『揺籃の星』ジェイムズ・P・ホーガン ヴェリコフスキー理論を応用した愉快な法螺話。ただし十分に注意すべし。

 ジェイムズ・P・ホーガンは『星を継ぐもの』(タイトルが似ているが『大宇宙を継ぐ者』はペリー・ローダンである)が日本にはじめて紹介されてからのファンである。
 この人の出す法螺話には、SFファンの心をくすぐりまくるところがある。優越感というか、選民思想というか。自分たち=SFを楽しむ人々は特別であるというトーンが作品からにじみでてくるのだ。いや、私の中にあるそうした思想がホーガンの文章によって呼び起こされるというべきか。

 優越感や選民思想という言葉には悪い印象があるが、私は個人的な嗜み、あるいは身内の間でのバカ騒ぎで使うかぎり、あってよかろうと思っている。危険で間違った思想を持たないという建前の嘘を突き通すよりは、選民思想という甘美な毒を適度に舐めた方が心理的にも安定しやすいと思うからだ。

 ただ、同じSF選民思想といっても、『天使墜落』(ラリー・ニーヴン)のどこか、自分たちも含めて世界をばかばかしく笑い飛ばすのと違い、ジェイムズ・P・ホーガンのアジテーションは真面目で――そう、解説にある金子隆一さんの言葉ではないが、“ナイーヴ”なのだ。

 なぜそうなるかというと、ホーガンに社会や人間は「かくあるべし」という思いが強くあるせいだと思う。ホーガンは理想主義者なのだ。高い理想があればこそ、ダメな社会や人間を放っておけないのだろう。
 しかし、そのナイーヴな理想主義はその思いが真摯であればこそ、むしろ危険な猛毒になりかねない。タバコやアルコールのようなちょっとした悪趣味のはずが、人生の規範になってしまっては“SF的にも”よろしくない気がするのだ。

 そこで、この本を主人公サイドが間違っていたなら――という思考実験をしながら読んでみることを提案してみよう。解説の金子隆一さんは科学的に間違っているところをツッコミ入れながら読んでいたが、社会的にツッコミを入れてみようというのだ。

 ヴェリコフスキー理論が間違っていて、金星は決して新しい星ではなく、地球がかつて土星の衛星であったこともない。
 クロニア人の社会や思想も間違っており、それどころかすでに社会は崩壊の危機にある。クロニア人は科学的合理主義を突き詰めたはずが、共産主義と同様に一種の宗教と迷信の中に沈んでいる。

 ――という前提を用意する。

 その場合、主人公を間違った道から救い出すのは、本編では敵である天文学者ハーバート・ヴォラーの仕事となるだろう。その場合、彼が社会的地位や名声を第一に考え、そのためであれば政治的な陰謀やマスコミを利用したネガティブ・キャンペーンすら辞さない汚れた科学者である点は本編と一緒の方が面白い。

 なぜなら、私利私欲を第一とする人間は、理想と正義が掲げる毒に免疫を持つからだ。理想も正義も信じることなく、世界や人のあるべき姿を夢想することもないからこそ、思想信条が違う人間とも手を取り合うことが可能なのだ。

 人と社会の持つ未来は、同じ理想を求め、互いの欲望を抑制することからではなく。
 異なる理想やかちあう欲望をすりあわせるところにこそ、生まれると思うのである。

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