石田衣良、作、『黒いフードの夜』(『電子の星』池袋ウエストゲートパークIV所収)

黒いフードの夜』は、石田衣良さんによる「池袋ウエストゲートパーク」(I.W.G.P.)連作の1本。本編4冊目の作品集『電子の星』に採録された中篇4作の内、3番めに収められてる。

 3月半ば、マコト(真島誠)は、ミャンマーから、おそらく政治難民として日本に逃れてきた一家の少年と、友達になる。
『黒いフードの夜』は、マコトが、少年と交わした約束をまもろうと、トラブル・シューティングをする物語だ。

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『電子の星』採録4作の内で、『黒いフードの夜』は、気になるところの多い作品。この「気になる」は、概ねはいい意味。
 ただし、読んだ人によって、割と、評価が別れ易い作品だとは思える。

 事件も、トラブル・シューティングのやり方もマコトらしい。ボランティアで経費持ち出しだし。
 じゃあ、何が「気になる」のか、って言うと。
 例えば、クライマックスにあたる部分の直後、タカシ(安藤崇)は、マコトのことを「おまえは、正しいと自分が信じたことのためなら、どんなやばい手も平気で打ってくるな。危ないやつだ。お前とおれは、案外似たもの同士なのかもしれないな」とか言ってるとことか。

 マコトがタカシと「案外似たもの同士」かは、判断がわかれるかもしれないけど。「正しいと自分が信じたことのためなら、どんなやばい手も平気で打ってくる」、こっちは言えてる。
『黒いフードの夜』は、「ボランティアのトラブル・シューティング」のやばさが描かれた物語になってて。たとえばそんなところが気になる。

 主人公や登場キャラの言動を、あれこれ考えながら読むと読みがいがある作品。マコトは語り手キャラなので、登場キャラの間でも特別(特権的)なんだけど。

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「待てよ。お前どこの国からきたんだ。名前は」
 小柄な少年はあわてて振りむいた。表情がぱっと明るくなっている。
「ビルマからきました。名前はサヤー・ソーセンナイン」
 おれは白いポリ袋にバナナの山を落として、男の子にさしだした。
「いいよ、サヤー。もってけよ」
 そこでおれは信じられないものを見た。ビルマ人の少年は汚れた西一番街の歩道にひざをつき、おれに両手をあわせ頭を深々とさげたのだ。おれはそんなことを人からされたのは初めてだったので、口をあけたまま見ていた。〔後略〕

 引用したのは、サヤーが、マコトの実家、西一番街の果物店を2度目に訪れた時の回想。

 3月半ばのある日、マコトが、店先でパイナップルのカット・フルーツを作ってるとこにやってきた少年は、切り出されたパイン屑を、捨てるならもらえないかと頼んだ。「妹たちにたべさせてあげたいんだけど」
「こんなのでいいならもっていけば」と、言ったマコトの名をたずねた少年は、礼を言って去っていった。
「今度お寺にいったら、マコトさんのこともお願いしておきます。ありがとう」

 マコトの方は、“十人にひとりは外国人”の豊島区で、“ちょっと変わった異邦のガキとの出会いなんてありふれてる”とか思ってたけど。
 少年とはもう会うこともないだろう、くらいに思ってたマコトの予想に反して、翌日も少年は果物店にやってきた。さっき引用したのは、2日めの出来事の描写からだ。

「おいおい、今日はなんだよ」と言ったマコトに、少年は、「おかあさんがお礼をいってくれ、といってました」と応えた。
「ついでに……」といいにくそうにしながら「……今度はバナナでももらえないかって。ごめんなさい、あの、うちはお金ないんです」、と続けた。

「〔前略〕ごめんなさい、あの、うちはお金ないんです」
 あまりに正直なひと言におれは笑ってしまった。店先を見回せば、黒死病にかかって瀕死状態のフィリピンバナナが、ひと山五十円でザルに積んである。おれもふざけてやつにむかって両手をあわせた。こんなことをしていたらおれまで敬虔な小乗仏教徒になっちまいそうだ。
「おれんちも金はあんまりないよ。おまえ、五十円ももってないのか」
 男の子はあわてて首を横に振った。
「あるけど、つかえないお金だから。じゃあ、今日はいいです」
 会釈して帰ろうとすした少年におれは声をかけた。
「待てよ。おまえ、どこの国からきたんだ。名前は」

 こんなふうに、マコトとサヤーは2日かけて互いに自己紹介をした。

 マコトは、「いったいなにをやったんだい」と言うおふくろさんに、「ひと山五十円の腐りかけのバナナだよ。さい銭をやったと思えば安いもんだろ。おれたちの分も神様に祈ってくれるってさ」って言うけど、睨まれる。
 この辺は“どうせ貧乏人は互いに盗みあい、助けあうものだ”とか思ってるマコトらしい。

