石田衣良、作、『水の中の目』(『少年計数機』池袋ウエストゲートパークII所収)
『水の中の目』は、石田衣良さんの「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)2冊目の作品集『少年計数機』巻末に収めらた中篇。
採録4作の内で1番長く、文庫版で144頁、紙数では採録作の43%ほどに及んでる。
池袋界隈で、ストリートのトラブル・シューターとして知られるマコト(真島誠)は、意識して避けてきた組織暴力団からの依頼を受けることになる。
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『水の中の目』の物語は、ちょっと凝った編み方をされてる。
「七月二十一日、明日から夏休みにはいるという金曜日の夕方」店番をしていたマコトに、中学時代の級友で、今では、組織暴力団、関東賛和会羽沢組若衆(組員)のサル(斉藤富士夫)がPHSで通話してくる。今夜時間を作って組長と会ってくれ、という用件だった。
タカシ(安藤崇)も来ると聞き「それならGボーイズ絡みの話なのだろうか。何の用だといおうとしたら」切られてしまう。タカシは、マコトの元級友で、ストリート・ギャングGボーイズの“キング”をやってる。
その夜、マコトがタカシと指定場所に行くと、作中の池袋で勢力を競い合っている3大暴力団のトップが、一同に会していた。
サルの親分、関東賛和会羽沢組組長は、『エキサイタブルボーイ』で、行方不明になった娘を探す依頼をマコトにしたことがあった。『銀十字』で、マコトを頼ったキヨジの古いダチ(友人)でもあるらしい。豊島開発の社長は、中篇『少年計数器』でマコトの年下のダチになったヒロキの父親だ。関西系組織、聖玉社の里見裕造だけが、マコトと初対面。
マコトが呼び出される日までの10日ほど、池袋で暴力団の資金源になっていた売春スポットが、次々素性の知れない4人組に襲撃され、軒並み売上金を強奪されていた。「禁じられた商売の、あるはずのないあがりをさらっていく、四人組の強盗団」。面子を潰された暴力団は、なんとしても4人組を捕らえようとしていた。
「警察まかせにはできない。被害届をだせるような筋じゃないからな。そこで、安藤さんと真島さんのチームにも応援を頼みたい」
「別にかまわないけど、なぜおれたちなんですか」
「パーティーの受付が潰し屋の顔を見ている。まだ、ひどく若い男らしい。ガキといってもいいくらいだ。そっちはあんたたちの専門だろう」
非合法の風俗はガキの客でも千客万来というわけか。タカシはおれを見ると口を開いた。多田に負けない冷たい声だ。
「Gボーイズへの報酬は?」
お偉いさんは視線を交わしあった。
「三百でどうだ」
タカシはうなずいた。もともと金には淡泊なやつなのだ。三百万円の報酬に加えて、池袋の裏を仕切る三つの組に貸しを作れるなら、まったく悪い話ではなかった。だが、どんなにお得でも、おれには関係のない話。
「待ってくれ。おれはGボーイズのメンバーでもないし、その金とも絡んでない。そいつを確認しておいてもらいたい」
多田が不思議そうな顔をした、
「あんたも別口の報酬が欲しいのか」
「いいや。おれは金はいらない。だから、自由に動かして欲しい。そちらの組織にもGボーイズにもくっつかずに、おれはおれなりに動きたい」
背中がぞくぞくするような視線がおれに集まる。たいした貫禄だった。三匹のボスザメのいるプールに肉を抱いて飛びこんだみたいだ。
マコトはヤクザが嫌いで、暴力団の絡んだ依頼は、極力断ってきている。
『エキサイタブルボーイ』の依頼は、タカシに頼み込まれ、Gボーイズへの借りを返すため引き受けた。『少年計数機』では、ダチになったヒロキが誘拐されて、父親とも面識を得ることになった(元々、親がヤクザだからと言って、友達を選ぶような奴ではマコトはないし)。
ここで、金は要らないから、勝手に動かせてもらう、みたいに言い出したのは、マコトの意地のようなものに思える。
多分、それで、ボスたちとの会談が終わった後、タカシは改めてマコトに依頼する。「ヤー公からの注文のやっつけ仕事じゃなく」「〔この〕一件は本気でやってくれ」。
タカシによれば、4人組は、Gボーイズに加わっているチームも襲撃していると言う。「組織の金づるに平気で手を出し、Gボーイズのチームを真っ昼間に襲う」「命知らずの四人組」。
「今回おれは友人として頼みたい」と言うタカシに、マコトは「いいよ。打てる手はすべて打ってみる」と応える。
それでも「Gボーイズはパーティー潰しを見つけたらどうするつもりなんだ」と、聞くマコトに、タカシは「きついお灸をすえてやらなきゃならないだろうな」と言う。しかし、暴力団が先に見つければ、それでは済まないことも、あえて言葉にする。これもマコトの性分を良く知ってるタカシらしい駆け引きだ。
