり権利なのだ。

「いいですか。今のまま戦闘機兵を売却しても現金収入にはほとんどつながりません。そもそも正機兵は価格が高すぎるんですのよ。もちろん資源や資材とのバーター交換でも利益はでますが、このバランスシートを見れば分かるように我が家に必要なのはぐるぐる回せる運転資金です。正機兵を単に売却するのではなく、傭兵部隊としてレンタルするというのなら――」

「そうか、分かったよラプンツェル。短期の傭兵契約は高額収入にこそならないが、決済は現金で行われる。利益という点ではうまみが多い」

「でもでも、若様。傭兵になって前線に放り込まれちゃうと、損害や故障、弾薬の消耗なんかでお金がどんどん出ていっちゃいませんか?」

「いや、ラプンツェル姫君のお考えで問題ない。彼ら一族の戦闘技術は、私もよく知っている。こたびの戦こそ不覚をとったが、あれは指揮をした人民革命軍のぼんくらのせいだ。そこらの小競り合い程度の紛争で彼らが後れを取ることなどありえない」

「よし、この方向でいこう。ラプンツェル、後で数字をまとめてくれ。京姉は、収容所にいって彼らにこのことを打診して欲しい。けれど、まあ、その前に」

 夫は、月を背にしてにっこりと笑った。
 私の大好きな、甘くて優しい笑顔で。

「今夜は楽しくやろうか」

「さ、宴会を始める、ねえー!」

 とたんに騒がしくなった屋上で、私はなくさないように家計簿をしまった。そして夫の隣に座ると夫のコップにジュースを注いだ。
 やはり、母は正しい。
 妻たるもの、まずは袋を握らなければならない。
 胃袋を、巾着袋を、そしてよくわからないけど、たぶん、知恵袋か何かを。

 それだけは、絶対に絶対に、他の女にはゆずれないのだ。

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