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 さらに次の日(最初にサヤーと会ってから3日め)から、マコトは“商売ものを捨てるまえに、まだくえるか調べるのが癖になってしまった”。
“どうせ生ゴミになるだけなのだから、サヤーの家族がかたづけてくれるなたほうが果物にとってもうれしいというものだ”。

 さほどたたない頃、マコトは、サヤーが男性同性愛の売春をしてるって気づいて、ショックを受ける。

 ショックだったが、直感でわかった。この街で暮らしていれば、そういうカンだけは嫌でも磨かれていくのだ。サヤーは中学をさぼって、男相手に身体を売っている。家が貧しいというのは、冗談や比喩ではなく切り詰めた正確無比な表現なのだろう。いくら不景気でも日本人の家庭ではめったにない状況のはずだ。
 ブランドものを買ったり、おしゃれな店の開店資金のためでなく、家族の食費のために十代なかばで身体を売る。おれはバカみたいに店の前に立ちつくし、手にさげたポリ袋から立ちのぼる果物の腐った甘いにおいをかいでいた。

“いくら不景気でも日本人の家庭ではめったにない状況のはずだ。”

 この作品は、「オール讀物」の2003年4月号が初出。
「物語内の今」も2003年頃と思える。同じ作品集に採録されてる連作の1つ前の中篇(『ワルツ・フォー・ベビー』)の物語内の今が、2002年の年末から2003年の元日にかけてだからだ。

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 マコトとサヤーは、2日かけて、互いに自己紹介したが、その数日後、マコトはサヤーが売春をしていることを知った。

 マコトが“ショックを受けた”のが、サヤーみたいな明るくて素直な男の子が売春をしてた事になのか、それとも“ブランドものを買ったり、おしゃれな店の開店資金のため”だったら、男の子が同性愛売春をしてたとしても驚かなかったのか、その辺はどっちだかよくわかんない。
 マコトも、よくわかんないまま“ショックを受けた”んじゃぁないかな。そーゆーことってあるよね。

 サヤーは“なぜか顔を伏せて”マコトのいる店の方を見ないようにしながら店の前を通り過ぎて、池袋2丁目のラブホテル街の方に歩いていった日の翌週の月曜日、マコトのいる果物店にやってくる。

 ぺらぺらの白シャツを着てやつがきたのは、週が明けた月曜日の夕方だった。サヤーはうちの店にはいってくると、今度は堂々と皿に積まれたカリフォルニアオレンジを指差した。一皿五個で八百円。おれはそれでも恥ずかしそうに頬を染める丸顔の少年にいった。
「無理しなくていいぞ。金はあるか」
 サヤーはうなずいて手のひらをひらき、電車の切符くらいのおおきさにたたまれた千円札を見せた。おれはポリ袋にぴかぴかに光るオレンジをいれた。〔後略〕

 例えば、“堂々と皿に積まれたカリフォルニアオレンジを指差した”サヤーが“それでも恥ずかしそうに頬を染め”てるところとか、切ない。
 この時、サヤーは、自分が売春をしてるって、マコトが気づいてるって、わかってるはずで。しかも、自分は汚れてる、と思ってるからだ(このサヤーの気持ちは、物語の先の方で描かれるんだけど)。

 マコトは、サヤーをウエストゲートパークに誘って、気になっていることから、ぼつぼつと話をする。

〔前略〕おれは気になっていることから最初に聞いた。
「おまえ、中学いってないのか」
 サヤーはうつむいて広場の敷石を見つめていた。
「半分いってる」
「義務教育は毎日いかなきゃだめなんだぞ」
 サヤーはおれをみあげて、にこりと笑った。駅まえを外国人排斥を雷のような音量で叫ぶ右翼の街宣車がゆっくりと流していた。
「うちのクラスの先生と同じこというね、マコトさん」
 おれはなんといっていいかわからないまま返事をした。なんだかぶきらぼうな感じになってしまう。
「それで残り半分は、どこかの男を相手にしてるんだ」
 サヤーはベンチに座ったまま、どんどん縮んでいくようだった。背が丸まり、肩が落ち、手のひらをぎゅっとにぎりしめる。男の子は淡々といった。
「仕事なんだ。しかたないよ。ぼくは九歳からやってるから、もう慣れてる。ときどき怖いこともあるけど平気だよ。うちのデリヘルはそんなにむちゃなことはしないし」
 しばらくなにもいえなかった。おれたちのあいだを春の風邪が生ぬるく吹いていくだけだ。

「デリヘル」は、「デリバリー・ヘルス」のこと。派遣型風俗業の1種だ。ただ、サヤーが属してる事務所は、正規の風俗業でなくて、モグリ営業だってことは、マコトがトラブル・シューティングに動き出すと、すぐにわかる。

