笠井 潔、著、矢吹駆連作第0号作品『熾天使の夏』

 笠井潔さんの「幻の処女長編」だった熾天使の夏』。

 単行本が刊行されたのは1997年で、矢吹駆連作の「第0号作品」って位置づけも、著者ご本人がされてる。

 「著者が言うなら」とかじゃぁないけど。「第0号作品」って、『熾天使の夏』にピッタリくる位置づけ。

 この作品、笠井潔デビュー作の連作第1作『バイバイ、エンジェル』よりも、先に脱稿されてたそうだし。
 作中でも、矢吹駆と思しき人物が、インドの山奥で修行するより前の経験が描かれてるし。
 それから、連作の語り手キャラはナディア・モガールだけど、「熾天使」の方は、全編がカケルさん(矢吹駆)の1人称で語られてるし。
 総合すると、「第0号作品」てのは、妥当だし、とてもピッタリくる位置づけ。

 もし、あなたが矢吹駆連作をもう、どれか1冊でも読んでて、気に入ってる、とか、気にはなる、とかだったら。
 『熾天使の夏』は、是非、読むべき1冊と思います。
 だって、連作の矢吹駆の謎めいたセリフとかを読み解く手がかりが、いっぱいありますから☆
 今だと、2008年刊行の創元推理文庫版が入手し易いはず。

 この記事は、「矢吹駆連作をもう読んでて、気に入ってる、あるいは、気にはなってる人」を想定したレヴュー記事になります。
 「矢吹駆連作? 知らないー」て方に向けては、別に「笠井 潔、著、幻の処女長編『熾天使の夏』」を書いてみました。よければ、どうぞ☆

Cover image
(『熾天使の夏』、創元推理文庫版書影)

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【お断り】
 このレヴュー記事は、不必要なネタバレは避けて書いています。
 けれど『熾天使の夏』については、紹介に必要とした範囲で、作品構成の特徴について言及しています。

 また、以下の関連作(笠井小説)について、1部ネタバレを含んでいます。
バイバイ、エンジェル
サマー・アポカリプス
青銅の悲劇 瀕死の王
 「ネタバレ」と言っても、謎解きなど、ストーリー本筋に直接絡む類ではないはずです。
 けれど、各作品のプロットに沿って、徐々に明かされる関連事項を先取りしたり、配列の前後関係を変えて、あれこれ論じてるヵ所もあります。
 お断りしておきます。

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 『熾天使の夏』の主人公で語り手キャラは、別の作中人物から「カケルさん」と呼ばれる男性。この「カケルさん」は変名であることも作中で明かされてて。一ヵ所だけ、「ヤブキ」って呼ばれるとこもある。

 「ヤブキ・カケル」は、矢吹駆連作の矢吹駆につながるキャラの若き日の姿らしー。
 『熾天使の夏』のヤブキ・カケルは、インドの山奥で修行する前で、まだテロリストだった。テロリスト時代の終わりが、本人の1人称で語られる、そんな小説が「熾天使」。

 ちなみに、「熾天使」のヤブキ・カケルと、連作の矢吹駆とは、多分、同じキャラと思えても、割と長い間、今いち、断定しがたい捉えどこ無さもあった。
 この辺も、「0号作品」って呼ばれる作品の語り手キャラらしい感じ(笑)。

 『熾天使の夏』の創元文庫版刊行に前後して、講談社から単行本刊行された『青銅の悲劇 瀕死の王』を読み併せると、ヤブキ・カケルと矢吹駆とは、一連の架空の出来事を共有する物語世界で連続したキャラだと、確信を持って思えるようになりました。

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 全部で11章に構成された物語の第1章では、異国の小いさな島にある植民都市の小ホテルの1室で、語り手が耽ってる奇妙な思考が語られます。ちなみに、この植民都市が「南シナ海に面してる」ことは、作品のずっと先の方でチラリと触れられてる。

