笠井 潔、著、『青銅の悲劇 瀕死の王』、宗像冬樹は笠井潔ではない
笠井潔さんの推理小説『青銅の悲劇 瀕死の王』では、架空の小説家宗像冬樹が関わる一連の事件が語られる。宗像冬樹は、作中の語り手キャラでもある。
物語の背景は、まだバブル景気が盛んだった時期の昭和末。「語り手の今」は、1988年年末から1989年新年にかけて、天皇の病状悪化が報じられてた頃の日本。
推理小説も書くけど、長編伝奇SF『鬼道伝』を完結させ、次回作の伝奇シリーズを構想中だった宗像は、旧財閥北澤家と縁戚関係にある旧家、鷹見澤家の一族内で続く謎めいた事件に、素人探偵の1人として関わっていく。
矢吹駆連作で語り手役だったナディア・モガールが論理的な推理を展開する一方、宗像はまるで、犬神家や八つ墓村を訪ね廻る探偵みたいに、鷹見澤家、北澤家両家の関係者の間を歩き廻り、連続事件の背景を尋ねていくことになる。
このレヴュー記事は、笠井小説のファン向けに書いてみました。
【注意】
ストーリーの核心部分についてネタバレは避けてますけど。1部周辺情報はネタバレしてます。
『青銅の悲劇 瀕死の王』だけでなく、矢吹駆連作の『バイバイ、エンジェル』についても重要なネタバレが含まれています。
ご注意ください。
笠井小説のファンてわけではないけど矢吹駆連作は好きだし読んでる、って人向けには、比較的ネタバレが軽いレヴュー「笠井 潔、著、『青銅の悲劇 瀕死の王』、非在の探偵の陰画は謎めいて☆」を書いてみました。
笠井小説も矢吹駆連作も未読って方向けには、ネタバレなしのレヴュー「笠井 潔、著、『青銅の悲劇 瀕死の王』、探偵と、語り手と、作家の合わせ鏡」を公開してます。
よければどうぞ☆
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姫神湖の湖畔に仕事場も兼ねた山荘を購入した宗像冬樹は、デビュー直後に、1度会ったことがあっただけの北澤雨香から突然の電話を受けた。湖の対岸に、雨香が構えている山荘に招待されたのだ。
雨香は、宗像のデビュー作である推理小説、『昏い天使』の表紙を飾った「バリケードのルキフェルス」を描いた画家だった。
「バリケードのルキフェルス」は、やはり画家である別の作中人物から「北澤雨香の作品でも傑作の部類」と呼ばれるタブロー。
銃弾を浴びて殺された男女の屍体、石塊や崩れた家具、切り倒された樹木、外れた馬車の車輪などの乱雑な堆積の上に、烈風で髪を乱した青年が佇んでいる。天空から舞い降りた印象の青年は、野戦服の残骸のようなものをまとっているだけで半裸だ。青年は左腕に突撃銃を携え、右腕ではちぎれた赤旗を翳している。剥きだしの胸部が男性であることを示しているが、顔は若い女、むしろ美貌の少女のように見える。
暗緑色に濁った空には金色の光点が不気味に輝いている。金星だろう。彼方を凝視している青年の横顔は、禍々しい星から発した霞のような光で照らされている。秀でた額と弓形の眉、繊細な鼻梁と形のよい小さな唇。激戦を潜りぬけてきた兵士の外見だが、青年の表情には憂愁の翳りがある。
「ルキフェルスの顔、なんだか雨香さんに感じが似ていますね〔後略〕」と、渡日していたナディア・モガールは、宗像に語る。
私の著書の装幀画から、ナディアは北澤雨香という画家を知ったという。しかし雨香は、自分の顔に似せてルキフェルスを描いたわけではない。モデルは小説のヒロインと同一人物で、画家には双子の姉にあたる北澤風視だ。
上の引用は、全部で12のパート(序章+1章~10章+終章)に構成された作品の第3章から。雨香の息子北澤響クンが、「母からです、宗像さんにクリスマスプレゼント」と、タブローのオリジナルを宗像に引き渡す直後のやりとり。
ここで、宗像が『昏い天使』の「ヒロイン」と言ってるのは、あるいは、「作中のヒロインのモデル」的な意味かもしれない。
風視と宗像の関係については、序章から第3章までの間でも、何ヵ所かに言及があって。北澤風視が、若い頃に自殺したことも、序章で回想される。
宗像が風視の顔を最後に見たのは、宗像が「大学三年生の秋」のこと。