「うちのクラスの先生と同じこというね、マコトさん」と言われたマコトは、“なんといっていいかわからないまま返事をした”。
“なんといっていいかわからない”。そりゃそうよね。マコトだって、中学時代どれくらい学校行ってたもんだか、怪しと思うし。
“気になっていることから最初に聞いた”マコトが、会話でこんなふうになっちゃうのは、珍しいと思って。アタシ(紹介者)は、そんなところも興味深かった。
 だって、マコトは、説教臭いことはめったに言わない奴だから。

 もうしばらく話した後、サヤーの方が、沈んでる様子のマコトを元気付けるかのように、明るい声で、家に誘う。
 親子5人が暮らす木造アパートの1室を訪ねたマコトは、サヤーの家族の事情の一旦を垣間見ると、“安全な場所にいるおれにはしてやれることはほんのわずかしかなかった”と思って、その“ほんのわずかなこと”をはじめるのだった。

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「あの内戦のときも今回もそうだが、おまえはただしいと自分が信じることのためなら、どんなやばい手でも平気で打ってくるな。危ないやつだ、おまえとおれは、案外似たもの同士なのかもしれないな」
 池袋の氷の王様とこのおれが同じ人種とは思えなかったが、おれはあいまいにうなずいておいた。〔後略〕

 この作文の頭の方でも触れたけど、物語のクライマックスがすぎた後で、マコトに手を貸したタカシが、マコトに言ったセリフだ。

 マコトはタカシと“同じ人種とは思えなかった”みたいだけど、「案外似たもの同士」ってのが、「思ってたより似たとこもある」くらいの意味なら、言えないこともない気もする。
 マコトが「正しいと自分が信じたことのためなら、どんなやばい手も平気で打ってくる」のは、過去のトラブル・シューティングを見ても言えてて。例えば『水の中の目』(『少年計数機』所収)や、『西口ミッドサマー狂乱』(『骨音』所収)を読めばそう思える。

『黒いフードの夜』は、「ボランティアのトラブル・シューティング」のやばさが描かれた物語になってる。
 ただ、この物語でもマコトは、“安全な場所にいるおれにはしてやれることはほんのわずかしかなかった”と思って、“ほんのわずかなこと”を勝手にはじめるけど、サヤーから依頼を受けるまでは、決定的な動きはしない。
 あれこれ、サヤーが属してたモグリのデリヘルの事とか調べはするけど、サヤー自身が“今の生活を続けると言うなら、そこで手をひくつもりだった”。

 とっても微妙なところだけど、アタシは、マコトはギリギリ自分の正義感を恣意的に振るう、自称正義の味方になることだけは踏みとどまったと思う。そこは、いいとこ。

 それ以前にマコトは、“安全な場所にいるおれにはしてやれることはほんのわずかしかなかった”と思ってて、こーゆーとこがいい。

『黒いフードの夜』には、ほかにもいくつか気になるとこがあるんだけど。
 概ねは、マコトがやってるボランティアのトラブル・シューティングの性格に関わって気になる。
 アタシとしては、そんなことをあれこれ考えながら読んで、読みがいがありました。

 読んだ人によって、割と、評価が別れ易い作品だけど、『電子の星』採録4作の内では、読みがいのある作品と思えます。

 ただ、作中、マコトと池袋署少年課の刑事(吉岡刑事)との間のやりとりが数ケ所あるんですけど。この関連には、作品の評価を大きく左右するものが含まれています。
(特に、最後の断章での吉岡刑事とマコトとのやりとりは、アタシ的には、もう1捻り欲しかったかな、って気がしてます。けれど、この関連は、その内、別に作文を書いて考えてみたいと思います)

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書誌情報:
石田 衣良,『電子の星』(池袋ウエストゲートパーク4),文芸春秋,Tokyo,2003.
ISBN 4-16-322390-8

石田 衣良,『電子の星 池袋ウエストゲートパークIV』(文春文庫),文芸春秋,Tokyo,2005.
ISBN 4-16-717409-X

備考:
物語内の今=語られる主要な出来事は、ある年の3月半ばのある日からはじまる。
主要な出来事が起きた期間は定かではないが、おそらく10日間前後ほどの間に起きたように思える。
エピローグ相当部分では、メインの出来事が終わってからしばらく後の様子が語られているけど、こちらがどれくらい後なのかも定かではなく、かなりあいまい化して語られている印象。
連作間の前後関係を、直接特定する手がかりは作中には見当たらない。『ワルツ・フォー・ベビー』で語られた出来事に続く3月半ばからの出来事、と思っておくのが素直な読み方だろう。
語り手の今=語り手の今は、エピローグ相当パートで語られた出来事が起きた時点よりは後。エピローグ相当パートの物語内の今から、どれくらい後かも定かでは無い。
とりあえず2003年3月下旬から4月頃にかけてのいつか、と思っておくのが素直な読み方と思える。

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