『機動戦士ガンダム00』のSFネタ解説その17:超コンピュータ、ヴェーダ

 機動戦士ガンダム00を見て、出てくるギミックや台詞を元に妄想をたくましくしていくSFネタ解説シリーズの17回目。

 今回のお題は、ソレスタルビーイングの超コンピュータ、ヴェーダである。戦争の根絶と幸福は市民の義務です。おーる・はいる・こんぴゅーたーっ!

 機動戦士ガンダム00の#22『トランザム』はいろいろな意味で驚愕の連続であった。私にとって最大の驚愕は、イオリア・シュヘンベルクが本当に戦争の根絶を願っていたっぽいあたりである。もちろん、あのメッセージはあらかじめ録画しておいた大量のメッセージのひとつであるからして、本音かどうかは不明なのだが。

 この話によってヴェーダが、巨大なクジラや世界樹、粘菌類や『ブラッド・ミュージック』(グレッグ・ベア)なヌーサイトではないとゆー、実にがっかりな結果に終わったワケであるが、いやいや、まだSF者の妄想は止まらない。
 アレハンドロらに掌握されたヴェーダはあくまで真・ヴェーダを設計、建造するために作られた二百年前のヴェーダというのはどうだろう。『超人ロック』(聖悠紀)でライガーIがライガーIIを建造したように、『銀河ヒッチハイクガイド』(ダグラス・アダムズ)でディープ・ソートが宇宙最大のコンピュータつまりは、地球を設計したように。
 『地球へ……』(竹宮恵子)の原作版でマザー・コンピュータの地下にコンピュータ・テラが登場したようにヴェーダを掌握したアレハンドロとリボンズの前に、月の奥深くで活動していた真・ヴェーダが出るというのもなかなか乙なものであろうと思う。

 SFにおける超コンピュータ、超知性というものの歴史は古い。そもそも、戦後(この言葉の賞味期限は電話で『ダイヤルを回す』という言葉と同じく、そろそろ限界が来そうだ。説明しておくと、1945年のコトである)に登場したコンピュータ群が、ノイマン型コンピュータでちょっとしたビルほどもある巨大なシロモノであったのも大きい。真空管やリレーがごちゃまんとつなげられたそれは、実に威圧的で非人間的で、そして何やら男の子をワクワクさせる巨大な機械だったからだ。
 そういうわけなので、初期に登場した超コンピュータというものは、アイザック・アシモフのマルチヴァク(ユニヴァックという業務コンピュータの名前をもじって。アシモフは他にも電子頭脳を未来っぽくするために陽電子頭脳と呼ぶなどダジャレをすごく好むところがある)よろしく、でかい中央コンピュータ、マザーコンピュータというものであった。このタイプをひたすら巨大化していくと、惑星サイズの『コンピュータ惑星』(石原藤夫)とかになる。
 なお、私が選ぶこの手の巨大な超コンピュータの筆頭とも言うべき存在が、『バビル2世』(横山光輝)のバベルの塔のコンピュータである。悪役のヨミが負けたのはバビル2世ではなく、このコンピュータに違いないと思えるほど、無敵な存在なのだ。このコンピュータにとっては今でも本当の主人は自分を作った異星人のバビル1世で、バビル2世もヨミも、代替可能な存在であるあたり、かなり腹黒い奴でもある。
 次点は『ペリー・ローダン』シリーズの初期における最大の難敵、アルコン帝国のロボット摂政である。こいつはロボットといっても、自分では動けない巨大コンピュータである。優秀なのだが、プログラム通りに動く融通のなさも合わせもち、バベルの塔のコンピュータと比べると、まことにコンピュータらしいコンピュータと言えよう。性格的にはむしろヤンデレっぽい。

「私、帝国を守らないといけないんです……でも、帝国の皆さん(アルコン人)は誰も私の言うこと聞いてくれないから……だから……」
「どうして私のこと騙そうとするんですか? 私はただ、帝国を守りたいだけなのに……そうやって、みんな、私のこと、騙そうとするんですねっ! みんなっ! みんな帝国の敵なんですねっ!」

 などと、ロボット摂政がコトノハ様口調で語れば、コレはコレで一部の人には大人気かもしれぬ。

 閑話休題。
 この手のきちんと設計されて超コンピュータになっている存在には、自分がプログラムされた仕事をこなすという制約がついてまわることが多い。ロボット摂政や、バベルの塔のコンピュータをはじめ、『宇宙都市』(ジェイムズ・ブリッシュ)ニューヨークのマザーコンピュータや、映画『ウォー・ゲーム』のNORADの超コンピュータ、ウォーパーのように、すごい能力を持ってはいるが、それらは与えられた仕事をこなすために使われる。それは人間の目指す、やりたい目標とは違う結果に終わることもあるが、元々は人間の用意した設計思想に基づいているのである。
 ガンダム00のヴェーダも、性能はともあれ、この手の超コンピュータのひとつと言えよう。

