『機動戦士ガンダム00』のSFネタ解説その8:新人類
機動戦士ガンダム00を見て、出てくるギミックや台詞を元に妄想をたくましくしていくSFネタ解説シリーズも8回目。
今回は『新人類』を肴にホラ話をしてみたい。
いつものように、真面目七分にホラ三分、大嘘ついても小嘘はつくなの三割精神でやっていく。
初代の『機動戦士ガンダム』で登場した、ニュータイプ思想がある。
いわゆる、宇宙に出ることで人類の新たな革新とか進化とか、まあそんな感じのアレである。具体的には、額にイナズマが走って「見えるっ!」「そこだっ!」なわけであるが、なんであんな超能力めいたものが人類の革新なのであろうか。
それは、SFにおける『新人類』あるいは『人類の進化』テーマな諸作品と深く結びついている。
1950年代、60年代のSFでは、『スラン』(ヴァン・ヴォークト)とか『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)など、いろいろな新人類、および旧人類と新人類との相克を扱った傑作が誕生した。
猿みたいな猿人から人類への進化があったように。未来の人類も今の人類が猿のように見える存在になるに違いないという考えだ。
では、どこが進化するだろうか?
イメージしやすいのは、やはり脳だ。人間は脳が進化して知恵を手に入れた。新人類は、この脳がさらに進化するのではないのか。
だが、頭が良くなったというだけではちょっとドラマ的に物足りないし、物語にもしにくい。
そこで、進化した脳に超能力を与えてみたりなんかしたわけなのだ。
テレパシーで心が読めたり、サイコキネシスで物を動かしたり、あるいはテレポーテーションで瞬間移動をしたり。
これなら、派手であるしドラマも作りやすい。またわかりやすいので納得度も高い。
超能力を持つ新人類の中でも、ガンダムのニュータイプ的な、知覚やテレパシーに優れたESP系能力は人気が高い。サイキック系はパワー勝負なのだが、パワーだけなら人類はいろいろと便利な道具や技術を生み出している。別に超能力でなくてはいけない理由が乏しい=進化が促されない、という発想だ。
それに対して、ESP系は人類の持つ技術や道具では届かないコトができる。進化するならこっちの方向を埋めるというものだ。
さて、とはいっても。
新人類テーマにも流行はある。
特に、元のネタを書くべきSF作家たちは昔の無邪気な社会的ダーウィニズムのような間違った理論を使えなくなっている。読者も作者も知識がついてしまったわけだ。
そもそも、『進化』という概念には、進歩とか前進、発展というプラスイメージが強いが、それこそが間違った考えである。環境に適応するという視点では、トカゲが足を退化させて蛇になるのも立派な進化なのである。
人類に知恵がついたのはたまたまなのだ。人類の進化はむしろ二足歩行による効率の良い運動能力や、なんでも食える消化器官の発達という、ケダモノ部分の進化であり、知恵などそのおまけにすぎない。人間は進化した結果、野生を失って獣として弱くなっているなどという意見は大いに間違っている。人間は社会や技術とは無関係に、狩猟採集型のほ乳類としては、かなりハイスペックな生命なのである。
人間は神に近づくわけでも、遠ざかるわけでもない。ただのほ乳類として生まれ、いつか滅びる、それだけの存在である。『反対進化』(エドモンド・ハミルトン)のような逆進化ネタもダメというわけだ。
こんなドラマ的には盛り上がらない(盛り上がる人が限られる)コトをSF書いたり読んだりする人が知ってしまったせいで、現状、新人類テーマはかなりしょんぼりな形になっている。
その分、現状ではたとえば『ガンダムSEED』で描かれたような、人間の遺伝子をいじったコーディネイターとか、あるいはナノマシン、マイクロマシンを投与された人間の変化とか、はたまた電脳世界に自我が広がった人類の新たなフェイズがどうこうという、テクノロジーを利用した超人の作品が新人類テーマの代わりになっているのだ。
現在放映中の『ガンダム00』で登場した人革連の超人計画は、だから新人類テーマではなく超人テーマもの、『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)などのパターンになる。
このタイプで生まれるドラマは、社会や他の一般人との疎外感や、優越感と劣等感などで、これは情動に訴えるのに最適である。現在も我々の社会に根強く残る差別意識とも絡むので、そういうのが好きな人にはたまらないが、そんなのはリアルだけで十分だ、やめてくれという人もいたりして、なかなか難しい。
ガンダム世界からニュータイプが消えてしまったのは残念ではあるが、SFネタとして流行遅れになってしまったせいなので、諦めるしかなさそうだ。
だが、それでも私はときどき考える。
我々を『継ぐのは誰か』――と。
※おまけ
『継ぐのは誰か』小松左京さんの新人類……というわけではないが、そういう系統の作品。日本SFは、半村良さんの『岬一郎の抵抗』や、山田正紀さんの『最後の敵』などのように、進化テーマを、それによって消えゆくものへの哀悼という観点で描く作品が多くある。このあたりの寂寥感、無常感は、海外SFにはないタイプの楽しみのひとつだ。
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