ふと入った立ち食い蕎麦屋で変わった物を探す娘と出会った

「おじさん、いつものアレ下さいな!」
「おうよ!」
 始まりはこの一言だった。
 大学付近にある立ち食いそば屋。
 少々頭が薄いが、それを全く気にせず豪快な声で応対するおやっさんの声が路上まで響くのを確認しながら、良くあるやりとりだと思い特に気にしては居なかったのだが、次のおやっさんの台詞で事態が急変する。
「はい、冷やし月見タヌキな」
 思わず俺は箸を止める。
 このメニューはいわゆる隠しメニューと言う奴だ。
 更に出来て間もないメニューでもある。
 なぜそんな事を知って言うのかというと、そのメニュー関しての意見を出したのは俺で今こうしてつゆを吸いきった揚げ玉に卵をかき混ぜて味わっているのも無論そのメニューである。
 なぜこうも早くこのメニューを知るものが現れたとかと言う疑問に少々思考を集中させていると、続いておやっさんの方から更に信じられない言葉が発せられる。
「ああそうだ。あんたが会いたがってたメニューの発案者がそっちに居るぜ」
 続いておやっさんが平手を当然俺の方へ差し向ける。
 今立っている場所からその相手まで横に数名他の客が居た為、こっちからは姿を見る事ができなかったが、その相手はすぐにこちらへやってきた。
「初めまして、かな?」
 声だけは聞こえていたので女だとは解っていたが……。
「確か……同じ大学、だっけ? 顔だけは見た事があると……思うけど」
 ぱっと見、必要以上の飾り気がない可愛い女性と言った印象だ。
 ついでに言うと体型も小さめの割には綺麗に整った女性のラインをしており、更にクセの無いセミロングの髪が彼女を子供にも大人に見せる見事な容姿でもあった。
 俺も共通の講義で一目見かけてはちょっと良いなとは思っている娘でもあったが……。
「そうだね、同じ大学って事はおじさんから聞いてたから、こんな変わったメニューを考える人がどんな人かちょっと楽しみにしてたの」
「こんな冴えない奴で残念だったな。もっとイケメンな奴でも期待してたんだろ?」
 夢見がちな女に良くある典型的な考えである。
「うーん、そうでもないよ?」
 予期せぬ答えが返ってくる。
 大抵の場合は俺と接触した女は少なからず敬遠する。
 大学生活でふしだらな生活が続き、見た目が貧乏臭いのはもちろん、自分なりには少々なはずが他人から見るとかなりの不精者に見えるらしい。
 そんな不衛生な格好をしている俺に、異性が自ら進んで話しかけてくる物だろうかと問われると高確率でNOである。
 その法則を無視して、唯一まともに話しかけてきた相手がこいつだった。
「必修科目で良く合うよね。私は村上奈美、よろしくね」
「あ、ああ……。俺は片岡真也」
「シンヤ? 漢字だとどう書くの?」
「真実の真って字に、他って字の偏を抜いた奴だよ」
 興味津々に俺の名前まで聞いてくる。
「それじゃあ、マーヤって呼んで良い? 私の事も奈美で良いから」
 掌で俺の言った文字を書きながら頷いて答えを出す。
「昔からその名前で呼ばれるのは嫌だったんだが……」
 何とも言い難い空気に、奈美も少々困惑した表情を見せる。
「んー。この方が女の子同士っぽくて違和感無いと思ったんだけど……ダメかな?」
 どうやら友人として扱いたいと思っている様子だけは解った。
「どうしてもって言うならそれで良い。ダチとして見てくれてるならな」
 ダチと言う言葉に納得してくれたのか、素早く首を縦に振り肯定してくる。
「もちろん! 友達になってくれるなら私の方こそ歓迎だよ」
 右手を差し伸べる奈美に、俺も呼応してその手を握る。
 これが世の中の変な物を求め歩く変わった娘との出会いだった。
 ここのメニューも奈美がおやっさんに「変わったメニューは無いかな?」の一言に始まり、それが偉く気に入ったらしく、俺と同じ昼休みの常連となったそうだ。
 そもそも、この地点ではなぜ執拗以上に変な物を探すのか予想も付かなかった。
 だが、その真実を知った時はあまりにも遅すぎた。

 奈美の姿を見なくなって早2月が過ぎようとしていた。
 突然何も言わず、ここにも大学にも顔を見せなくなった。
 その時は俺に愛想を尽かせてどこか別の男でも作って同棲でもしてるのだろうと思っていた。
 女という物は心変わりしやすい物である。