いつなくしてもいいと開き直ったパーティー潰しの命を、なぜおれがしゃかりきになって守らなければならないのだ。どこの誰かも知らないのに。メルセデスの滑らかなのり心地とエアコンの効いた静かなキャビンに、おれはだんだん腹が立ってきた。
「ウエストゲートパークにやってくれ」
むかついてそういうと、タカシがいった。
「気にするな。甘いのがマコトのいいとこだ」
そんなことをいわれても、ちっともうれしくない。
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こうして、マコトは、いつもより若干面倒な事情のある事件に、いつものようにボランティアで関わっていくことになる。そして、依頼された事件は、マコトにとっての個人的な事件とも深く絡まっていくことになるのが『水の中の目』の趣向だ。
『水の中の目』の冒頭に置かれた断章は、かなり読み応えがある。
長短様々断章を連鎖させて、豊富な文飾と、ストーリーのテンポを両立させるのが、石田作品の基本スタイルなんだけど。冒頭に置かれた断章が、物語内容のテーマと関連が強ければ強いほど、作品も面白い、そんな傾向が石田作品にはあるような気が、個人的にはしている。
水の中で目をいっぱいに開き、世界を見上げたことがあるだろうか。
〔中略〕
まだら模様のコンクリートの底に張り付き、粋をつめて水の天井を見あげる。水面にきらきらと反射する八月の日ざし、ちいさな波頭で弾けては結ばれる光り。友だちの誰かの手足が扇のように撒き散らす無数の空気の粒。夏休みの熱気もひんやりとカルキ臭い水中までは届かない。もしかしたらあの世から見ると、おれたちの生きてる世界はこんなふうに見えるんじゃないだろうかと、おれはよく考えたものだ。ものすごくきれいで、光にあふれていて、すべてがちょっとずつ歪んだ魅惑の世界。
〔後略〕
冒頭の断章で、マコトは今年の夏、間近に見た死をきっかけにした夢想について語っている。タカシやヤクザからの依頼で関わった事件と、マコトが間近に見ることになった死の関わりが、作品の深層で展開する物語だ。
『水の中の目』では、「その年の八月、おれは初めて長いものを書こうとしていた」時期のマコトが、本人の視点から回想されている。
「おれがストリートファッション誌に連載しているコラムは原稿用紙八枚。さっと斜め読みにして、ちょっと危ない小ものが転がった小部屋に入り、すぐ読みきって忘れてしまうにはちょうどいい長さだが、だんだんとそれだけでは物足りなくなってきた」んだそうだ。(この件は、連作を通して作品を読むときにも重要ポイントなんだけど、ここでは置いておこう)
実際にマコトが「長いものを書こうと」したのは8月のことだろうけど、「書くことのなかで、もっと登ってみたい、苦しんでみたいという気になった」のはもう少し前のことになるはずだ。この辺の時間差は、作品序盤の語りの内に記されてる。
「長いものを書きたい」と思ったマコトは、7月中からいろいろ準備をしていた。7月21日に、普段より面倒な依頼を受け、トラブル・シューティングをしていく内に、間近に死を見ることになる。その経験もひっくるめて、初めて、実際に長いものを書こうとしたのが8月のこと。
この物語の内容は、マコトが長いものを書こうとして考えたこと、思ったことが焦点になっている。
野暮なお節介になるけど。この作品、一読した後、冒頭の断章を、もう一度読み返してみると面白い。
文春文庫版の解説で、北上次郎氏も触れてられるけど、マコトのボディ・ガードの名目で暴力団から派遣される“肉屋”こと「バラけてる」が口癖の荒事師ミナガワが、印象深く描かれている。
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『水の中の目』は、単行本『少年計数器』刊行に際しての書き下ろし作品、とのこと。
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書誌情報:
石田 衣良,『少年計数機』(池袋ウエストゲートパーク),文芸春秋,Tokyo,2000.
ISBN 4-16-319280-8
石田 衣良,『少年計数機 池袋ウエストゲートパークII』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2002.
ISBN 4-16-717406-5
備考:
物語内の今=『水の中の月』で、サルがマコトを呼び出した7月21日から見ると、『エキサイタブルボーイ』で語られた出来事は「もう一年も前になる」(サルのセリフ)。
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