石田衣良、著、『赤・黒〔ルージュ・ノワール〕』、シニカルなユーモアも楽しいアングラ・サスペンス
『赤・黒〔ルージュ・ノワール〕』は、石田衣良さんの長編小説。
非合法カジノのギャンブルにはまって借金まみれの30男、小峰は、アングラ・カジノの世界を教えられたヤクザ者、村瀬の誘いに乗って、非合法カジノの売上金強奪に加担。
絵に描いたような計画はどうにかこなせるが、金を山分けにする現場で、強奪団の内で一番気の弱そうな中年男が、首謀者(村瀬)を殺害してしまう。
石田流のテンポのいい語り口で、事態が2転3転していく展開がスリリング。
文春文庫版の腰帯表紙側には、次のように記されてる。
一瞬に全てを
賭ける!
池袋ウエストゲートパークシリーズでおなじみの
「サル」や「Gボーイズ」も活躍するアングラ・サスペンスの大傑作!
実は『赤・黒』は、「池袋ウエストゲートパーク外伝」と銘打たれた作品なんだけど。
I.W.G.P.(池袋ウエストゲートパーク)のシリーズ本編をまったく読んで無い人でも楽しめる。
もちろん、本編を読んでる人でも楽しめるけど。この作文では、I.W.G.P.の小説作品を読んでいない人を想定して、作品を紹介します。
(十分間で一千万、十分間で一千万)
小峰渉は心のなかで同じ言葉を繰り返していた。からからに渇いた口から唾液を絞りだし、何度ものどに送ろうとする。無駄だった。のどの粘膜は夏カゼでもひいたように熱っぽく、ざらざらした不快感が張りついている。
(こんなところでおれはなにをやってるんだ)
どうも、こうもなかった。こたえならわかっている。現金強奪だ。億を越える裏金を、やばい筋からごっそりいただく。冗談ではない。売れない映像ディレクターをしている自分が、強盗団の一味なのだ。三日前に村瀬のおいしい話に乗ったときから、そんなことは承知している。わかっていても足の震えがとまらないだけだ。
引用したのは、全編の冒頭。
テンポ良く、スリリングな語り口で、文庫判7頁強ほどを使って強奪場面が描かれていく。
主人公の小峰渉は、以前は、映像制作会社でディレクター職を勤めていた。「映像関係のプロダクションを渡り歩いた」男で、物語の時点では、フリーの、自称映像作家。
仲間と組んで「金持をみつけては、映画かビデオを作らないかと口説き、金を出させる。税金対策にはなるし、ときにはクズ企画が大当たりして、思わぬ金が転がりこむこともある」。年に何本か、そんな仕事をやって食べてるので、実際映像作家ではあるんだけど。100%いかがわしい世界との瀬戸際で、ギリギリひっかかってるようなとこはある。
で、そんな小峰が、裏金強奪なんかに手を染めて、いよいよ転落してく感じが、冒頭のサスペンスに、妙な納得力を加味してる(と、思う)。
小峰の過去を巡る設定描写も挟んで、文庫判28頁め頃までに、村瀬は射殺され、強奪金はさらわれてしまう。強奪金山分けがご破算になる場面には、内13頁ほどが割かれてる。
過去の描写が差し挟まれて緩急はあるけど、ジェット・コースターみたいなスピード感が楽しめる。
小峰は汗で背中に張り付くシャツを不快に感じながら、また徒歩で自宅に向かった。〔後略〕
のどがからからに渇いて、また冷めたビールが飲みたくなった。不思議なものだ。うまくいっても、しくじっても、夏はビール会社がもうかるようにできている。小峰は冷蔵庫の缶ビールと、誰かが撮った犯罪映画が恋しかった。
映画のなかでは、どんな犯罪もスマートで安全だ。村瀬のような不恰好な死も、ピンクのポロシャツを着た臆病な殺人者も出てこない。小峰は上手に編集された誰かの冒険を盗み見て、ささくれた神経を鎮めたかった。先の読めない話は、もうたくさんだった。
首謀者、村瀬の死体が残る現場から、誰にも目撃されないよう、緊張しながら自宅に戻る小峰。待っていたのは、アングラ・カジノを運営している羽沢組系暴力団の団員たちだった。暴力団員たちは、なぜか小峰が裏金強奪団の1人と知っていて、身柄を拉致する。
「このど素人が。ヤクザがすぐに人を殺すなんて思ってたのか。おまえの死体なぞ一銭にもならん。さっさとそこにサインして拇印押せ」
目の前にクリップボードを差し出された。コンピュータのプリントアウトで作られた借用証書だった。印紙も貼られ、氷高クリエイティブの社判も押されている。正規のものに間違いないようだった。小峰は金額の欄を見て、目をむいた。
50,000,000円
「うちはサラ金や商工ローンよりずっと良心的だ。利息は年二十%にすぎない」。
追い込まれた小峰は、腹立ちまぎれでヤケのようになって、羽沢組系氷高組の組長相手にまったくあてのないハッタリをかます。
自分も誰かにハメられた、とアピールし、自分を使って強奪された1億4千万を回収しないか、と持ちかける小峰。予想外の反応を面白がった氷高組長は、期限1ヵ月で、小峰たちもハメた裏の首謀者を探らせることにする。
お目付け役に氷高組の若い組員を付けられた小峰は、あてもない強奪犯探しに、取り組むことになる。
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冒頭の裏金強奪場面から、小峰が監視役を付けられるまでは、文春文庫版で43頁ほど。全編の14%ほどにあたる。
以降、しばらくは物語のテンポは目まぐるしいというほどでもなくなるけど。1ヵ月と期限を切られた小峰の、チリチリ炙られるような焦燥感や、先の見えない緊張感は続く。