 すぐに雑誌などの流行に乗っ取り、その流行が変化するとあっという間にそっちの流行に乗り換える一方で、一つの趣味に拘り続けているいわゆるオタクを軽蔑し、貶す。
 そんなどうしようも無い人種と少しでも接する機会があったと言えば良い成果かも知れない。
 要するに女という相手が信用できず、これ以上深入りしても無駄だと悟った。
 最悪の場合、奈美の奴が今の彼氏に『俺が奈美に酷い事をした』等と言いふらした挙げ句、あくまで自分は正義であり悪いのは俺だという烙印を押されかねない。
 そんなリスクまで犯して深入りするのは調子の良い3枚目の野郎ぐらいだろう。
 今の時代何事もリスクとリターンを考えなければ生きては行けない。
 そう言った理由で触れては行けない物だと暗黙の了解を自分に強いていた。
「おやっさん……最近奈美の奴を見ないんだが、なんか知らないか?」
 だが、どうしても気になったふと発したこの一言。
 今思えばこの一言を何故すぐに言えなかったのだろうか。
「真也。これ以上あの子に踏み込むつもりはあるのかい?」
「いきなりなんだよ。珍しく真剣な顔までして」
「これ以上お前さんが踏み込んだら奈美ちゃんはおろか、お前さんまで傷付けちまう。その覚悟が無いなら止めておけ」
「とりあえずだ。俺が気に入らない奴だったからここに来なくなった訳じゃないんだな?」
 先にこの答えを聞くのが怖くて聞くのをためらっていたのかもしれない。
 だが、それも今となってはほんの些細なプライドだった。
「ああ、真也の事はここで嫌ってほど話してたぜ。変な人形を見つけただの変な食い物見つけただの、そんな変な自分にお前さんは嫌な顔一つせずに付き合ってくれた事もな」
「じゃあなんでだよ……」
「俺も正直な所お前さんには『嫌われたんだな』と言えたらまだ楽だったんだろうな」
「どういう事だよ? 勿体ぶらずに教えろよ」
「そこまで知りたいのならこれが最後の確認だ。知ってしまうと嫌われるよりも残酷な結末になるだろう。それでもお前さんは俺の話を聞くか?」
 嫌われる異常に残酷な結末?
 浮気……か? それとも誰かに妊娠させられた?
 あれだけ見た目の可愛い女なら誰だって引っかけたくなるし、俺何かより異性が引かれる男なんて山ほどいるだろう。
 そう考えると妥当な考えであった。
「良いぜ。どうせ振られたと思ってたんだし」
 そう言う覚悟ならとっくの昔に出来ている。
 逆に女にモテた事のない俺でも少しだけそんな気分になれただけ奈美には感謝するべきだと思うぐらい、あれから俺の生活は少しだけまともになった恩はある。
「投げやりな返事でも良いって言ったな? 教えるが絶対後悔するなよ?」
「良いって良いって。奈美が何やってたのか教えてくれよ、どーせどこかの男と……」
 笑い半分にふざけて答えると、おやっさんの景気の良い声以上のテーブルを叩く音が辺りに響く。「……とっとと行け。後はお前さん次第だ」
 勢いよく突いたおやっさんの掌がテーブルから上がると、そこには4つ折りの紙切れが置いてあった。
「おい、おやっさんこれは……って、どこ行くんだよ?」
「それはお前さん1人で読め、今日はこれで店じまいだ、出てけ」
 急に態度が豹変したおやっさんが背を向け、扉の向こうに消えていった。
「何なんだよ……」
 とりあえずその場で紙切れを開いて確認してみる。
「住所と……部屋番号か、これ?」
 ここからそれほど遠い距離でもない。
 とりあえず向かって見るとする。
「ここって……病院で間違いないの……か?」
 住所を何度も見直しても目の前に広がるのは大きな市立の総合病院の前だった。
「じゃあこの部屋番号は、病室か!?」
 気が付けば何かに火がついたように走り出していた。
 時間は昼下がり。
 それでもまだ受診希望の患者が止む事のない受付で病室の番号を参照して貰う。
「はい、確かに村上奈美様がそちらに入院してました」
「解った。ありがとう」
「あ、お客様……」
 既に冷静な判断力を失っていたのかも知れない。
 受付の人の返答が過去形だった事にもこの時は気が付ずに早足で病室に向かっていた。
「村上奈美……村上奈美」
 そう、確かにその部屋番号と名札はあった。
「いない……?」
 そこの番号が示す純白のベットはもぬけの殻だった。
 そこで混乱した頭の中を整理しようと試みる。
 浮気で妊娠して子供を産んでどこかへ逃げた?
