『豊臣朝臣徳川家康』(橋場日月/『歴史群像No.92』より)に見る、戦国延長ゲームとしての『汝は人狼なりや?』
『歴史群像No.92』の橋場日月さんの『豊臣朝臣徳川家康』は、前に橋場さんが『誤算と失策の関ヶ原』でも書かれていた、秀吉亡き後もまだ血に飢えた戦国武将たちの恩賞を求める気持ちが、関ヶ原への流れを作ったという視点で書かれた記事である。
天下人であった豊臣秀吉が死んだのは1598年のことだ。
本能寺の変があったのが、1582年。16年前。
北条討伐をして、東北の仕置きもすませ、実質的に天下を統一したのが1590年。8年前。
わずか8年前まで、日本は戦国時代だったのだ。
いや、その時点で朝鮮に軍を送っていることから考えても、戦国時代の主役であった戦国武将たちは『まだ俺たちの戦国は終わってないぜ』という気持ちだったのではあるまいか。
なんといっても曾祖父の代から百年も続いた戦乱である。
しかも彼らは青年の頃から戦って、領土と名誉を勝ち取ることで成功者になった連中ばかりである。
上杉謙信は軍神だったかもしれない。武田信玄も強かったろう。
だが、それがどうした。彼らの指揮した軍隊はしょせん戦争“も”する腕のいいアマチュアにすぎない。俺たちは、装備も戦術も、後方支援や指揮通信を含むすべての面で、戦国時代の経験値を積み上げてレベルアップをしてきた、いわば、戦国武将の最終進化バージョン。戦争のためだけに特化したプロ中のプロだ。
人は自らの成功体験を繰り返す。
秀吉子飼いの連中は、秀吉亡き後もやはり、己の成功体験を繰り返そうとした。
すなわち、戦争をして勝ち、負けたものの所領を分捕るという。
朝鮮、そして中国へ向けた、ものすごく迷惑な戦争行為は失敗に終わった。海外で同じことをやってもうまくいかない。ならば、国内でやろう。
そして、戦争するには相手が必要である。誰と戦うか。
個人の思惑とかそういうのはヌキにして、戦国武将たちは「とりあえず誰かと戦いたい。戦って勝って分け前をもらいたい」のではなかろうか。
まるで血に飢えた狼のようであるが、戦国時代という環境に過適応したモノノフとはそんなものかもしれない。
これは、まさしくゲームでいえば『汝は人狼なりや』である。
とにかく誰でもいいから、人狼と決めつけて吊さないことには、ゲームは進行しない。
「はーい、家康が人狼だと思います」
「おいこら治部少。おまえ、いきなりなんつうことを」
「内府かー。二百万石はうめえよなぁ」
「待てみんな。落ち着け。それより、前田利長だ。あいつワシを暗殺しようとした。きっと人狼だ」
「加賀百万石かっ!」
「内府相手の戦争は厳しいが、前田なら先代のオヤブンが亡くなったばかりで弱体化してるからな」
「ちょっと待つのじゃ。わっちは人狼なんかじゃありんせん。リンゴあげるから許してくりゃんせ」
「もきゅもきゅ。しょうがないなー」
「誰かいねえか? こうなったら誰でもいいから、人狼にしちまおうぜ」
「おい、そういや、上杉のヤツがなんかコソコソしてたぞ。あいつ、戦争に備えて準備してたみたいだからな」
(それは皆一緒だが)「なにーっ、それは語るに落ちたってものだな! よし、上杉討伐だーっ!」
「出羽と陸奥の百万石かっ!」
「ちょっと遠いが、朝鮮よりは近いよなっ! しかも朝鮮の時はあいつらあまり役に立たなかったし! 苦労したのは俺たちだけだったし!」
「つるせーっ、上杉をつるせーっ!」
「よし分かった。みんな、ここは五大老筆頭でワシが指揮をとる。上杉をつるして、所領は朝鮮でがんばった連中を中心に恩賞にしよう!」(こうでもせんと、またワシがつるされる)
「お、おい上杉。お前、口べたなのはいいが、何か言えよ。このままだとつるされるぞ?」
「……(ぼそぼそ)」
「なんだ? 何がいいたい?」
「……来るなら来い、相手になってやる」
かくして。
戦国時代延長戦な『汝は人狼なりや』は、ゲームシステムの定めるままにヒートアップして、関ヶ原の戦いへと突入するのである。
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