『名将韓信と“背水の陣”』来村多加史(『歴史群像No.88』より) “背水の陣”という言葉の背後にある本当の勝因

 “背水の陣”といえば、広辞苑には次のように書かれている。

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背水の陣(はいすいのじん)
 [史記淮陰侯伝](漢の韓信が趙を攻めた時、わざと川を背にして陣どり、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事から) 一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。失敗すれば再起はできないことを覚悟して全力を尽して事に当ること。
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 だいたい私の理解も辞書の通りであったし。
 それゆえに、対して興味もなかったのである。なんというか、そうやって味方を鼓舞するのはいいが、失敗したらどうすんだという気持ちのほうが先に立つので。

 だがしかし。
 『歴史群像』88号の来村多加史さんの記事を読んで、目から鱗がぽろぽろと落ちた。
 なるほど、これなら立派な兵法というものである!
(戦いの顛末をgifアニメーションにしてみたので、この先を読む前に、添付ファイルをごらんいただきたい)

 韓信の作戦は、背水の陣という戦いによって味方の兵を鼓舞し、限界まで戦わせる――ことが目的なのではない。

 韓信は、兵力で勝る趙軍を打ち破るために包囲殲滅戦を意図し、そのために自軍をあえて不利な状況に追い込ませたのである。

 なぜか? 

 それは敵に「これで勝った」と思わせ、背水の陣にある自軍を攻めさせるためなのだ。
 戦史を省みても、戦争の勝敗すら決まるような決定的な戦いは双方が自軍の優位を信じて戦う場合に発生することが多い。
 古くは古代地中海におけるハンニバルカンナエの戦いや、我が国では戦国時代桶狭間の戦いナポレオンアウステルリッツの戦いなど。これらの戦いは、己の優位を確信した側が足下をすくわれる形で決着がついている。

 背水の陣の戦い『井けい(せいけい)の戦い』もまた、そうした戦いのひとつと言える。
 なお、gifアニメを作りつつ感じたのは、この戦いと戦国時代における長篠の戦いの類似性である。
 最近の研究では長篠の戦いも野戦陣地による強固な防御力と、長篠城を包囲する後方の武田軍を迂回部隊で撃破したことによる包囲殲滅戦の一種と考えられているが、これは野戦陣地による物理的な防御力の増強と、背水の陣という精神的な防御力の増強という点が違うだけで、ほぼ同じ展開と言える。(ただ、長篠の戦いにおける織田徳川連合軍は、武田軍を数でも上回っていたので、そのあたりはだいぶ違う)

 してみるとやはり、名将と呼ばれる人の条件は難しい。
 つまりそれは、「相手に勝ったと思わせ」て戦場に引っ張り出し、その上で鮮やかにひっくり返すというものだからだ。

 韓信の背水の陣も、趙軍が調子にのって攻め込んできてくれなければ、うまく機能しなかったわけだ。あるいは、有力な部隊を砦に残置した場合も、少数の騎兵別働隊ではどうしようもなかったろう。

 だが、それによって韓信が敗北したかというと、これはたぶん違うと思う。

 名将たるもの、己の策におぼれるようではいけない。
 韓信は、敵が“背水の陣”にひっかからない慎重な指揮官であれば、また別のやり方で敵を攪乱し、最後には勝利をつかんだろう。

 その場合、“背水の陣”という故事がいかなる形で今に伝えられるか、想像してみるのも面白い。

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