〔前略〕最後に風視の顔を見たのは大学三年生の秋だが、パーティーで三十歳の雨香を紹介されたとき、顔立ちは同じでも目が風視と違うと思った。外界をはねのけるような鋭さではない、吸い込むように深々とした眼。二十歳の風視の表情に刻まれていた、厳しい倫理性という鋭角的な線が雨香には見られない。生真面目な姉とは違って、陽気そうな妹は舞うように華やかな個性を感じさせる。
しかし……、とも思った。もしも風視が三十歳まで生きていたら、あの鋭角的な線は失われていたかもしれない、風視と雨香の違いとして感じたものは、まだ若すぎた二十歳と成熟の入り口に立った三十歳の違いに過ぎなかったのだろうか。
上の引用は、序章から。「物語内の今」時点から10年ほど前、出版社のパーティーではじめて雨香に出会った時のことを宗像が回想するヵ所。「物語内の今」では、雨香は40代のはじめになる。
第3章では、宗像が「北澤風視と一九六九年まで同じ組織にいた」と語られる。
「同じ組織」とは、非合法武力闘争も展開していた新左翼の党派組織のこと。
宗像冬樹は、学生時代、左翼活動で警察に逮捕拘留された経験もあった。
北澤風視は、宗像も属していた組織からさらに分派した過激グループにも加わり、地下に潜伏した後、北澤重工本社ビル爆破のテロに関わったかもしれない。少なくとも可能性はある。
第3章で、風視が北澤重工本社ビルを爆破したグループの壊滅直後に、自殺している、とも、語られる。
「あんたは、どの時点まで風視と接触があったんだ」
「列島を焦土に、東京を廃墟にする百年戦争を開始しなければならないと主張する極左分子が、全国組織から分裂したのは、大学で起きた凄惨なリンチ事件の直後でした。リンチの被害者は脊椎を損傷し、二度と自分の脚では立てない躰になった」
「一九六九年の夏だな」眼を細めるようにして隆夫がこちらを見ている。私は頷いた。
「どの時点まで風視と接触があったんだ」と宗像に尋ねる鷹見澤隆夫は、北澤風視、雨香姉妹の親族にあたる。彼は、学生時代、風視、宗像らとは、又、別のグループに属していた。宗像より深く非合法闘争に関わったキャラで、15年以上、刑務所に収監され、物語内の1988年に仮出所してきていた。
第3章で、宗像は、かいつまんだことしか語らないけど。学生時代の宗像と風視との関係は、第4章でも再度語られる。作中、宗像、ナディアと共に、第3の素人探偵として活躍する高校生の北澤響クンが、鷹見澤隆夫と宗像冬樹に当時のことを尋ねるからだ。
響クンは、自分の伯母にあたる風視の自殺に、母の実家である北澤家が経営する重工本社爆破テロが関わっていたことを聞かされ、ショックを受ける。ショックは受けるけど、当時の伯母のことを知りたがりもする。
この辺のやりとりは、宗像が知ってる過去の出来事への言及を導く小説的な仕掛けに、宗像、隆夫と響、親子ほども歳の差があるキャラクター間の歴史感覚などの違いも重ねて描写されてて、面白く読める。
宗像本人の回想によれば、“欲求不満の芸術少年”だった大学時代の宗像は、新左翼グループの宣伝塔になっていた風視によって“網にかけられた”。今風の言い方だとリクルートされたのだし、当時の言い方だと“オルグ”された。
宗像が、他大学に設けられてた全国組織の支部に派遣されていた間、宗像らの母校で、リンチ事件が起きた。この事件がきっかけになり、宗像の大学の支部組織は弱体化、全国組織の分裂も進み、宗像は大学を中退。これが作中の1969年に起きた出来事だったようだ。
大学支部はリンチ事件を引き金とした弾圧で弱体化し、同時に全国組織の分裂も進行した。行き場を失った私は大学を中退してアルバイト生活をはじめることになる。危険な冬山登山に熱中していたのはその頃のことだ。命が惜しくて逃げ出したのではないことを、自分に証明しなければならないと思いこんでいたのだろう。
連合赤軍事件と新左翼運動の壊滅は暗澹たる気分をもたらした、悪夢で脂汗に目覚め、躰が動かないようなこともよくあった。金縛りというやつだろう。これからどんなふうに生きていけばいいのか皆目わからないような精神的な危機のなかで、とにかく一冊の書物を書き上げようと決意した。〔中略〕
