石田衣良、作、『ワルツ・フォー・ベビー』(『電子の星』池袋ウエストゲートパークIV所収)
『ワルツ・フォー・ベビー』は、石田衣良さんによる「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)連作の1本。本編4冊目の作品集『電子の星』に採録された中篇4作の内、2番めに収められてる。
物語内の今から5年前に、西一番街近くの東京芸術座裏で起きた殺人事件の調査を、マコトは被害者の父親から頼まれる。
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5年前の12月27日の深夜1時、池袋の東京芸術座裏で起きた殺人事件は、物語内の今でも未解決。
当時、池袋のストリートでは、“ひと月ほど話題になったが、死んだのが地元の人間ではなく犯人もわからなかったから、立ち消えになってしまった事件だった”らしい。
芸術座に歩いて5分ほどの西一番街に住むマコトも、深夜、建物裏のテラスで蝋燭を灯して座り込んでたオヤジと話をするまで忘れてた、そんな事件だ。
“氷水のような十二月の夜、しっかりと厚着をして散歩するのが好きな”マコトは、“あのおかしなオヤジ”、殺人事件の被害者トシの父親と知り合う。南条というオヤジは、個人タクシーの運転手をしていた。
「すまないが、あんたはその時間にどこでなにをしていた?」
五年前といえば、おれはまだ地元の工業高校の悪い生徒だった。〔中略〕もちろん五年前の「そのとき」のことなど正確に思い出せるはずがない。おれは白い息をはいていった。
「悪いけど、覚えてないよ。ここでなくなったのは誰だったのかな」
オヤジはおれのことをじっと見つめた。歩道より高いテラスなので座っていても視線の高さはほぼ同じだった。悲しい目がなにかを探すようにおれの足先から頭のてっぺんまでゆっくり上下した。
「今生きていたら、あんたくらいの年だったかもしれない。背もあんたくらいだな。利洋〔トシヒロ〕はおれのたったひとりの息子だった。
その言葉はまっすぐおれの胸のまんなかに刺さった。そのオヤジもおれの父親が生きていたら、そのくらいだろうという年恰好だったのだ。〔後略〕
トシヒロは「上野のアメ横ではちょっとした顔だった」奴で、「今でいうストリートギャング」の頭だった。
しばらく話をした別れ際、マコトが地元の人間と知った南条は、“思いついたように”ギャングやチンピラに、それとなく五年前の話をきいてみてほしい、と頼む。
「いいよ、ちょいと話をきいてみるよ、南条さん」
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『ワルツ・フォー・ベビー』は、丁寧に編まれた物語で、読みがいがある。
じっくり読むと、こくのある味わいで、アタシ(紹介者)は好き。もう一言言っちゃえば、『電子の星』採録4作の内では、1番好き。ただの好き嫌いを言ってもしょうがないのは、わかってるけどね。
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“池袋のストリートギャングなら、おれが知らない顔はなかった”マコトは、頼みを引き受ける。
“今回のような件では、おれにできることなどほとんどないのだ。できることは警察がすべてやっている”ので、Gボーイズを通じて、5年前のことを“ちょいと話をきいてみる”程度のつもりだった。
マコトにしてみれば、トラブル・シューティングの依頼を受けたの、受けないのってレベルの話じゃぁない。
トシヒロの命日の夜、芸術座裏に花を供えに行ったマコトは、アメ横のチーム「アポロ」のメンバー、そして、南条や、南条の孫アキヒロと、アキヒロの母親、松田晴美らに会う。「アポロ」は、トシヒロが結成して、初代の頭をやってたチームだった。
〔前略〕ストリートギャングのガキどもはなぜか身内には妙にやさしく男気のあるやつが多かった。おれのコラムにも使えるいい話だ。どうせ毎日ひまなのだから、もうすこし南条親子三代のことを調べてみようとおれは思った。うまくまとめられるなら、コラムではなく短いノンフィクションにして、雑誌社にもちこみをしてもいい。
おれは毎月八枚のコラムを書くことに、ちょいと飽きを感じていた。もっと広いフィールドでなら、おれの冴えない文才だって、もしかすると別な種類の輝きを見せるかもしれない。