小峰の監視役に張り付く若いヤクザ、斉藤富士夫(通称、サル)との絡みは、シニカルなユーモアが面白い。
「なあ、すっカタギのあんたが、なぜあんなことに手を出した? おれには、あんたはひどくまともに見えるよ」
「サルさんは、ギャンブルはやらないんだろう」
「ああ。ヤクザなんて、人生がギャンブルだからな」
「散々すったついてない夜の明け方、いちかばちかで最後の大勝負を張る。その瞬間はすべてのマイナスを、この一番で取り戻せるかもしれないと思うんだ。でたらめに気分はハイになる。だが、無茶な勝負をかけて、いい目がくるはずがない。結局はとどめの痛手をくらって、朝の街に出る」
「ふん」
サルは鼻息だけで返事をした。小峰は自分自身をあざけるように続ける。〔中略〕
「度胸もなかなかだし、頭も切れる。だけど、あんた、なにか大事なもんが一本抜けてんな」
「そうかもしれない」
十歳以上も年下のヤクザにいわれて、素直に小峰はうなずいていた。足りないなにかを探すために、自分はギャンブルにのめりこんだのだろうか。今のところ社会のはしごをでたらめな速度で駆け下りるだけで、なにも見つかってはいなかった。
皮肉っぽい視点が編みこまれてるけど、ドライな語り口に、ヂメヂメした自虐臭は押さえ込まれてて。それがシニカルなユーモアを生んでる。
『赤・黒』の語り口は、3人称的な文体が基本で、要所要所に実質1人称的な小峰の心情描写も編みこまれてる。珍しい手法では無いけど、この作品では3人称的なヵ所が、サスペンス感やシニカルなユーモアを生む効果をあげている。
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小峰はサルのツテを頼って、アングラ・ワールドのあちこちを探って回ることになる。
文春文庫版の腰帯に刷られた「アングラ・サスペンス」はその辺の趣向を指してるんだと思うんだ。
裏表紙には「緊迫必至のクライム・サスペンス!」って記されてるけど、クライム・サスペンスとしては、主人公の小峰が、プロの犯罪者ではないとこが、ちょっとだけ変わってる。
全編冒頭のパートには「不定期にやってくる怪しげな仕事で食いつなぐ小峰のような腐りかけの人間」って描写もあるけど。
アングラ・カジノには客として出入りしていた小峰は「腐りかけ」かもしれないけど素人。そんな30男が、若くて勢いのある裏社会の住人サルを相方に、得体のしれないマスター・マインド(裏の首謀者)を探って、都市社会の裏側をうろつくはめになる。期限1ヵ月の、探偵まがいの調査クルーズ。序盤以降は概ね、そんな趣向の物語。
小峰は「ひどく緊張すると周囲の風景をカメラのようにフレーミングする癖」があって、「切り取られた映像は脳のどこかに蓄えられ、しばらくは忘れることができなくなる」って、設定されてる。
そんな小峰の脳でフィルターされたような光景の描写が、要所要所でリアリスティックな描写に編みこまれてるのも楽しい。I.W.G.P.本編とは、又、別種の池袋描写なんだよね。もちろん、『赤・黒』は独自の光景描写が成り立ってる作品だけど。純然たる1人称視点からの本編の描写と対照して読むと、2度おいしい。
『赤・黒』の展開を少しだけ先取り予告すると、小峰たちをハメた真犯人が見えてくれるあたりから、物語の趣向はさらに大きく転じる。クライマックスを挟んだ終盤では、サスペンス感、スリル感が最高に高まって1気に読めちゃう。
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『赤・黒』の原形は、雑誌「週間アサヒ芸能」に連載されてたそうです。連載時期は「テレビドラマが放映されていた時期に相当する」(徳間文庫版解説)て話なので、2000年かな(?)。その後、単行本化に際して、大幅加筆改訂されたそうです。
細かなことになるけれど、2006年に刊行された文春文庫版の前に、2004年刊行の徳間文庫版もあって。
徳間文庫版では、石田衣良流で多数に分割された断章の間には、みな1行開きの空行が置かれてる。
文春文庫版では、本編文庫と同じように、断章の間には、簡素なカットがアイコンのように置かれてる。
読み易さについては、アイコンを置かれた文春文庫版の方が読み易いと思います。
(ちなみに、文春文庫版のアイコンは3種類のカットが機械的ローテーションで置かれてて。多分、長編作品のヴォリュームを意識してのことだと思う。『うつくしい子ども』の文庫版みたいにアイコンの種類が特別な指示機能を担ったりはしてないはず)
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書誌情報:
石田 衣良,『赤・黒 池袋ウエストゲートパーク外伝』,徳間書店,Tokyo,2001.
ISBN 4-19-861308-7
石田 衣良,『赤・黒 池袋ウエストゲートパーク外伝』(徳間文庫),徳間書店,Tokyo,2004.
ISBN 4-19-892013-3
石田 衣良,『赤・黒 池袋ウエストゲートパーク外伝』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2006.
ISBN 4-16-717410-3


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