ネタバレ・レヴュー『水の中の目』(石田衣良、作)
この作文は、石田衣良さんの「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)『水の中の目』について、それなりにネタバレもした紹介文です。
ちょっとお節介な紹介文ではあるので、ネタバレが嫌な人などは、別に書いたネタバレを極力避けた紹介文の方を、よければどうぞ。
こっちの作文でも、不必要なネタバレを書く気は無いんだけど。この作文でネタバレをする事情については、最後に触れることにします。
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『水の中の目』は、I.W.G.P.2冊目の作品集『少年計数機』巻末に収めらた長めの中篇だ。
その年の八月、おれは初めて長いものを書こうとしていた。おれの実力からすればアロハシャツにサンダルばきでヒマラヤに無酸素登頂するようなもの。無謀もいいとこ。おれがストリートファッション誌に連載しているコラムは原稿用紙八枚。さっと斜め読みにして、ちょっと危ない小ものが転がった小部屋に入り、すぐ読みきって忘れてしまうにはちょうどいい長さだが、だんだんとそれだけでは物足りなくなってきた。工業高校を卒業してから読書に目覚めた奥手のライターにしては、高望みのしすぎだろうか。
上は、作品の冒頭、プロローグに相当するパートのすぐ後に置かれたマコト(真島誠)の語り。
『水の中の目』に限らず、「池袋ウエストゲートパーク」の連作本編は、いずれも、作中人物のマコトが関わった出来事が、マコト自身により事後の時点から整理した回想で語られる形式だ。
「その年の八月」は、連作を辿って読むと、マコトが書くコラム記事「トーク・オブ・タウン~街の噂」がストリート雑誌に載りはじめて、1年めが過ぎようとする頃とわかる。マコトのコラムが最初に雑誌に載ったのは『サンシャイン通り内戦』で語られた出来事の山場が過ぎた後のこと。
『水の中の目』には、マコトが自分のことを「雑誌にコラムなんかを書いてるセミプロのライター」と自己紹介をするくだりがある。
マコトの語り口は、一見、軽薄な印象に採れるとこも少なく無いんだけど。「雑誌にコラムなんかを書いてるセミプロのライター」って自己紹介は、この時期のマコトについて適確な紹介だと思う。マコトはTPOに併せて、そうした語り口も使い分けることのできるキャラなのだ。
ところで、「その年の八月、おれは初めて長いものを書こうとしていた」とあるけれど、物語のメイン・ボディで語られるのは、概ね7月下旬の出来事だ。8月に入ってからの出来事は、作品のエンド・パートのあたりで語られてて、文庫版で20頁弱ほど。作品全体では、14%ほどの紙数。
八月の第二週、おれの心のなかで、ようやくすべての片がついた。夏休みも真っ盛り。今年も池袋の夏はでたらめな日ざしと、でたらめに肌を露出した女たちでにぎわっている。
こっちは、作品の終わりの方に置かれた断章の冒頭で。ここから数えて3つの断章が『水の中の目』の、エピローグに相当するパートになると思える。(長短様々断章を連鎖させて、豊富な文飾と、物語のテンポを両立させるのが、石田作品の基本スタイル)
このエピローグ相当パートの直前の断章では、末尾に次のようにある。
おれにはどうすることもできなかった。どちらの事件も書くことさえできないのだから。
つまり、『水の中の目』の物語は、「書くことさえできない」事件(複数)の代わりにマコトに語れる事柄が紡がれたものになる。
「八月の第二週、おれの心のなかで、ようやくすべての片がついた」
アタシには、物語は、マコトの「心のなかで、ようやくすべての片がついた」後に、紡がれはじめたような気がするんだけど。「ようやくすべての片」をマコトが心の内でつける時期は、「八月、おれは初めて長いものを書こうとしていた」時期とも、ダブってはいるようだ。
つまり「おれにはどうすることもできなかった」と、マコトが納得するまでも、「書こうとしていた時期」に含まれるようにも思える。
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もう1度作品のはじめの方に戻ってみよう。
「その年の八月、おれは初めて長いものを書こうとしていた」
「工業高校を卒業してから読書に目覚めた奥手のライターにしては、高望みのしすぎだろうか」
だが、長いものを書くといっても、なにを書いたらいいのか、さっぱりわからなかった。おれには波瀾万丈の物語は書けそうもない。これまでのネタもみんな池袋の街で出会いがしらに衝突したものばかり、鮮度はよくても、たいして代わりばえしないネタだ。シーラカンスの刺身みたいな、世の中があっと驚く一品はだせそうもない。そこでおれは考えた。みんなが知らないことを書けなければ、みんなが知ってることを書けばいい。
