『補給戦 何が勝敗を決定するのか』マーチン・ファン・クレフェルト 1章~2章
■本日の読書:『補給戦 何が勝敗を決定するのか』マーチン・ファン・クレフェルト
補給に関する戦史研究の――いや、啓蒙書か?
そして啓蒙書というのは、煽り文句が必須である。本書でも序章に実に素晴らしい煽り文句がある。
司令官が作戦行動とか戦闘発起、前進、浸透、包囲、せん滅、消耗など、要するに長々と続く全戦略の実行を頭に描き始める以前に、彼にはしなければならないし当然すべき事柄がある。それは麾下の兵卒に対して、それなくしては兵として生きられない一日当たり三〇〇〇キロカロリーを補給できるかどうか、自分の才能を確かめることである。
『補給戦』序章:戦史家の怠慢(p10~11)
序章のタイトル『戦史家の怠慢』からして挑戦的であるな。
●第一章:一六~一七世紀の略奪戦争
たとえば三十年戦争だとか、北方戦争だとかの資料を読めばわかるが、この時期の軍隊というのは実にぐねぐねと動き回っている。へたをすると一年間ずーっと敵の領土の奥深くをてくてく動き回っていたりするわけで、昔の私にはそれがえらく謎であった。
私にとって戦争のルールとはボードのウォーゲームから学んだものであり、ウォーゲームではおおむね自軍からの連絡線が届かないと軍隊(ユニット)は損耗したり動けなかったりするものである。敵地に孤立してイイことなど何もない。
が、実際にはこの時期の軍隊は敵地の中で孤立どころか守りも固めずにあちらをふらふら、こちらをふらふらしていたわけで、それはなぜかというと本書にも書かれているように、「ご飯を求めて」さまよっていたのである。
中世騎士の時代のように、あちらの諸侯、こちらの諸侯が10人とか20人とかの手勢を率いて集まって、戦争が終わったら封土に戻るという戦争ではもはやない。戦争ともなれば傭兵をかき集めて万人単位の軍隊が編成される時代である。
傭兵として集まってきた、この時代では大都市の人口に匹敵する万人単位の人間に、毎日メシを食わせるのはたいへんである。自分の領土に抱えたままにしておいた日には、あっという間に周辺の町や村が備蓄していた食料を食い尽くすであろう。
だから、将軍は傭兵が集まるなり敵地へと入っていく。そして、敵であるから容赦なく遠慮なく、備蓄食糧を食い散らかすのだ。なくなったら、今度は別の町へ移動である。
戦争で敵に与えるダメージとしては、敵軍を撃滅するよりはよほどこちらの方が大きい。どうせ敵も味方も傭兵なのだ。敵の軍隊を壊滅しても、金さえあればいずれ再建されてしまう。それよりは敵の町や村を略奪してそこから金も食料も集められなくする方がいいのだ。
そういうわけで、軍隊は敵の領土内をあっちへふらふらこっちへふらふらする。一度根こそぎ略奪した地域はしばらく何もなくなるので、そこに戻ることはできない。だから作戦行動が場当たり的で、一貫性も何もないいい加減なものになるのも当然なのだ。将軍としては、自軍の腹を満たす食い物がある場所へしか移動できないからである。
フランスの政治家ルーヴォアが開戦時に監督官に出した命令書が本書では紹介されている。
「皇帝陛下は大軍を召集された……異教の国オランダに侵入し、ネーデルラントの総督が陛下の要求に屈するまで、彼等の犠牲において生きてゆくためである。……(監督官は)スペイン領に課す諸税の取り立てに責任を持たなければならない」
『補給戦』p46
ルーヴォアは、軍隊の補給品のための倉庫建設に熱心だった政治家であるが、彼はあくまで『軍隊を編成し、装備や指揮系統を整えて使えるようにするまで自国の負担を軽減する』ための補給品を必要としたのである。いざ戦争をはじめてしまえばいつものように、敵の食料を食い散らかすわけだ。
ナポレオンがヨーロッパの過半を制圧できたのは、とにかく彼が軍事において徹底を旨としていたためである。ジョジョ的に言うと、こうだ。
「君がッ! 降伏するまで! 殴るのをやめないッ!」
ナポレオンはとにかく止まらなかった。敵軍を撃破するまで追いつめ、その後も足を止めることなく敵の首都へと殴り込みをかける。だらだらと包囲戦を続けてお金と食料がなくなったら解散するというそれまでの戦争とはひと味違う。このへんの「やるからには徹底的に」というあたりは、ユリウス・カエサルの直弟子と認めてよいだろう。
ナポレオンがこうした戦争のやり方を実現できたのは、彼が国民軍を中核とする大軍を動かしたせいである。ちょっとした要塞などは粉砕しつつひたすら前進というわけだ。
しかし、三十万人の軍とは同時に三十万の口と胃袋である。
歩兵はすべて歩いて移動させるわけなので道路の幅や整備状況からしても一カ所に集中はできない。ナポレオンは麾下の将軍たちにそれぞれの軍団を任せて分進させ、戦場において合撃させた。
そしてそれらを、それまでとあまり変わらぬ補給技術で実現してのけたのだ。
もちろん、いくつか違いはある。
たとえば、大航海時代から普及するようになった保存食、ビスケットの存在がある。今の日本ではお菓子のイメージが強いビスケットだが、元々はパンを二度焼いて日持ちするようにしたものである。なお、ナポレオンは保存食の研究に熱心で、缶詰(瓶詰め)にも関心を寄せている。
何より大きな違いは、西~中ヨーロッパが19世紀を迎えるころにはそれなりに豊かで生産性も上がっていたという経済的背景がある。
人口800人のハール地方からフランス軍は6万人分のパンを徴収しているし、マルモンは麾下の1万2千人の軍隊がプフールという村(40世帯、人口600人)に5日間滞在した時のことを「不足する物は何もなかった」と言っている。
もちろんこれらの備蓄は繰り返し徴発すれば底をつくものであるが、ヨーロッパの経済はこの頃までに相応の流動性を持つようになり、30年戦争の時のように戦争後半になると人口が激減して戦争どころではなくなるほどのダメージは受けていない。
これには、調達が個々の兵士による略奪ではなかった点も大きい。
ナポレオンの軍隊は主計官を村や町に派遣させて補給物資を準備させた。そして帳簿にきちんとつけ、領収書も発行したのである。支払いは後払いで、おおむねナポレオンに敗北した敵に押しつけられることになるわけだが。ちなみに、命令ではこの時に調達される敵国の人間を「フランス人であるかのように遇せよ」とある。
この方法であれば、過去の傭兵達がしばしばやったように根こそぎ略奪してその地を以後は敵にとっても味方にとっても焦土と化す危険は少ない。
こうしてヨーロッパで過去の軍隊がどうやってご飯を食べていたかを読んでみると、やはり日本の戦国武将が持っていた補給能力の高さが際だつ感じである。よくもまあ、日本中で百年近く戦争を続けられたものである。米は偉大だ。
続く3章からについてはまた後日。

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