『フェイト/ゼロ4 煉獄の炎』虚淵玄(ニトロプラス) 人生、宇宙、そして万物に対する究極の答えを求め続けた言峰綺礼が得たものは――42

 fate/stay nightの外伝である第四次聖杯戦争を扱った物語が完結した。
 原作の、そして虚淵玄のファンである私としては、大いに満足のいくお話であった。

 原作における『凛の父親の謎』に並ぶもうひとつの問いに
「なぜ切嗣は、聖杯の正体をセイバーに明かさなかったのか」
 というものがある。

 『OVA版ジャイアントロボ』における、フォーグラー博士の遺言のようなものだ。衛宮切嗣がもうちょっとちゃんとした形でセイバーに聖杯と聖杯戦争に関する情報を残しておけば、フェイト本編におけるぐだぐだは大幅に解消されていたはずである。

(※もっと重要で効果が高いのは時臣が凛にきちんと聖杯戦争に関する情報を継承することだが、こちらはおそらくエピローグの様子からして綺礼がイロイロと悪さをしていると考えられる――何より、遠坂のうっかり血筋からして時臣あたりは真実はナニも知らない可能性が高い。きっと何代か前に真実が抜け落ちているはずだ)

 が、この巻を読んで私は納得した。
 むしろ私としては、切嗣にグッジョブと言いたい。

 おそらく――
 対バーサーカー戦の後のセイバーでは、聖杯のおぞましさに気づけまい。
 英雄王がいみじくも言ったように、あの時点でセイバーは妄執に堕ちてしまっている。
 多くの犠牲をはらってきた。幾千もの死を、幾万もの涙を、数え切れない苦痛と悔恨を捧げてここまできたのに――諦めることなどできるはずもない、という理論である。
 だいたいこの手の、ギャンブルですったあげくに取り戻すために大勝負しようとか、戦争で負け続けているのに死んでいった英霊(サーバントではない)のために引けないとか、そういう理論が持ち出される時点でダメダメなのであるが、こういうダメダメな心理になった人間に、説得も理屈も通用しないのだ。

 あの時点のセイバーに必要なのは、問答無用な強制力であり、それを成せるのはただ令呪のみであった。切嗣はこの第四次聖杯戦争において最初から最後まで間違った行動しかしていないが、最後の令呪使用の決断だけは正しかったと思う。

 外伝として本編の補完においては見事な仕事をした一方、バトル面では4巻は大人しい感じがする。
 確かに、派手な宝具が飛び交う英雄王vs征服王戦とか、情念が渦巻く騎士王vs狂戦士戦とか、そして互いの死力を尽くした切嗣vs綺礼戦はそれぞれ読み応えはあるのだが――どれもかみ合ってないのである。

 かみ合っていない、というのは。
 この4巻では、ドラマがバトルを置き去りにしているのだ。
 1~3巻でのバトルはいかにも虚淵玄さんらしく、「おいおい、今からこんなにトばして大丈夫か」と言わんばかりの破天荒さがあった。
 バトルがドラマをリードするとは言わないまでも、バトルの勢いがドラマをもり立ててきた。

 が、決着がいよいよつくとなって。

 虚淵的なバトルは、ついにドラマを支配できなくなった。派手ではある。緻密に描き込まれてもいるが――「なるようにならない」とは、思えない展開であった。
 あり得ないとは思っていても、これまでのバトルで私は「セイバーが敗北してしまうのではないか」とか「ここでアーチャーが消えるのか」などという展開を脳に幻視してきた。
 しかし、4巻では最後まで「征服王が金ぴか英雄王に勝てるんじゃないか」とか「切嗣が綺礼を倒してしまうのではないか」などと、あり得ない展開を私が幻視することはなかった。むろんその分、征服王の最後にはバケツ三杯分くらい涙を流したが。

 こうして、第四次聖杯戦争は終わった。
 魔力にせよ知力にせよ戦闘力にせよ。
 ことさらハイスペックを誇るくせに、いや、だからこそか――あまりに心の弱い英霊たち、魔術師たちは、ことごとく聖杯戦争で敗北し、消えていった。

 消えずに残ったのは、己の心の弱さをすべて認識した上で、それを上回るワガママで補強した金ぴか英雄王と、言峰綺礼のふたりだけ。
 特にこの巻で長年追い求めていた答えを得た言峰綺礼のはしゃぎぶりは、見ていてすがすがしい程である。この記事のタイトルにもあるように「42」という究極の答えだけ得た綺礼はこの後、問いの方を探すことになる。

 彼の迷惑な問答を止めるのは、第四次聖杯戦争で打ち砕かれた切嗣が助けた士郎と、第四次聖杯戦争では答えも救いも得ることがなかったセイバー。

 そして、誰よりも勝利に近いところにいながら致命的なうっかり属性を発動して無駄に無意味に無価値に消えていった遠坂時臣の娘、凛が成し遂げるのである。

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