誰にだってうぬぼれはあるものだ。
マコトがコラム「トーク・オブ・タウン」を連載してるストリートファッション誌「ストリートビート」は、“大手出版社の雑誌ではないが、このところ急に部数を伸ばして、たいていのコンビニにおいてある”雑誌になってたようだ。
マコトは、トラブル・シューターとしてでなく、セミ・プロのコラム・ライターとして、アメ横に取材に行く。アメ横のストリートには、「トーク・オブ・タウン」の真島マコトを知ってるヤツは何人もいる雰囲気だったけど。
「あんたのコラムは好きだけど、協力はできない。トシさんについて書くのはやめてくれ。迷惑だしみんながもう忘れていることだ。昔のことはほじくり返すな」
〔中略〕
「トシさんについては、もうなにも話すつもりはない」
〔中略〕
いいだろう。誰かが秘密にしたいなにかがあるなら、おれが揺さぶりをかけて徹底的に洗いだしてやる。いい文章を書くのは苦手でも、水のなかの魚のように街をうろつくのはおれの得意技だ。
ばかな話。なにも知らないというのは、いつだっていい気なものである。
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『ワルツ・フォー・ベビー』は、ルポルタージュ・ライターなら避けて通れないだろう類の試練を、セミ・プロのコラム・ライターであるマコトが、なんとかしのいだ物語になってる。
いや、ライターとしてはしのげなかったのかもしれない。
だって、マコトは、“おれのコラムにも使えるいい話”なんて書けなかったはずと思えるから。その代わりに語られたのが『ワルツ・フォー・ベビー』の物語。
例えば、物語の中盤、マコトが生前のトシヒロについて、自分が調べたことを、松田晴美に“確かめ”ようとした場面とか、読みどころだ。
「あんたになにがわかるのさ」「そいつはあんたが書く作文みたいに簡単なことじゃない。締め切りも終わりもないただの垂れ流しの人生なんだ」
コラム・ライターって言ってもいろいろあって。いわゆるエッセイの類を書いてるだけなら、回避できるかもしれない試練にマコトは突っ込む。“短いノンフィクションにして、雑誌社にもちこみをしてもいい”とか思ったんだから、自業自得。
作品最後の断章も読みがいがある。
「おれがあんたの息子だったら、あんたのことを誇りに思うよ」
「汚いものを美しく書きすぎる」ってのは、『少年計数機』で、タカシがマコトのライティングを評したコメントだけど。
アタシに言わせれば、しばしば話を綺麗にまとめすぎるのが、マコトの語りの悪い癖。
ただ、マコトが、もし息子だったら「誇りに思う」って言った、南条の選択が、一言で要約できるほどシンプルな選択では無かったことも、物語を読めばわかるはず。
『ワルツ・フォー・ベビー』の物語は、どちらかと言えばスタンダードな物語だけど、言葉が丁寧に編まれてて、2読、3読、と再読するほど味わいが増す。
そこがいい。
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書誌情報:
石田 衣良,『電子の星』(池袋ウエストゲートパーク4),文芸春秋,Tokyo,2003.
ISBN 4-16-322390-8
石田 衣良,『電子の星 池袋ウエストゲートパークIV』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2005.
ISBN 4-16-717409-X
備考:
物語内の今=語られる主要な出来事は、ある年の12月下旬のある日から大晦日の深夜を経て、元日の未明にかけての出来事。おそらく1週間前後の出来事で、長くても10日ほど、2週間には渡っていないように思える。
この「ある年」は、2002年(平成14年)と想像される。
連作間の前後関係を、直接特定する手がかりは作中には見当たらない。『東口ラーメンライン』で語られた出来事が起きた年の年末の出来事、と思っておくのが素直な読み方だろう。
語り手の今=語り手の今は、エピローグ相当パートで語られた出来事が起きた時点よりは後。「ある年の翌年(2003年?)」1月1日以降のいつかになる。物語内の今から、どれくらい後かは定かでは無いが、さほど後とも思えない印象の語りがなされている。
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