『機動戦士ガンダム00』のSFネタ解説その3:戦争の根絶
『機動戦士ガンダム00』に登場する謎組織ソレスタルビーイングの目的は、「武力による戦争の根絶」である。
この戦争の根絶については、SF的にもしばしば取り上げられる題材であるからして、ちょっとガンダムからは離れるがいろいろと駄法螺ふまえて考察してみよう。
まずはソレスタルビーイングがやっている、武力介入による戦争の根絶であるが、これは可能だろうか?
可能である。条件が必要だが。
条件とは、技術力と軍事力の卓越である。
具体的には『七都市物語』(田中芳樹)のオリュンポスシステムのような感じだ。これは、一定高度にまで上がった飛行物体をすべて軌道にある攻撃衛星のレーザーで撃ち落とすというシロモノで、これにより七都市物語では航空機が戦争で使えなくなっている。
地上で戦車がドンパチやる分にはオリュンポスシステムはノータッチであるが、これがひとつの指針にはなる。
さらに拡大強化して、軌道上から抵抗不可能な攻撃を仕掛けるというシステムを構築すれば、戦争を根絶することができる。
異星人の作ったシステムとか、古代人の残した自動システムとかだとなおよろしい。何せ、交渉の余地がない。軌道上のナニかが「これは戦争だ」と判断したとたん、ビームやらレーザーやらが雨あられと降り注ぐのである。地面か水面の下で見えないようにやれば大丈夫かと思ったら、地殻兵器使われて大陸ごと沈められたとかがあれば、誰も戦争はしなくなるだろう。
これを、“天罰(オリュンポス)方式”による戦争根絶と呼ぶ。
“天罰方式”では戦争はなくてもテロは残る。たとえば、気に入らない国家や団体の領域に入り込んで、“天罰方式”が戦争と判断するようなコトをやってしまえばいいのだ。巻き込まれた側はヒドイことになるだろう。
しかし、これだと戦争はないかも知れないが、なんか望んでいるものとだいぶ違う感じがする。特に平和な世界を望んでいたとすると、えらく殺伐とした感じだ。
武力介入を最低限にする方法を考えてみよう。
戦争を起こすのは、国家だ。つまり、戦争を起こそうとした国家指導者を武力介入――いやいっそ、暗殺してしまうというのはどうだろうか。
具体的にはイラク戦争を起こそうとしたブッシュ大統領などのホワイトハウスの連中を殺すような方法だ。一夜にして政府関係者や軍の指揮官を皆殺しにすれば、最低限の死傷者で戦争を止められはしないだろうか。暗殺の方法としては『デスノート』(大場つぐみ/小畑健)のような謎の世界法則がオススメである。
もちろん、大統領が替わっても同じ判断が下される可能性はある。その場合は、次の大統領にも死んでもらう。
とにかく平和の敵である戦争を起こそうというヤツを暗殺しまくるのだ。
これを、“デスノート方式”による戦争根絶と呼ぶ。
だがこれもまた、デスノートによる殺害があの手この手で無効化されたように、戦争を起こそうとする連中が影に隠れてしまうだけの可能性がある。というか、間違いなくそうなる。一種のいたちごっこであり、戦争の根絶はできずにただデスノートによる死者の数だけが増えてしまいそうだ。
どちらのパターンも、失敗の原因は「介入がバレてしまっている」点にある。人間はするなと言われるとやりたくなる生き物だ。戦争を止めようと介入するものがあるならば、何とかして裏をかこうとするだろう。
やはり、効率がいいのは介入の存在がわからない――介入されたことすら理解できない戦争の根絶である。
ここで使えそうなのが、テレパシーなどの意識に直接働きかけるSFギミックだ。戦争が勃発しそうになったら、必要な人間の意識を乗っ取り、上書きして戦争を回避させるのだ。あまり露骨な人格改変は介入の存在が暴露してしまう元になるので、ここは本人の意識をそれとなくサポートするのが望ましい。
具体的には(もうすでに具体的でもなんでもないが)『レンズマン』(E.E.スミス)のアリシア人やエッドール人がやってきたのがこうした介入だ。
これを“アリシア人方式”による戦争根絶と呼ぶ。
だがしかし、ここまで万能な絶対者による直接介入による戦争根絶は、やはりSFマニアとしてはウケがよろしくない。むしろ、『神狩り』(山田正紀)よろしく絶対者への介入に立ち向かう物語用の設定である。あるいは、『銀河帝国の興亡3』/『第二ファウンデーション』(アイザック・アシモフ)だとか。
ではSFから現実に立ち戻ってみよう。
我々の世界で、戦争をなくす方法はあるだろうか?