 空港前でタクシーに合図し、記憶にあるホテルの名称を運転手に告げた。このホテルに滞在する理由も、異国の小さな島に留まる必要も既にない。もしも風視か葦男か憑二が、まだ生きて逃走中なら約束の場所で待つべき理由はある。緊急事態が生じた時は<中央委員会>の所在地だという、植民都市の小ホテルで集合することが確認されていたからだ。国外に逃走しなければならない時に備え、四人全員が偽名の旅券と当座の旅費を準備することも決定されていた。
 けれども、再結集すべき団員はもういない。

 上は、第1章からの引用。
 語り手は、“あるいは、敵の襲来を潜在的な意識では願望しているのだろうか”、滞在する理由もないはずのホテルを動こうとせず、“完璧な自殺それが問題だ”とか考えてる。

 小説の奇数章では、小さな島の植民都市を背景に、逃亡者であるはずの語り手が、「完璧な自殺」に向けて準備を重ねてく物語が読めます。「完璧な自殺」って何のことなのか、何でそんなことしようと思うようになったのか、何を目指して挑戦するのか……、などなどは、小説を読み進んでく内に、少しずつ読み解いていける。そーゆー仕掛けの物語。

 この小説は、奇数章と偶数章で「語り手の今」が異なる時制なのも特徴。
 偶数章の物語は、4人だけの「小さな陰謀団」の結成と、爆弾テロ、陰謀団の壊滅といったサスペンスが軸。
 つまり、語り手キャラが、1人で植民都市の小ホテルに逃れてくるようになった顛末が読めます。

「……カケルさん」
 不意に昔の名前で呼ばれ、驚愕が全身を駆け抜けた。この名前を知っている女は一人しか思い当たらない。喉の奥から囁きかける深々とした声、厚みのある魅力的な掠れ声。女の両肩を掴んでいた手の力が抜けた。しなやかな首筋を傾けるようにして、女が振り返った。蒼みを帯びた黄昏の光に、見覚えのある若い女の横顔が浮かぶ。

 上は、第2章からの引用。
 大学で左翼党派活動に加わってた語り手が、内ゲバ・リンチ事件の容疑者として裁判を受け、受刑して刑務所を出獄してきたら、“三年前に形をなし始めていた新組織は壊滅し、既に四散していた”。
 出獄してから1年以上、孤独に暮らしていた語り手が、ある日尾行者に気づく。尾行者の素性を掴もうと、逆に待ち伏せると、尾行者は以前の党派の同士で、半年ほど同棲生活を共にしたこともあった風視だった。
 風視は「この一年間、あなたはビルの夜警の仕事をしているだけで、他になにも積極的なことをしていない」と語り、出獄後のカケルさんを監視しつづけてきていた、と明かす。

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 「熾天使」の語り手キャラは、「完璧な自殺」に向けての遂行過程で強度の幻視体験をして、「すべてよし」とつぶやくようになる。この辺が奇数章のクライマックス。

 言ってしまえば、連作第0号作品は、「テロリストとしてのヤブキ・カケルが、『完璧な自殺』を試みて、幻視体験を経て『すべてよし』と言えるようになる」、そんな物語として読めるんですけど。
 そうだとしても、いろいろ不思議なヵ所が散見される。

 例えば、『バイバイ、エンジェル』で、駆はナディア・モガールに「人間にとっていちばん重要な問い」は「殺人と自殺の是非だ」って語る。
 「熾天使」と『バイバイ、エンジェル』を、同じキャラの連続した物語として読むなら、駆は、カケルとして体験した「熾天使」で語られた出来事について、自分なりに納得できる整理をまだ着けられてないんだ、と思える。『バイバイ、エンジェル』の時点では。

 あるいは、『サマー・アポカリプス』では、駆の「霊的印象」についてが語られる。

「……マドモアゼル・モガール。あの人、ほんとうに自由なのかしら」
「カケルのこと」わたしは反問した。
「そう、ムッシュ・ヤブキのことよ」
 質問の意味がまるで理解できなかった。虚をつかれるように、わたしは絶句した。突然にいったい何を言い出そうというのだろう。
「……あの人、ほんとうに自由なのかもしれない。でも、そうであるために、どんなに荒れ果てた風景の世界に棲んでいるのかしら。魂から、花や太陽や海や、色鮮やかなものたちを全部追い出さなかればならない自由って、いったい何なのかしら。あの人の心の世界には、生きた他の人たちが一人もいないってこと、あなたは知ってるかしら」