この池袋の街で発生し、おれと同じようなガキどもがかかわっていて、しかも全国的に名を知られた事件。そいつをきちんと調べあげ、おれなりに書くのだ。〔後略〕
こんなふうに思ったマコトは、「物語の今」から3年前にマコトが住んでる「西池袋の隣町」で起きて、「全国的に名を知られた事件」の取材をはじめることにした。
生業は家業の手伝いだけど、ストリートのトラブル・シューターもやってるマコトが、『水の中の目』での依頼を受けるのは7月21日のこと。同日深夜、マコトは「全国的に名を知られた事件」の関係者から、インタヴューを受けるとの返事をPHSで貰う。つまり、取材申し込みはもっと前にしてたことになる。
だから、それなりに準備はしてたけど、実際に書こうとしたのは「その年の八月」って語りになってるのだろう。
〔前略〕これならなんとか調べられるとおれは軽率に判断をくだした。主犯の少年Aと従犯の少年B・Cは、好都合にもおれと同じ年。さらに下っ端のD・Eは年下なのだ。まあ、なんとかなりそうだ。
それが間違いの始まりだった。年がわかれば、その人間がわかるなんてまったくバカげた考えだよな。愚かなエイジズム。同世代だろうが、若かろうが、人間なんてみんなただの謎で、等身大のクエスチョンマークが服を着て歩いてるようなものだ。
なっ、あんただって自分のことなど爪の先ほどもわからないだろう。
「全国的に名を知られた事件」について「おれなりに書くのだ」と思っていたマコトだけど、それは軽率にくだした判断で「間違いの始まりだった」。マコトは、「全国的に名を知られた事件」についても「書くことさえできない」と思い知ることになる。
そんな語り手(マコト)が、紡いで見せたのが『水の中の目』って物語だ。
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紹介とは言え、これだけ書いちゃうと、これから初めて読んでも、冒頭のあたりで、かなり先が読めてしまうと思う。興ざめと思う人も出るでしょう。
ただ、『水の中の目』って物語の内容は、「書くことさえできない」とマコトが思ったのは何故かとか、書くことさえできない(とマコトが思った)」のはどんな事柄か、ってあたりと不可分な内容になってる。この辺の事情は『水の中の目』の、物語の構造(作品の構成ではない)を明かさないと、示せないことのように思う。
物語の内容は、ストーリー自体とは別レイヤーの事柄なんだけど、それでも、ストーリーは物語内容への入り口でもある。読者にとっての一般論としてそう言えるのだけど。『水の中の目』は、ことに語りの細かな網の目が丁寧に編まれた好編になっている。そんなわけで、この作文では、それなりにネタバレをさせた。
少なくとも、この作文で示したような視点を押さえて読むと、マコトの語りの端々が、より活き活きしてくるでしょう。あるいは、語り口の苦味や疼痛も伴って、物語の全体像がよく見えてくるはずと思います。
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『水の中の目』は、単行本『少年計数機』刊行に際しての書き下ろし作品、とのこと。
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書誌情報:
石田 衣良,『少年計数機』(池袋ウエストゲートパーク),文芸春秋,Tokyo,2000.
ISBN 4-16-319280-8
石田 衣良,『少年計数機 池袋ウエストゲートパークII』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2002.
ISBN 4-16-717406-5
追記:
別に記した覚え書でも触れているけど、アタシ個人のポリシーは、紹介文の類では、不必要なネタバレは避けた方がいいってもの。必要があればネタバレをした紹介文を公開することもある。
「ストーリーと物語の内容は別レイヤーの事柄」なんだけど、ネタバレは不必要にしない方がいい、っていうのがアタシの考え。
何故かと言うと。一般論として「ストーリーは物語内容への入り口だから」だ。
「ストーリーと物語の内容は別レイヤーの事柄」だけど、それでも読者は、ストーリーを読まずに物語内容を解すことはできない。
そこで、「読み解いていく楽しみ」を減衰させ得るネタバレを、不必要にはしない方がいい、とは思ってる。
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