こうして、宗像冬樹が書き上げた一冊の本が、刊行時「左翼テロリズムを主題にした風変わりな探偵小説」とみなされた『昏い天使』だ。作中の宗像が、『昏い天使』のヒロイン(のモデル?)を、北澤風視だ、と考えていることは、すでに紹介した通り。
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さて。
作家、笠井潔のファンには「連合赤軍事件と新左翼運動の壊滅」をきっかけのようにして「とにかく一冊の書物を書き上げようと決意した」話を目にしたことがある人もいると思います。
笠井さんご本人が書き上げた一冊の本は、小説本ではなくて、観念批評の本『テロルの現象学』でした。
ここで、こんな話を持ち出すのは、『青銅の悲劇 瀕死の王』で描かれた宗像冬樹は、笠井潔さんではない、と思えるから。宗像は、著者ご本人をイメージ・ソースにしてはいても、私小説的に、笠井さん自身をモデルにしたキャラではない。
だいたい、宗像冬樹って、おそらく『黄昏の館』で初登場してから、様々な作品で、様々な役柄を演じてきたキャラ。架空の作家であることなどは共通項だけど。例えば、『黄昏の館』の宗像は、アルコール依存症。
手塚治虫さんのマンガのキャラにちょっと似た感じで、固有名が同じでも、作品が違えば必ずしも同じ役柄をふられないできてるのが宗像冬樹だ。
そんな内で『青銅の悲劇 瀕死の王』の宗像は、かなり、作家、笠井潔ご本人のイメージが濃い。アタシもそう思う。それでも、宗像冬樹は笠井潔ではない。
私小説的なモデル小説ってのは、作中人物の言動が“リアル”に、モデルにされた人物の“真実”を描いている、との信憑を読者間に誘導する演出で、作中人物についてのイメージを強化するスタイル。
作家、笠井潔のイメージと、「瀕死の王」の語り手、宗像冬樹のイメージとを比較すると、宗像のイメージの方が希薄だし、騙し絵のような小説構成もあって、印象は反・リアル。
描写のリアル度だけで言ったら、例えば『天啓の器』に登場する宗像の方がリアルだ。
『青銅の悲劇 瀕死の王』についての別のレヴュー記事でも触れてるけど、作中、宗像は日本にいた頃、北澤風視らのグループを指導していた時期の矢吹駆を知ってて、インドの山奥で修行して以降の駆のことは知らない。
(逆に、作中に登場するナディア・モガールは、日本時代の駆のことは直接には知らない)
つまり、宗像冬樹の処女作という『昏い天使』には、矢吹駆やナディア・モガールが登場してるとは思えない。この辺が「騙し絵的な構成」ね。
矢吹駆連作の第1作『バイバイ、エンジェル』のネタバレになるけど。この小説のクライマックスでは、探偵役の矢吹駆が、作中で金星に喩えたテロリストの女性を死に追いやる。あるいは、彼女の自殺を黙視する。
「瀕死の王」の宗像は、パリ時代の矢吹を知らないまま、かつて自殺した風視の死を悼む思想を語りはじめる。
物語のクライマックス近くで、裕仁天皇の死が報じられた日、宗像に北澤響クンが電話をかけてくるシーンがある。
電話は北澤響だった。「天皇が亡くなりましたね」。
「いま起きだしたところだけど、そのようだね」
「……宗像さんも、残念に思ってるんですか」
少年の質問の意味がよくわからない。「残念とは」
「風視伯母さんがどんなことを考えていたのか知りたくて、あの事件の記録を読んでみたんです。裁判で主犯の浦川という人、『天皇の自然死はわれわれの敗北だ、どのようなことがあろうと日本とアジアの民衆の手で処刑しなければならない』って。お召し列車を荒川鉄橋で爆破する計画もあったとか」
考えながら答えた。「浦川の発想は観念的倒錯にすぎないと思う。いや、浦川自身は違うかもしれない。自分を穢れていると感じ、どのような犠牲を払っても自己浄化しなければならないと思う倫理主義の欲望が倒錯的なんだから。あの頃、若者の一部がどうしようもなく巻き込まれていた観念的欲望を、たんに浦川は利用しようとしたにすぎない。穢れた自分から逃れるには、自分たちの穢れを一身に集める特異点を発見して攻撃すればいい……」
〔中略〕
電話の彼方にいる少年に、というよりも自分自身に低い声で語りかけた。「われわれと同じように罪深い一人の老人が死んだ、寿命が尽きてね。あの老人の罪深さは、われわれ一人一人の罪深さを映しているにすぎない。破滅を賭けて天皇を暗殺すれば、自分と日本人総体の罪が贖えるという発想は皮相だし、安直だと思う」