 やがて、時代はオンラインコンピュータの時代へと移行する。それでもしばらくは端末(ダム端)からホストコンピュータにすべてのデータが集約される時代が長く続いたが、やがて現代のインターネットなどに見られるように、分散されたコンピュータがそれぞれ自分の仕事をこなしつつ、協力するという関係になっていく。コンピュータの小型化と、データ通信の高速化がそれを実現していったのだ。
 こうなると、超コンピュータも変わってくる。いわゆる、ネットワークの過程で自然に生まれた存在というわけだ。こういうコンピュータは、人間の言うことなんざ聞きやしない。むしろ、『Press Enter■』(ジョン・ヴァーリイ著『バービーはなぜ殺される』収録)や映画『ターミネーター』のスカイネットよろしく、一種のホラー、オカルト的存在になりかねない。このへんの、自然に生まれたコンピュータ知性が、どうやって人間というネットワークの外にある存在を認識するかを細かく描いた作品としては、『未来の二つの顔』(J・P・ホーガン)における、コンピュータ・スパルタクスの実験が面白い。

 コンピュータ・ネットワークによって新たな知性が生まれるという概念も、その歴史は古い。その最初のひとつが『Fはフランケンシュタインの番号』(アーサー・C・クラーク著『太陽からの風』収録)である。これは1963年の作品だが、通信衛星によって地球上のすべての電話がネットワーク化されたことによって、超知性が誕生している。インターネットの原型となるARPAネットワークが登場する6年も前の話だ。さすがは通信衛星の概念を最初に学会誌に発表したクラーク先生である。本日は軌道エレベータの概念と建設を描いた『楽園の泉』をもう一度読み直してご冥福をお祈りしたい。

 話をガンダム00に戻すと、今のところヴェーダはすごいコンピュータというだけで、SF的な裏はなさそうである。ただ、38万km彼方にあるヴェーダとガンダムとの常時接続は往復2秒以上のタイムラグがあるので、ひょっとしたら何か、そこに超光速通信のような愉快テクノロジーがそこに使われているのではないかとも期待している。が、まあ、このへんは映画『メテオ』の冒頭で火星とNASAとかリアルタイムで会話していた例もあるからして単にめんどくさい演出をはしょっているだけなのかも知れず、今後の検証が必要であろう。

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SFにおけるコンピュータのありかた

 J・P・ホーガンは、元コンピュータエンジニアだっただけにSFにおけるコンピュータのありかたを現代化に貢献した作家のひとりだろう。特に、『未来の二つの顔』(J・P・ホーガン)における、コンピュータ・スパルタクスなんかは、一時期、実際に構築するにはどうしたらよいかという研究が真面目に行われていた時期がありました。(エイジェント指向AIとかいったかな?) 戦争の根絶を狙った『創世記機械』なんてものもあります。通信の話でも、面白い作品が多いです。『巨人たちの星』では、h-リンクによる超空間通信がでてきます。『未来からのホットライン』では、通信を行うことにより過去を改変していくという話が出てきます。

 最近残念に思うことは、良質なSFが邦訳されなくなっている傾向があることです。特にハードSFはもう流行らないのかな? ロジカルな展開についていけないライトな読者ばかり増えているせいかもしれませんが・・・・。

J.P.ホーガン入門編として、コミック版の『未来の二つの顔』(星野之宣)

 J.P.ホーガンは私も大好きな作家さんのひとりです。
 J.P.ホーガンが最初に日本に紹介されたのは1980年でしたか。もう四半世紀も前ですが、最初に翻訳された『星を継ぐもの』を読んだ時の感動は今もありありと覚えています。んでまあ、その当時のSFファンがよく口にしていたのが、確か「古くさいが、コレがイイ!」という感じであったと思います。

 内容が古いというよりは、そこにある「科学や未来、技術への思い」が、そのちょい前にあったニュー・ウェーブ運動よりもまだ前の、いわゆる『黄金の五十年代』っぽい感じだったせいもあるでしょう。

 Anonymousさんも話題にされている『未来の二つの顔』のような名作は毎年量産されるというわけでもありません。また、過去の作品だからといって価値がなくなるわけでもありません。新たな翻訳が減っているというよりは、年々絶版が増えているあたりが、私としては残念なところですね。

 ライトな読者はこうした傑作を読むことで後戻り不能なディープな世界に引きずり込まれていくのが、昔からの流れです。読ませる名作傑作がなければ、仲間に引きずり込めません。

 『未来の二つの顔』は、小説の方は古本か図書館でないと読めないようですが、星野之宣さんが漫画にしておられる作品なら、まだ本屋で手に入るようですね。
 ですが、これはもっけの幸い。ライトな読者でしたら、星野之宣さんの漫画の方が手軽に楽しめるのではないかと思います。バトルなどの盛り上がりやラストの緊迫感は、さすが星野之宣さんという感じですし。

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