 引用は、シモーヌ・リュミエールが、ナディア・モガールに、駆の「霊的印象」を語るヵ所。正確に言えば、シモーヌは、駆の霊的印象から導かれた疑いについて、ふとした感じでナディアに洩らす。
 シモーヌが言う「魂から、花や太陽や海や、色鮮やかなものたちを全部追い出さなかればならない」「生きた他の人たちが一人もいない」心の世界がどんなふうかは、『熾天使の夏』では、ヤブキ・カケル自身の言葉で語られてます。

 シモーヌが言う駆の「霊的印象」は、インドの山奥での修行……、作品での表現に準じて言えば、ヒマラヤの「崩れかけた僧院」での、老いたチベット人を導師(メートル) にした修行を通じて、駆が身に着けたもの、と思える。
 けれど、「魂から、花や太陽や海や、色鮮やかなものたちを全部追い出さなかればならない」、「生きた他の人たちが一人もいない」心の世界は、「熾天使」で語られる語り手の心象風景に、印象がすっごく似てる。

 アタシ(紹介者)が不思議と思うのは、『熾天使の夏』のクライマックスで、ヤブキ・カケルを見舞う幻視体験のヴィジョンは、その印象が、「魂から、花や太陽や海や、色鮮やかなものたちを全部追い出さなかればならない」「生きた他の人たちが一人もいない」心の世界と、あまりに違うこと。
 これは、割と不思議。

 『サマー・アポカリプス』には、駆が、インドの山奥での修行体験について語るヵ所もあります。

「ねえ、どうしたの。シモーヌ・リュミエールに会った時のあなた、少し変だったわ」
「変、か……。僕が」
「そう、変だったわ。まるで脅かされているみたいだった」
 カケルは眼を細めるようにしてわたしを見た。その表情にも、いつもの冷たい意志力がどこかで揺らいでいる感じがあった。
「……判らないんだ」
「判らないって何が」
「自分が。いや、導師(メートル) の教えの意味が」
先生(メートル) 、って、いったい誰なの」
「老いたチベット人だ。導師(メートル) は、世界には善も悪も存在しないことを僕に教えた。僕は、あの崩れかけた僧院で最後の解脱(ニルヴァーナ) の時まで坐り続ける決意だった。第一と第二の離脱は僕を襲った。しかし真の解脱のためには、第三の決定的な離脱を体験しなければならない、それなのに導師(メートル) は、僕に告げたのだ。地上へ還れと、と。地上に還って() と闘え、と。
 自分が() であることを知った時、僕はどんなにか苦しんだことだろう。離脱の体験は僕を新しい地平に導いてくれた。() () () () 。しかし、世界には善も悪もほんとうのところ存在しないのだ。この認識が訪れた時、初めて、そう、初めて僕は魂の安らぎを実感することができた。そのまま死んでしまってもいいと思うほどの深い魂のやすらぎ……。それなのに、あの老チベット人はいったのだ。地上に還って() と闘え、と、そうすることなしに第三の離脱は決して訪れないだろうと。
〔中略〕いや、存在するものが存在しないものであることを教えてくれた導師(メートル) が、いったいなぜ、僕に善を為せ、() と闘えと告げたのか、そのことの意味が僕にはわからない……」

 「自分が() であることを知った時、僕はどんなにか苦しんだことだろう」。
 このヵ所も不思議なんです。
 アタシ的には、駆が「自分が() であることを知った」のは、『熾天使の夏』クライマックスでの幻視体験を「きっかけにして」のことだろう、って思うんですね。

