石田衣良、作、『キミドリの神様』(『骨音』池袋ウエストゲートパークIII所収)

『キミドリの神様』は、石田衣良さんによる「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)連作の1本。本編3冊目の作品集『骨音』に採録された中篇で、採録4作の内、3番めに収められてる。

「池袋一のストリート探偵に頼みたいことがある」
“寒さもゆるんだ三月のなかば”、突然、マコト(真島誠)の携帯に電話を入れてきたのはNPO団体の代表オコノギ(小此木克夫)。
「うちのセンターの若い人からきみの名前を聞いた」と言うオコノギ氏は、「この街に暮らしている人すべてのトラブル」の解決をマコトに依頼する。

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 果物屋の店番をおふくろさんと交代したマコトは、夕方のウエストゲートパークで“歩道をぐるっと走ろうか”とか思ってたところでオコノギ氏からの携帯を受けた。すぐにあってほしいって要望に、マコトは、パークに面したビルの7階に入ってるNPO「いけ!タウン」のセンター(本部事務所)を訪れる。

スマップ稲垣吾郎みたい”な“嫌味のないキザ男”ってのが、マコトが初対面のオコノギ氏に覚えた印象だった。
 依頼は、「いけ!タウン」が発行してる紙幣型の地域通貨“ぽんど”の偽札をつくった犯人探し。それに、秘密裏に偽札づくりをやめさせるって内容。

「なぜ警察ではだめなんだ」
 オコノギは眉の間のしわを深くした。ぽんど札と同じ黄緑のネクタイの先をいじりながらいう。
「ぼくたちの地域通貨はまだ生まれたばかりだ。きみはなぜ金が、紙切れでなく通貨として価値を持つか知っているかな」
 経済学はおれの専門外。黙っているとやつはいう。
「他の人間も同じ価値のあるものとその紙切れと交換してくれると、みんなが信じているからだ。みんなが信じることを信用力という。ぼくたちのぽんどは、まだ信用力が弱いんだ。〔中略〕ぽんどには円と違って、日本政府のような強力なバックはない。だから、この偽札騒ぎは誰にも知られずに解決したいんだ。池袋の人たちには公表したくない。それにそのイラストを見て、きみはなにか感じないか」
 感じた。ヤンキーの兵隊が爆撃機の先に歯をむき出して笑うミサイルの絵を描くのと同じ趣味だ。明るく乾いた皮肉な悪意。

(ここで話題になった「そのイラスト」は、偽札の隅にルーペで見ないとわからないくらいのサイズで描かれた、牙をむいたアオガエルのイラストのこと)

〔前略〕明るく乾いた皮肉な悪意。
「たぶん、こいつを描いたのは調子にのったガキだな」
 おれみたいにとはいわなかった。オコノギは重々しくうなずく。
「そうだ。それにうちのNPOの主力になっている年齢層でもある。もしかすると犯人はこのなかにいるかもしれない」
 今度はため息をついて、おれがうなずく番だった。
「秘密にしたい理由がわかったよ。でも、おれにはまだひとつわからないことがある」
 オコノギは先をうながすように、おれに手のひらをむけた。
「いったい全体なんで自分たちで金なんか発行しようと思ったんだ」
 キザで冷静、それにちょっと疲れたNPO代表の目に炎がはいるのがわかった。声に若々しい張りがもどる。〔後略〕

 地域通貨“ぽんど”は、NPOのセンターに登録したメンバーが、マッサージ、犬の散歩、スーパーへの買い物代行など、空き時間を使ったちょっとしたアルバイトの対価としてやりとりするって狙いで発行されていた。

“ぽんど”出始めの頃には、「うまくいくはずがないと、みんな笑っていた」けど。オコノギ氏がマコトに依頼をした頃には、登録メンバー数は6千人を超えて増大していた。
 物語の先の方で語られるんだけど、“ぽんど”が発行されだしたのは「去年の夏頃」らしい。
 偽札事件は、成功した地域通貨についてのインタビューをしに、メディアがひっきりなくセンターに押しかけて来るようになった頃、発生したのだった。

 オコノギ氏の前向きさを気に入ったらしいマコトは、依頼を引き受ける。
“この街のガキ千人に新しい仕事をつくれるなら、おれは一年間ただ働きしたってへっちゃらだ”。

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 実は、オコノギ氏に、偽“ぽんど”札事件の探偵役として、マコトを推薦したのはタカシ(安藤崇)だった。
 「池袋の少年たちの親睦団体を代表してる」といってNPOセンターに出入りしているタカシは、「きみのことを高く評価していた」とオコノギ氏。
“若い女たちでも街の噂でもなく”タカシの推薦と聞かされたマコトは、ガックリ脱力してた(笑)。
“考えてみるとストリートギャングの集団だって、非合法NPOには違いないだろう”。