 そう考えるのがスジではある。
 だが、ここは産婦人科では無く外科である点が疑問ではあった。
 産婦人科が満員で一時的に外科に入院してたのだろうか?
 だとすれば転科している可能性を考え、もう一度受付で聞き直してみるべきだ。
「あんた、片岡真也さんで間違いないかい?」
 突然後から俺の名前を呼ばれる。
「あ、はい。そうですけど何で俺の名前を?」
「これをあんたに渡して欲しいと奈美ちゃんからのお願いなんでね」
「あ、そいつはどうも」
 点滴を乗せたキャスターを動かしながら、見た感じ割と元気そうなおばちゃんがその手帳を俺に渡してくれた。
「浮気日記か? それとも母子手帳?」
「あんた何も……いや、それを読んで貰えたら全部解るわ」
 突然表情を曇らせるおばちゃんの目の前で、女の子らしいシールの貼ってあった手帳を開く。
 ボタンの付いた帯で閉じてあったので、開く勢いで最後のページが目に入る。
━━マーヤ、大好きだよ。でも、ごめんね……またどこかで会えたら良いな。
「ふーん」
 浮気日記ならまぁ、自分を正当化しようとしてこのぐらいは書くだとろうと思いつつ適当にページを捲っていく。
「……はぁ!?」
 思わず手が止まる。
 奈美の書き残した日記の1節が目に止まった。
━━今でも後悔してるかな。私が骨髄性白血病だってマーヤに最後まで伝えられなかった事。
 骨髄性白血病?
 あの最近小説や映画で有名になったあの病気だよな?
━━でも嬉しかったな。最後の最後で私の変な趣味に付き合ってくれたマーヤに合えて。
 俺についてひたすらかかれていたが、その部分はそれ以外にも多々あった。
━━あの日はマーヤと納豆パフェを食べに行った。わたしは予想通りまずいって言ったのにマーヤは楽しそうに食べていた。私が言うのもなんだけどマーヤってやっぱり変だと思う。
 その日記の書き始めの日付は奈美を見かけなくなった日からだ。
 つまり、入院した日から俺と一緒に行った場所を毎日思い出しながら書き連ねて行った日記……。
━━その日は一緒にキモ可愛いキャラのデザインを使ったプリクラを撮りに行った。マーヤったら女性必須スペースに入った事がないらしく、最初から最後までカチカチだったのは面白かったなあ。それはともかくこのプリクラはこの日記に張っておこう。
 確かにそんな所にも行ったっけか……。
 俺は当然そう言った物は数少ない仲間内に晒すのでさえ恥ずかしかったので、家の机の棚の中にひっそりとしまってはあった。
 それ以外にもひたすら俺と行った場所と俺についての感想が書いてあった。
 暫く読んでいると一つ一つそれを思い出しながら綴っていた日記の字が次第に汚くなって来た。
 所々綺麗なのに、字の途中が伸びたり消えたりしている。
 書いてる途中に苦痛にでも悩まされていたのだろうか。
 そこから更に読み続けるとそう言った字の出現率が上がってくる。
━━たぶん今日で最後の日記になると思う。もう日記を書こうとするだけでも目眩が止まらない。最後にもう一目だけマーヤに会いたかったな。今日まで来なかったって事はやっぱり嫌われちゃったと思ったのかな? でもそれならそれで良いかな。マーヤがこんな私の姿を見て悲しまずに済むんだもん。
 ほぼ全てがかすれ気味の文字のページから後は空白だった。
 そして最初に見た手帳の最後のページを再び見る。
━━マーヤ、大好きだよ。でも、ごめんね……またどこかで会えたら良いな。
 その言葉の下には硬直して目を見開いた俺と、自然に笑う奈美の写っているプリクラが張られていた。
 違う。
 奈美は俺の予想と全く違って最後まで俺の事を好きだと言って信じてくれていた。
 なのに俺は何だ?