もちろん、現実であるからして100%を望むことはできない。
必ず世界のどこかで紛争はあり、暴力の応酬があって人は死ぬ。が、それをできるだけ抑制することはできないか?
すべての人が理想に燃えるわけではない。戦争を好むわけではないが、「言ってもわからないヤツは殴る」というのを是とする人や国家も存在する。その上で、戦争を局所化、限定化する方法はないだろうか?
実は――我々の住むこの世界はそうやって存在しているのだ。
20世紀に行われた二度の世界大戦の教訓は、戦勝国も敗戦国もしっかりと学んでいる。それは戦争の是非とか、善とか悪とかではない。
損得として、戦争を捨てようとしたのだ。
戦争は割に合わない。限定戦争ですらしばしば割に合わないのに、全面戦争となるともはや勝利してもあまりうれしくないし、敗北したらこれはもう、どうしようもない。核兵器の登場は、それをさらに強固にした。全面核戦争なんかやった日には、勝者も敗者もない。
国際連合という枠組み作りも、冷戦を続けた米ソによる世界の分割も、とりあえず、まずは全面戦争をなくそうという思いと現実との間でのすりあわせの努力の結果だ。
さらに、世界経済のグローバル化が進む。今や経済の利害は国境をこえて入り交じっている。確かにエネルギーや資源問題で国家間が対立することはあるが、それを解決するのに軍事力を使ってもいいほどには、世の中はブロック化されていない。今もしも第二次世界大戦のような大国間での全面戦争が生じて金と物の流れが途絶えた日には、みんな大困りなのだ。
確かに今なお、世界の各地で紛争は生じている。戦争によって、毎年多くの人が亡くなっている。人類の戦争の歴史を見てみれば、それは決して少ない数ではない。むしろ、19世紀までのどの時代よりも戦禍の中にある人の数は多い。
けれども同時に――世界の中で、平和を享受している人の数もまた、ケタ違いに多い時代なのだ。
今も地球では何十億人という人が、戦争とは無縁の生活を送っている。
平和であるとしても、個々の人間は貧乏であったり、失恋したりというのはもちろんある。個々の人間の不幸は、これはもうどうしようもない。
我々の住むこの世界はベストではない。
やらなくていい戦争や紛争を、間違った判断によって行う例は今も変わらずにある。
間違いや失敗は、なかったことにはできない。自分や自分たちの外に悪いヤツを見つけて排除する方法では、なくせない。
ちゃんと知り、ちゃんと学び、そして考えるべきなのだ。
どうすれば、次は失敗しないですむかを。
戦争を起きにくくしたはずの安全保障システムは欧米列強すべてを巻き込む第一次世界大戦を引き起こした。
その反省から生まれた戦争を防ぐためのヴェルサイユ体制と国際連盟はナチスの台頭と第二次世界大戦への道をむしろ舗装したようなものだ。
それらの失敗から生まれた国際連合と、米ソの超大国による軍事ブロックも、完璧ではなく、ほころびを見せつつある。
枷だけでは、足りないのだ。
戦争を止める方法、なくす方法を考えるだけではまだ足りない。
『終わりなき戦い』(ジョー・ホールドマン)を終わらせることができるのは、オリュンポスシステムでもデスノートでもアリシア人でもない。
常に正解はなく、常に間違い続けながらも――それを正そうとする。
己の失敗に学び続けることでのみ、次の戦争を止めることができるのだ。
……ところで、ガンダム00に一番近い部分での戦争の局限という点では代理戦争、儀礼戦争という考えがある。
『第81Q戦争』(コードウェイナー・スミス)とか『混淆世界ボルドー』(市川裕文)、『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ』(庄司卓)などのように、戦争をさらに洗練させてゲームという形にまでもっていく――というのもやはりSFならではの見果てぬ夢であろうか。
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