「安心しました。もしも宗像さんが『処刑できなくて残念だ』と本気で思っているなら、なんだか少し怖いから」〔後略〕
引用ヵ所で、宗像が響に語ってる判断は、凡庸とも言えるものだけど。判断を導いたのは、『バイバイ、エンジェル』を書いた頃の笠井潔には語れなかった思想のはずだ。〔中略〕としたヵ所には、『テロルの現象学』のセオリーが用いられてるけど。セオリーの応用面に、別フェイズへの移行が見られる。
作中で、宗像が響クンに聞かせた思想、80年代末の笠井潔に語れたか? と、言うと、『哲学者の密室』がまだ書き上げられてなかった時期なので、語れたか語れなかったか微妙だけど。多分、こんなふうに語ることはできなかったような気がする。
「瀕死の王」作中の宗像には、まだ充分な自覚はないようだけど、宗像は、学生時代“人格化された超自我だったような気がする”矢吹駆への依存から脱しようとしているようだ。
言ってしまえば、『青銅の悲劇 瀕死の王』の隠された物語は、「それぞれに矢吹駆を克服しようとしてるナディア・モガールと宗像冬樹の物語」。
もし、「『瀕死の王』の宗像冬樹は、笠井潔だ」と言われるなら、同時に「『瀕死の王』のナディア・モガールも、笠井潔だ」と言われなくてはならない。そして、そんな言い方には、あまり意味がないだろう。
ことに、『青銅の悲劇 瀕死の王』については意味がない。作品からは、たしかに、過去の矢吹駆連作や、連作で描かれた矢吹思想に対する自己言及も読みとれる。けれど、それらが、絶対的作者の立場からの批評ではあり得ないように仕組まれているのが「瀕死の王」だからだ。
少なくとも、「瀕死の王」の物語と連作既刊の物語との間には、語り手キャラが異なることから、少なくない断層が生じてる。
ことに、作中で宗像とナディアとが矢吹駆を巡って取り交わすやりとりには、食い違いやかみ合わなさが描かれてて、面白い。
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『青銅の悲劇 瀕死の王』の、ストーリーの主要題材は、もちろん「旧家鷹見澤家で連続する事件と、事件の謎に取り組む探偵役たち」。
ストーリーを通して読み取れる内容の主題は「青銅の悲劇」を焦点にした、昭和日本評価を巡る思想戦。
そして、謎解きを通して、宗像やナディアが昭和日本の評価を考えるとき、彼らの言動は、矢吹駆の言動に影響を被っている。喩えて言うなら、不可視の重力点のような矢吹駆思想から、宗像やナディアの思考や言動は影響を被ってるんだけど。
宗像もナディアも、それぞれが「青銅の悲劇」についての判断を、矢吹思想の引力に抗うように、下してみせてる。
宗像の判断については、例えば、先に引いた北澤響クンとの電話のやりとのヵ所に読みとれる。
他のヵ所にも編み込まれてて。例えば、鷹見澤家家長の信輔と会話しているシーンで、“老人の信じるところは共有できないが、そう信じることで戦後を生きた人間が存在する事実は否定できない”と、思うあたりなどからも読みとれる。
「青銅の悲劇」についての、ナディアの判断については、クライマックスで信輔が割腹自殺をした後の一連のセリフからうかがうことができるはず。もちろん、信輔の割腹自殺は、「瀕死の王」で描かれた「青銅の悲劇」のクライマックス。
もし、「『瀕死の王』の宗像冬樹は、笠井潔だ」と言われるなら、同時に「『瀕死の王』のナディア・モガールも、笠井潔だ」と言われなくてはならない。
つまり、「青銅の悲劇」を焦点にして宗像が語る思想、ナディアが語る思想を統合したものが、「瀕死の王」から読み取れる笠井潔であるはずじゃん。
そして、ここで言う「統合」されたものは、単に宗像の思考とナディアの思考を順接的に切り張りしただけでは掴めないはず。
なぜなら、宗像とナディアのやりとりからは、多くの断層がうかがえるから。
こうも言える。
宗像とナディアのそれぞれは、「青銅の悲劇」を焦点にした一連の出来事についての評価、その背景までも含めた評価を、それぞれ異なった視点から下してる。