 タカシは、“ぽんど”のことを「この街の金」と呼ぶ。

「おれだってどこかの外国人がいくら一万円札を偽造しようが、痛くもかゆくもないさ。だが、ぽんどは違う。あれはこの街の金だ。Gボーイズ&ガールズで、あのNPOに登録してるやつが二百人はいる」
 初耳だった。昼間はサンシャイン通りをジーンズの裾をこすりながら流し、夜はクラブでよだれをたらして踊るガキどもがボランティアだなんて。携帯のノイズまじりの声が引き締まるのがわかった。
「いいか、マコト。ぽんどに傷をつけるわけにはいかない。うちのチームをいくつつかってもいい。偽札づくりをあげてこい」

“いわれなくてもそのつもりだった”と、“久しぶりにやる気になった”マコト。

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 依頼を受けてから1週間ほどの出来事が、作品のメイン・ボディで語られる。
 Gボーイズの側からの全面バック・アップや、NPOセンターの根回しもあって、マコトの調査は、いつもより軽快に展開。マコト自身“すべてスムーズに運ぶ。いつもこんなふうならいいのに”とか、思ってるくらいだ(笑)。

 ストーリー面では、マコトは、オイシイとこを、ちょっとタカシに食われすぎかな?
 そんなとこもあって、この作品、小説I.W.G.P.のファンの間でも、好き嫌いが別れる方かもしれない。

 例えば、オコノギ氏のキャラを気に入るかどうかで、好き嫌いが別れたりもするでしょう。
 何しろ、最初に電話ではじめてオコノギ氏の声を聞いた時のマコトの印象は“育ちもよく金もちで、おまけにハンサムなエリートサラリーマンを演じる役者のような声”。
 NPOのセンター事務所で、明るくにこやかでいきいき働くボランティアたちにも“ちょっとつくりものの情熱って感じ”を感じとってる。

 正直言うと、アタシ(紹介者)としても、もう少し長い物語で読みたかった作品です。でも、嫌いにはなれない一編。
 例えば、物語の中盤で、マコトがオコノギ氏に報告をするシーンなど、読みどころは少なく無い。

〔前略〕
「だけど、不思議だな。こうして池袋の街を見ていると、NPOを立ち上げたころと、なにひとつ変わらない。ぼくはちょっとばかり有名になったが、それは悪いことも同時に引き寄せてしまった。ずっと理想に燃えていたけれど、いつのまにかそれが世間むけのポーズとすり替わったのかもしれない。ぼくは自分の奥深くにまだあのころの火が燃えていると信じてる。だけど、こうしてよいことも悪いことものみこんで、毎日が続いていくのだろうね。これが公益を守るということなのかな」
 陸橋のうえを生きもののような風が吹いていく。この汚れた世界に縛られた体重が半分になったように感じられる春の夜風だ。オコノギの白いジャケットが濃紺の空を背に丸くふくらんだ。天使の翼といったらいいずぎだろうか。だけど一瞬おれにはそんなふうに見えたんだ。
「今回はそんなに働いていないから、残りの半金はいらないや。でも、オコノギさん、もしなにか困ったことがあるなら、すぐにおれに電話してくれ。この街を思う気持ちがあんたにあるなら、おれはいくらでも手助けするよ。これからもさ」
 おれはそれだけいって、さよならをいわずに歩きだした。まだ夜は早い。うちの果物屋の閉店時間だってまだだった。おれは明かりの暗い道を選びながら、ゆっくり春の池袋を帰った。

(引用したのは物語中盤で、なんとか決定的なネタバレは避けてます。この後、クライマックスへのもう一波乱があるし)

 こう言ったらなんだけど、依頼主への報告に気を使うのって、まるでハード・ボイルド小説の探偵みたい。
 別にマコトをハード・ボイルドなキャラにしようとか、作者は思ってないはずだけどね。

“さよならをいわずに歩きだした”マコトが、“明かりの暗い道を選びながら”ゆっくり帰ることにした気持ち、アタシはまだうまく名指すことができないでいるんだけど。気分はわかるつもりだし、いいと思う。

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『キミドリの神様』の初出は、「オール讀物」2002年5月号、とのこと。

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書誌情報:
石田 衣良,『骨音』(池袋ウエストゲートパーク3),文芸春秋,Tokyo,2002.
ISBN 4-16-321350-3

石田 衣良,『骨音 池袋ウエストゲートパークIII』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2004.
ISBN 4-16-717408-1

備考:
物語内の今=『キミドリの神様』の物語内で語られる出来事は、主に、ある年の「寒さもゆるんだ三月半ば」から1週間ほどの出来事。エピローグ相当パートでは、「四月の初め」頃までの出来事が、飛び飛びに回想される。
連作を通じた時間経緯は定かでは無いが、『西一番街テイクアウト』で語られた出来事よりは、後のこと、と思っておくのが、素直な読み方だろう。
語り手の今=語り手の今は、あまり細かくは特定できない。物語で語られた一連の出来事よりは後であるはずだが。あるいは、エピローグ相当パートで語られた「四月の初め」であるかもしれない。この点は、連作の内では珍しい。

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