 どうせ嫌われたからどうなっても良い?
 どうせ他に男でも作って妊娠でもしたんだろ?
「ふざけんな!」
 嫌気のさした自分、今の状態、そして奈美に対しても全てにそうぶつける様に場所を構わず叫んでいた。

「おやっさん……すまねえ」
 病院から飛び出して再び立ち食い蕎麦屋へ戻ると、おやっさんの姿が見えたのでまずそう言った。「その様子は……遅かったか……」
 俺の表情を見て全てを察しつつ、蕎麦を茹でていた。
「おやっさんは奈美になんて言われたんだ?」
 最初に俺が奈美の事を聞いた時の台詞と態度は間違いなくこの事を知っていた。
「お前さんが自分の事を聞いてきたら何も言わずにあのメモを渡して欲しいって言って来たんだよ」 おやっさんが辛辣な表情で語ってきた。
「流石に気になって俺もそのメモを見て1回会いに行ったんだよ」
 おやっさんなら間違いなくそうするだろうと思いつつ俺はその様子をただ夢中になって聞いていた。
「怒られると思ってたが、予想通り来てくれたって言って喜んでくれたっけな……で、お前さんにだけは聞かれない限り絶対に言わないでくれってついでに念を押されてな」
「おやっさんらしいや」
 互いに鼻で軽く笑うと、おやっさんがまた語り出す。
「んでしばらくしてお前さんが奈美ちゃんの事を聞いてきた。俺は迷ったさ……このまましらばっくれて無かった事にした方がお互いに幸せなんじゃねえかってな」
「今となっちゃその方が俺は許せなかったな」
「だろ? だからお前さんにその覚悟があるか聞いてみた」
「で……俺が奈美を信用しないであいつに非があるかのようにふざけて答えた」
「ああ、お前さんが嫌われたと思ってくれたなら奈美ちゃん的には正解だったんだが……やっぱりその気持ちを踏みにじるお前さんがどうしても許せくなった」
「そうだな……立場が逆なら俺でもそこで怒っているな。間違いなく」
「そう言う事だ。まぁ、食って行け。おごりだ」
 さっきから周りに客もいないのに何故蕎麦を茹でているのかと思えば、それは俺への慰めのつもりなのか、冷やし月見タヌキが目の前に置かれる。
「ありがとな。おやっさん」
 普段通り平らげていくがどうにも呼吸が落ち着かず、上手く食べられない。
 2,3口すすって食べていく内にのどの奥から込み上げてきた物が一気に溢れでてきた。
「う……うう……」
 視界がにじみ、鼻が緩くなり、呼吸が更に苦しくなる。
 何もできなかった悔しい気持ちが一気に押し上げて感情が崩壊する。
「今は好きなだけ泣いておけ。後の事はそれから考えても遅くはねえ」

━━まだ世の中で見てない物が多くてね……だからできるだけ、普段見た事がない物を沢山目に焼き付けておきたいんだ。

 いつだったろうか……奈美が言っていたこの言葉。
 これが全てを物語っていた。
 残り少ない命で可能な限り見納めておきたい物が『変な物』であったのはより良く印象に残す為か。
 今となってはそれを知る術は二度と無い……。

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