『超鋼女セーラ 彼女と僕と五つの約束』寺田とものり ラブコメを楽しむためのふたつの要素

 ラブコメを読む読者は、その物語においてどんな立ち位置にあるだろうか?

 主人公、あるいはヒロインというラブコメの当事者の視点は当然のようにある。人とは愛と共に生きるものだからだ。愛を捧げる、あるいは愛を受け取ることなく生きるのは、たいへん辛い。
 一次元二次元三次元、仮想妄想現実の違いはたいして問題にならない。どんな形であれ、人は愛と共に生きるのである。

 では、この『超鋼女セーラ』を読む場合、読者は茸味(たけみ)と同じ存在としてセーラを愛するのだろうか? あるいは、セーラと同じ存在として茸味との恋を楽しむのだろうか?

 繰り返すが、もちろん、そうした部分はなくはないと思う。特にHJ文庫というライトノベルのレーベルであるから、読者の多くは思春期まっさかりだ。Ein(あいん)さんの美麗なイラストと合わせて、そうしたものにドキドキするのも、むべなるかな。

 が、たぶん、おそらく。
 より頻度が多い、割合が大きいのは、周囲の家族や友人としてふたりを見守る気持ちだろう。
 茸味のクラスメイト、あるいはセーラの生徒会メンバー。茸味の母親、あるいはセーラの父親。彼らにより親しい視点で、茸味とセーラ、そしてふたりに関わる恋敵たちを応援したりちゃかしたりしながら読んでいるのではないかと思う。

 だから、良いラブコメというのはふたつの要素がある。
 物語の中心にいるのが、応援し甲斐のあるカップルであること。できれば男女ともに、友人として家族として、誇りに思えるような相手であること。
 そしてもうひとつは、自分の視点を投影しやすい、カップルを見守り、ときどきイタズラを仕掛ける友人や家族が登場すること。
 このふたつの要素がその読者にとって満たされているのが良いラブコメだろう。

 私にとって、『超鋼女セーラ』はこの条件を満たしている。
 茸味もセーラもいい子だし、そのふたりが愛し合うのは見ていて微笑ましい。
 ふたりの友人や家族も、気持ちのいい人々だ。

 なお、前の巻では背景情報についてあまりに持って回った部分がやや気になっていたが、この巻でその問題点はほぼクリアされた。

 背景情報が出てきた、というのではない。
 そうではなくて、主人公サイドの主要キャラクターの多くが、“大事なことを何も知らない”点が明らかになったのである。

 知っていて隠している、あるいは嘘をついているという場合、読者としてはその登場人物の言動に疑いを向けて読み続けざるをえない。
 たとえ普段はイイ人であっても、それは仮面で。その腹の中には何か別の思惑を隠している――のでは、キャラへの感情移入を損なうことおびただしい。

 登場するキャラが、常に本音を語れというのではない。キャラとキャラの間には、嘘や騙し合いがあってもいい。
 ただ、読者への嘘や騙しは、感情移入の度合いを下げるデメリットの方が大きいと思うのだ。ミステリ風味の話であれば、むろん、読者をうまく騙すことは重要になるが、ラブコメは普通、そういうものではなかろうと思う。

 『超鋼女セーラ 彼女と僕と五つの約束』では、味方ではベッキーや絢乃、ラヴィニア、そして敵側にはいるジョオ、他にも数人の中立サイドの人たちが“大事なことは知らない”点を明らかにしてきている。

 知らないのなら、そのキャラクターが読者を嘘や騙したりはしないわけで、やれやれ一安心というものである。

 いよいよ本領発揮の“僕らに優しい物語”。続きがたいへん楽しみである。

 なお、この巻のバトルでは王ノ道と南方刀(ミナカタ)の戦い(p182~p186)が一番のお気に入りである。

 なんというか、これまで仕事の都合が合わなくてキャンペーンのセッションに参加できなかった王ノ道のプレイヤーが、満を持して登場して、ひたすら神プレイをやっているという感じがして、うれしくなってしまうのである。

 しかも、何となく、この後やっぱり王ノ道のプレイヤーはしばらく参加できず、最後にクライマックスでもっかいだけ参加させてもらえそうな予感がするのだ。

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