 ヤブキ・カケルは「熾天使」クライマックスの幻視体験直前まで、それまで自分が関わってきた暴力について、有罪だと感じたことが無い、って考えてます。

 おのれにむけられた他人の暴力を悪であると感じない者が、自分のなした暴力に痛切な有罪感覚を抱くことなどあり得ない。〔中略〕
 有罪であることを否認する気もないと、ほとんど他人事のように思う。罪のためにおまえは死ななければならなといわれても、たぶん同じだ。生きたければ逃げるかもしれない。逃げられなければ死ぬ以外にない。処刑されることに対した不満は感じない。初めから他者も世界も、遠方の無関係な場所で抽象的に存在していた。〔後略〕

 強調しますけど。
 上の引用ヵ所でのカケルの思考は、「熾天使」クライマックスでの強い幻視体験直前のものです。
 ここでカケルは、自己の「現実感喪失」感、と観念に憑りつかれた思考、社会的人格の壊れ、などを自己省察してるんですけど。「自分が() である」って認識はここには見当たらない。

 偶数章では、かつてカケルが自らも手を下したリンチ事件の回想で、被害者に「……ヤブキ、おまえが最も悪だ。……お前がいちばん悪だぞ」って名指しされてるんだけど。この言葉も、観念の鎧に覆われたカケルの、腹が立つほど頑なな精神には届いてない。

 で、そうしたカケルのセルフ・イメージなどは、多分、クライマックスの幻視体験で覆された。それは、さしあたり、いいとします。
 けれど、連作に見られるような「私は() だ」って傍点つきで強調されるような罪障意識は、『熾天使の夏』のテクストには直接は見当たらない。
 先にアタシが書いたのは、後の矢吹駆に特徴的な強い罪障意識を導き出すような「きっかけ」は、『熾天使の夏』の内の些細な描写から読みとれる、ってこと。

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 『熾天使の夏』って作品には、矢吹駆連作の他の作品のテクストを読み解くのに、有力な傍証になる手がかりがたくさん編み込まれてます。
 参照すると、謎も深まったりするんですけど(笑)。
 これは仕方ない。1人称の語りと3人称的な語りとの間の参照なんだから、何の齟齬も生まれなかったら、かえって変。

 逆も言えて。
 矢吹駆連作のそれぞれの作品にも、『熾天使の夏』のテクストを読み解くときに参照する価値のある手がかりがたくさん編み込まれてる。
 相互参照すれば、注目すべき齟齬や断層も多く見出せる。
 もちろん、同じように、相互参照が響きあうような関係は、『熾天使の夏』以外の関連作品の間でも、決して弱くないんですけど。

 「熾天使」も含めた連作の長いストーリーを考える場合。もちろん、矢吹駆本人については、第0号作品で語られる出来事が、もっとも古い時期の出来事になってて。
 その意味で、1号作品『バイバイ、エンジェル』の前の作品で「0号作品」って位置づけは、判り易いですよね。

 同時に、『熾天使の夏』のテクストは、関連作の優先参照テクストの内でも、一際、優先度の高いテクストになってると思います。
 比ゆ的に言って、矢吹駆連作の内容上の原点。その意味でも「第0号作品」って位置づけは、ピッタリくる。
 言うのも野暮だけど、やっぱり、ヤブキ=矢吹の1人称小説ってとこが効いてます。

 とゆーわけで。
 「矢吹駆連作をもう読んでて、気に入ってる、あるいは、気にはなってる人」には、『熾天使の夏』お勧めします。
 もし、未読だったら、是非読みましょう☆。
 もし、もう読んでる人でも、きっかけがあったら、再読してみれば、何か発見があるかもしれません。

 『熾天使の夏』の創元文庫版刊行に前後して、講談社から単行本刊行された『青銅の悲劇 瀕死の王』では、物語内で20年前の矢吹駆のおこないも、彼に深く関わった人物たちの間では懸念されてます。

