石田衣良、作、『東口ラーメンライン』(『電子の星』池袋ウエストゲートパークIV所収)

東口ラーメンライン』は、石田衣良さんによる「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)連作の1本。本編4冊目の作品集『電子の星』に採録された中篇4作の1つで、巻頭に収められてる。

 マコトは、ストリート・ギャング、Gボーイズを「卒業」したツインタワーからの依頼を受ける。数ヶ月前、双子の兄弟が池袋東口に開店したラーメン屋が、悪質な嫌がらせを受けていたのだった。

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 以前は、Gボーイズでタカシ(安藤崇)側近のガードみたいな雰囲気だったツインタワー1号、2号は、「東通りを入ってしばらく」の辺りに、「カウンター席が一列に十二ならぶだけのシンプルな造り」の店、「七生」を構えていた。
「七生」は、タモツ(小倉保)とミノル(実)が、自分たち双子の生まれた7月に、ちなんでつけた店名だそうだ。

 南池袋交差点を中心にしたラーメン激戦区の端に出された小さな店は、7月に開店してしばらくすると、短くてもラーメン・マニアの行列(ラーメンライン)ができる程度に、賑わっていた。
 ところが、タカシからの携帯で呼び出されたマコトが数ヶ月ぶりに店に行くと、七生の前にラーメンラインが見当たらない。近くの店にはしっかり行列ができているのに。

 七生は、インターネットや口コミで悪質な嫌がらせを重ねられていたうえ、閉店後店の前に生ゴミを撒かれるなどの業務妨害を受けているのだった。

「マコトへの依頼の筋はわかるよな」
「悪質な噂で営業妨害をしてるやつらを見つけ、きついお灸をすえること」

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『東口ラーメンライン』はシンプルな物語で、サクサク読める。

 楽しんで一読する分には、I.W.G.P.の他の小説と、あまり遜色ないだろう。

 ただ、2読、3読と再読を重ねると、やや喰い足りない感じもしてくる……と、思うのだけど。

 何しろ、事件が落着した後、マコトはタカシに「いいところはすべて、ツインタワーの双子とアズミって女にさらわれたな」とか言われてるくらいだ。

 タカシは今回の話を最後まできいておれを笑った。
「いいところはすべて、ツインタワーの双子とアズミって女にさらわれたな」
 そのとおりだが、別におれはくやしくなかった。だいたいおれの性格はわき役向きにできているのだ。
〔後略〕

 アッサリ味で、少し喰い足りない気もしないでもない『東口ラーメンライン』だけど。作品集も4作めなので、内にはこんなお話もあって構わないのかもしれない(?)。

 それに、この物語は、『西口ミッドサマー狂乱〔レイヴ〕』の出来事が起きた、ほんの数ヶ月後の出来事、と読者が特定できる語りも物語内にあるので。
 ぶっちゃけ、いくらI.W..P.の池袋でも、そうそう派手な事件ばかりが続いたら、住民もたまんないわよね、って気はする(笑)。

 それより、スネーク・バイトのドラッグ騒ぎが作中の池袋と東京を騒がせた8月、タモツとミツルの兄弟は、ラーメン屋を軌道にのせるべく頑張ってたのよね。そんなふうに思うと、アタシ(紹介者)は、ヂンワリ地味な感動を覚えたのだった。

 連作を通して読むと、雑誌のコラム・ライターも板についてきた感じのマコトが、トラブル・シューティングに第3者のように、傍観者的に近い感じで関わった物語、として読める。

 マコトがボランティアでトラブル・シューティングなんかを続けてるモティヴェーションについてアレコレ考えると、ちょっと特別な1編に思えるけれど。これは連作を通して読む場合のお話になる。
 ただ、作品集『電子の星』全体も、セミプロのコラム・ライターであるマコトと、ボランティアのトラブル・シューティングとの間の隘路が、いよいよ狭くなってきた、そんな作品集として読める。

 そういう視点で見ると、『東口ラーメンライン』が作品集の巻頭に置かれていることも、アタシには妙に腑に落ちた。

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書誌情報:
石田 衣良,『電子の星』(池袋ウエストゲートパーク4),文芸春秋,Tokyo,2003.
ISBN 4-16-322390-8

石田 衣良,『電子の星 池袋ウエストゲートパークIV』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2005.
ISBN 4-16-717409-X

備考:
物語内の今=語られる主要な出来事は、ある年の10月の終わりから、1週間ほどの出来事。おそらく1週間に満たない期間の出来事だろう。
この10月は『西口ミッドサマー狂乱〔レイヴ〕』で語られた出来事が起きたのと、同じ年の10月であることを特定する手がかりが、物語内にある。
作品末尾のエピローグ相当パートでは、11月の出来事と、もしかしたら、11月よりも少し先かもしれない不定の時期の出来事とが語られている。ただし、エピローグ相当パーツの出来事の時期は不定であっても、おそらく、メインで語られた出来事と、おなじ年の内の出来事だろうと思える。
語り手の今=語り手の今は、エピローグ相当パートで語られた出来事が起きた時点よりは後。ただし、同じく年内の事と思える。どれくらい後かは定かでは無いが、エピローグの物語内の今よりも、さほど後とも思えない印象の語りがなされている。
エピローグ相当部分中盤以降の語りは、不定の時制の現在進行形のような効果で語られている。この語り口の方が、いつ頃かの特定よりも重要と思える、そんな語り口ではある。

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