シビアな関係性の中にこそ生まれる人間ドラマ

「読み上手になることが、小説書きの第一歩」

 という内容のことが、本日の#もの書きで話題になっていたようでして。
 そのログを読んで、

「ふむ。ならば私は、過去になにを読んだときに『面白い』と感じただろうか」
 ということを、記事にまとめてみたくなりました。

 近年読んだものの中で、#もの書きなどでも取りあげられていた本の中から、数点ピックアップしてみます。
 ちなみに私が『面白い』と感じたときには、いわゆる「背筋が寒くなる」という現象が発生して、そりゃあもう、真夏でも氷水を浴びたくらいに背中がぞくぞく寒くなるので、すぐに「ああ、今、このシーンに感じたんだな」ということがわかって、とっても便利です。

【その1】-------------------
本のタイトル:ローマ人の物語 ハンニバル戦記[中]4(新潮文庫)
著者:塩野七生

概略)
 打倒ローマ帝国を目指して過酷な冬のアルプス越えを成し遂げたハンニバルは、捕虜であるガリア人を重い鎖から解き放ち、決闘をして勝ち抜いた者には自由を与えると言い放った。酷寒のアルプスを連行されて凍傷にまみれ、立っているのさえ困難な者ばかりのガリア人捕虜たちは、それでも全員が決闘を希望した。

 以下本文より抜粋--------

 彼らの間で痛々しい決闘がはじまったのだが、それが進むにつれ、決闘中のガリア人もそれを見ている兵士たちも、胸にいだく気持ちでは変わりはなくなっていた。誰もが、勝った者には拍手で讃えたが、敗れて死を迎えたガリア人にも、苛酷な生を終えることができた者への共感で、勝者以上の拍手が送られたのである。

 --------以上ハンニバル戦記[中]53ページより

 ガリア人の決闘を見ていたハンニバルの兵士たちも、程度の違いこそあったとはいえ、苛酷そのものの冬のアルプス越えを生き残ってきたという点においては、ガリア人と同士であったといえるだろう。両者のあいだに、敵味方であるとか、捕虜であるなしなどといった立場の違いによる垣根は、もうなかった。
 最後の力を振り絞り果敢に決闘に挑むガリア人の姿の中に、兵士たちは、生の尊さ、人間としての尊厳を見たのだろうと私は思う。
 これがまさに同士と呼べる関係なのではないだろうかと、そのシビアな世界観に、「ぞくぞくと」痺れてしまったのでした。
 

【その2】-------------------
本のタイトル:七姫物語(電撃文庫)
著者:高野和

概略)
 孤児院にいた少女(カラスミ)を、一国の姫として擁立したテンとトエ。彼らは少女に対して「姫」であるよう振る舞うこと以外なにも求めない。なにも求めないということは、なにも負わないということだ。いつ離ればなれになっても恨みっこなしの関係でいられるよう、要所要所で少女に対して釘を刺す。
 

 以下本文より抜粋(少女の一人称)--------

「カラ」
「はい?」
 トエ様に応じる。
 カラと呼ぶ時は、何だか優しい時。
「戻りたくないかい?」
「どこにです」
「只の子にだ」
 真面目なのだろうか、少し苦手な話題。
「一度、只の子供に戻るかい」
「出来るんですか?」
「出来るよ。もしもの時は、きみは本当に普通の子に戻るといい」

 --------七姫物語70ページより

 この残酷なトエの言葉を平静に受け止めることのできる少女は、虚構を容認できる度量の広さを生まれながらに備えている。テンとトエは、だからこそ孤児院で、この少女を選んだのではないだろうか。
 やはりそのシビアな関係に、「ぞくぞくと」痺れてしまう。

【その3】-------------------
本のタイトル:時砂の王(ハヤカワ文庫)
著者:小川一水

概略)
 人間身体をもとにして、生殖と成長の能力を取り除いてつくられたメッセンジャー知性体、オーヴィル。彼は、戦闘への旅立ちを前に、人間の女性サヤカと愛しあう。メッセンジャーと呼ばれるオーヴィルらは、その任務とされる「人間社会への奉仕」に対して「なぜ自分がやらなくてはならないのか」と疑念を抱いたときに、自我を支えるための「自分にとって守るべきもの」の存在が不可欠だ。きたるべき戦闘への旅立ちを前に、オーヴィルは自分にとって価値あるもの──それがイコールこの先の旅路の糧──を、サヤカと過ごす日々に見つけた。

 
 以下本文より抜粋--------

(オーヴィルの旅立ちを前に、引き留める言葉を感情をこめずに吐いたサヤカに対して)
「嘘いつわりなく言って、俺はそうしたくない。俺たちの戦いは間違いなく人類に必要なものだ。それを捨ててまで君を選びはしない……たとえ創造者たちの制約がなくてもだ。俺は与えられた任務に納得している」
「誘惑が嫌いなのね」
「そういうことじゃない。くそっ」
 オーヴィルは強く抱きしめ、サヤカもそれに応える。言葉の力の及ばない領域に入っても、二人には触れ合える肌があった。だが、その交わし方は、どれほど知っても知り尽くせないような気がしていた。

 --------時砂の王74~75ページより

 求めあうということを、端的に表現しているなぁと思い、また、ぞくぞく。
 本当は、この少し先の77ページに、もっとぞくぞくきたシーンがあるのだけれど、それは読んでのお楽しみ、ということにしておきます。

 以上、こうして見ると、私の感じる「面白い」に共通しているのは、「シビアな世界、シビアな人間関係の中にこそ生まれる人間ドラマ」にあるといえそうです。そうやって自分の書いたものを眺めると、なるほど、その傾向が如実に表れているような。そのことを、書いた本人である私自身が感じるだけでなく、「読んだ人にも伝わるように書く」ことこそが、私の望みなのだとしても──。

 道は遠いなぁ。

この記事へのトラックバックURL:

http://drupal.cre.jp/trackback/2137


この記事をブックマーク

人気コンテンツ