著作複製権VS記憶する権利
「脳記憶に記録することは複製権の侵害です」――そんな訴訟が起きる時代も来るのかもしれません。
これも『ポスト・ヒューマン誕生』を読んでいて考えたことの一つだったりしますが、将来的には人間の強化と著作権との整合性は取れなくなりそうに思われます。計算機環境を身体に融合させた未来の人類にとって、電子的複製と閲覧記憶とは一体化した不可分な行為となるからです。
将来的にサイボーグ的強化が行なわれた人間にとって、記憶と記録の間に差違は無くなるわけです。例えば人工網膜を実装するにあたって、それを処理して信号にするというのは、映像の一時的固定であると言うことができるわけですよね。これは「ブラウザのキャッシュも複製ではないのか」という問題の延長として、将来の拡張人間にとって気になる問題だと思います。
また、全体験を電子的に記録するというムーブメントもありますが、あれも著作権とはカチあうものですよね。映画館を視覚内容を記録したまま見ることは、著作権法の改訂により禁止される可能性が有るわけです。
現行の「私的使用のための複製」を制約なく運用できるのであれば、人格の融合統合が問題になる時点までは「機械的部分も含む自分自身への記録」は支障ないという解釈になりますけど。どうもこうデジタル記憶に対しては制限する方向で動いてますからね。
どこまでが拡張された「個人」なのか、個人の自己統制権はどこまで通用するのか。これから先、たいへん問題になりうると思います。著作権がどこまで適用されるべきなのかというのは、その一例となることでしょう。
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