「あなたの証言によれば、真に罰せられるべきは藤堂憑二と配下たちではないかしら。藤堂が配下の学生に、拉致された人をリンチするように命令したのだとすれば。しかしこの事件で藤堂は起訴されることなく、矢吹さん一人が責任をとった……。孫六さんは健康を回復できたんですか」
「脊髄の損傷で、死ぬまで車椅子生活だとか」
「残酷だわ」綺麗な形の唇がかすかに震えていた。「どうして矢吹さんは、そんなことをしたんでしょう」
「主流派が送りこんできたスパイを、矢吹は解放しろとはいえない立場だった。決定的な一撃を加えることで、死にいたるかもしれない執拗な拷問をやめさせようとしたのかもしれません」
 しかし手元が狂った。病院前に放置するしかない程度の怪我を負わせようとして、致命的な攻撃を加えてしまった……。
 ナディアが自分に語りかけるように呟いた。「暴力で壊されてしまう人間が、どうしても許せないと感じたからだわ」
「だから暴力で壊したんですか。よくわからないな、僕には」
「存在することが許せない以上、暴力で壊れてしまうような人間は消してしまう以外にない。あの人はそう思ったのね、きっと。誰かの手で自分が消去されるときも、まったく無抵抗に事態を受容するはず、『すべてよし(トゥー・テ・ビヤン) 』と呟きながら。
 でも、わたしが知ってる矢吹駆はテロリズムを憎んでいた。いいえ、憎んでいたというと少しニュアンスが違うかもしれない。むしろ絶対に許しがたいものと感じていた。あの人は宗教もヒューマニズムも共産主義革命も、あらゆる価値観を信じないニヒリストですから、暴力を否定しうる思想的な根拠がない。そうした自分に本当は苦しんでいたのかもしれません。〔後略〕」

 やっぱ、ナディア、駆のこと語らせると、深いじゃーん。
 ちゃんと、カケルと駆の間の断層にも気づいてるし(「でも、わたしが知ってる矢吹駆はテロリズムを憎んでいた」)。さっすが連作の語り手だけのこと、あるねっ☆

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【おまけ】
 『熾天使の夏』のヤブキ・カケルと、連作矢吹駆とは、多分、同じキャラと思えても、割と長い間、今いち、断定しがたい捉えどこ無さがありました。

 笠井潔さんって、例えば、伝奇SF長編の作品群「コムレ・サーガ」では、ツァラという不死身の巨人やコムレの民って一族が共通して物語に関わっても、作品のそれぞれはパラレル・ワールドみたいな感じの作品(群)書いるし。
 あるいは「天啓の~~」って書名の頭3文字が共通してる一連の作品では、宗像冬樹と呼ばれる架空のキャラを描いてるんですけど。『天啓の宴』で描かれる宗像冬樹は、『天啓の器』の登場人物をイメージ・ソースにした架空キャラだ、とか、メタ構造のレイヤー階層が錯綜した連作も書いてます。

 なので、長い間、「熾天使」のヤブキ・カケルが、連作の矢吹駆に連なるキャラかどうか。多分そうだろう、と思えても、決定打にかけるような不安感もあったんです。
 作品の内容は、著者も含めた読者たちの間で評価されていくもの、とするなら。
 「著者が言ってるから」とか、「書評に書いてあったから」とか、あるいは出版社の宣伝コピーにあったからとかって情報「だけ」を根拠に、ヤブキと矢吹を同一人物って決めつけるわけにはいきませんよね。
 厳密に言えば「第0号作品」って位置づけと、ヤブキが矢吹と連続したキャラかは別のもんだいだし。

 『熾天使の夏』の創元文庫版刊行に前後して、講談社から単行本刊行された『青銅の悲劇 瀕死の王』も読み併せると、ヤブキ・カケルと矢吹駆とは、一連の架空の出来事を共有する物語世界で、連続したキャラだって、確信を持って言えるようになりました。
 ヤブキ・カケルは矢吹駆の若き日の姿、と思えます。

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書誌情報:
笠井 潔,『熾天使の夏』(Mephisto club),講談社,Tokyo,1997.
4-06-208752-9

笠井 潔,『熾天使の夏』(講談社文庫),講談社,Tokyo,2000.
4-06-273033-2

笠井 潔,『熾天使の夏』(創元推理文庫),東京創元社,Tokyo,2008.
978-4-488-41507-5

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