さらに言うなら、ここに北澤響クンによる評価も関わらせる方がいいだろう。
人込みを縫うように砂利を踏んで歩き続けた、前方に見えてきた長蛇の列の終点には記帳所がある。
「坊主、記帳しないのか」
立ちどまって響が答えた。「やめときます」
「どうしてだ。おまえは左翼でも反天皇でもないだろう」
「風視伯母さんのこともあるし、ちょっと」
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ちなみに、「瀕死の王」で「青銅の悲劇」の焦点を演じた鷹見澤信輔というキャラクターについては、北澤響の曽祖父で隠居してる嘉寿朗が、宗像の問いに応えて語ったくだりが、アタシには感動的でした。
敗戦後復員してきた頃の信輔についての回想を梃子の支点にして、物語内の今での信輔を批評してるヵ所です。
「復員してきた信輔は頼拓の駅を降りると、鷹見澤の家に帰る前にわしのところに挨拶にきてな」
「どんなことを話していましたか」
「日本の降伏は認めない、一人でも本土決戦を戦いたいと。天皇との契約の行方を見定めるというのも嘘ではないじゃろう。しかし、本当に気に病んでいたのは死んだ戦友たちのことだ。戦友たちは死んで自分は生き延びた。三百万の戦死者を見棄てることで、われわれは戦後を生きる可能性を得た。もしも単純な皇国主義者であれば問題は簡単だ、天皇に詫びて皇居の前で腹を切ればよい。
信輔がまぬがれたいと思ったのは、天皇でなく、死んだ戦友たち、三百万の戦死者たちへの責任じゃった。むろん広島長崎や東京大空襲で死んだ民間人も含まれる。サイパンや沖縄で、軍人でもないのに玉砕した民間人もな。
戦争を生き延びた自分が戦後を生き続けることは許されるのだろうかと、信輔は問うた。許されると思うしかない、人間は他人の死に責任を負えるほどえらくはないのだからとわしは諭したが、信輔が説得された様子はない。その日を境に屋敷から一歩も出ない暮らしをはじめたようだ。……夏の暑い日のことじゃった」
「人間は他人の死に責任を負えるほどえらくはないのだからとわしは諭したが、信輔が説得された様子はない」の語りと、それを聞いた宗像の沈黙が感動的です。
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「瀕死の王」は、語り手キャラが違うって点からだけでも、ナディア・モガールが語り手キャラを演じてる矢吹駆連作とは、別種の作品と言えます。もし「青銅の悲劇」の続編が、宗像を語り手に書き継がれれば、別系統の連作になるのかもしれません。
ファンとしては「青銅の悲劇」の続編にも期待しています。
何がどうなるのか、いろいろな予想がたちすぎて(笑)、どんな続編になるか予想しきれませんけど。
少なくとも、ナディアが、駆を殺そうとまで思いつめてるその理由が知れる作品が期待されます。
できるならば、アタシ的には「瀕死の王」の延長上の宗像が語り手であってほしい。
それから、これは、1読者としての願望になってしまいますが。天啓教団を巡る思想戦を読みたいと思います。
矢吹駆については、アタシも続編に登場してくれたら嬉しいけど。個人的には非在のキャラのままになっても、作品が面白ければ我慢できるかな。その代わり『吸血鬼の精神分析』も早く単行本刊行してほしー☆
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書誌情報:
笠井 潔,『青銅の悲劇 瀕死の王』,講談社,Tokyo,2008.
978-4-06-214806-1
笠井 潔,『バイバイ、エンジェル ラルース家殺人事件』(創元推理文庫),東京創元社,Tokyo,1995.
4-488-41501-6
笠井 潔,『テロルの現象学』(ちくま学芸文庫),筑摩書房,Tokyo,1993.
4-480-08069-4
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備考:
2008年11月11日に、一部改訂を加えた。
2008年11月20日に、少し増補した。

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