妄想的論考:矢吹駆は、何故、ナディアの気まぐれに応じたか?
ナディア・モガールは、笠井潔さんの連作推理小説、矢吹駆連作の語り手役キャラクター。
彼女が、連作の探偵役、矢吹駆に出遭ったのは、19歳の秋のこと。顛末は、第1作『バイバイ、エンジェル』冒頭の序章で語られてる。
野次馬なナディアは、以降、父親のモガール警視が関わる怪しげな事件に、ちょくちょく首を突っ込む。駆の方は、ラルース家殺人事件以来、モガール警視の方からしばしば助言を求められるようになってくんだけど。
駆は、出遭った当初、なんでナディアに付き合うことにしたのか?
結構、謎だと思う。

(『バイバイ、エンジェル』、創元推理文庫版書影)

(『サマー・アポカリプス』、創元推理文庫版書影)

(『哲学者の密室』、創元推理文庫版書影)

(『青銅の悲劇 瀕死の王』単行本書影)
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【お断り】
この論考は、筆者の妄想に基づいた論考ですが、以下の笠井小説について、1部ネタバレを含んでいます。
『バイバイ、エンジェル』
『サマー・アポカリプス』
『哲学者の密室』
『青銅の悲劇 瀕死の王』
「ネタバレ」と言っても、謎解きなど、ストーリー本筋に直接絡む類ではないはずです。
けど、作中人物の人間関係についての情報が、多く含まれてます。
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「宗像さん、あなたは矢吹駆のことをご存知ですね」
「……ええ」私は頷いた。このフランス女性は、どうして旧友の変名を知っているのだろう。
「あなたも知っているんですか、矢吹のことを」
「最初に日本語を教えてくれた人です」
パリ大学の学生だった十数年前、たまたまソルボンヌの教室で日本人の青年と知り合い、日本語の個人レッスンを頼むことにしたのだという。
引用は、『青銅の悲劇 瀕死の王』の第九章から。
1989年のナディア・モガールが語ったことを、宗像冬樹は、少し大づかみに理解してる。
ソルボンネに通う学生だった19歳のナディアは、リヴィエール教授の哲学の講義に毎週顔を出してた東洋人のことが気になって、ある日の講義の後、尾行した。
駆が、個人としてナディアに初めて対面したのは、この尾行を逆尾行で待ち伏せた路地でのこと。日本語の個人レッスンの件も、その時申し出られて、受け入れられた様子。
はじめナディアは、駆のことを東洋から来た留学生と思ってたみたいだけど。多分、駆は、学籍を持たずに勝手にリヴィエール教授の講義に潜り込んでたテンプラ学生(モグリの聴講生)だったろうと思う。
〔前略〕
矢吹駆という青年と知りあったのは、こんな事情からだった。教室で頭に浮かんだ計画というのは、この青年に語学を習いたいと申し入れてみることだったのだ。彼はわたしの先生になることを承知した、それから毎週、リヴィエール教授の講義のあと、わたしたちはオデオン裏の珈琲店で日本語の勉強を始めることになった。彼は巧みな教師だったけれど、まったく自分の過去というものを語ろうとしなかった。あの謎めいた微笑の裏にあるものは、依然としてわたしの理解を超えていた。
カケルはなぜ気紛れな依頼に応じる気になったのだろう、わたしには、どう考えてもその理由がよくわからなかった。
引用は、矢吹駆連作の第1作『バイバイ、エンジェル』の序章から。
「カケルはなぜ気紛れな依頼に応じる気になったのだろう」
ほんっと謎よね。
『青銅の悲劇 瀕死の王』では、1989年のナディアが、19歳の頃の自分の事「少し小生意気だった」とか言ってるけど。
「少し」じゃぁないよね。19の頃のナディアって、「かなり」小生意気だった(笑)。
ソルボンヌに通う女子大生で、美人のパリっ娘。
男の子の恋心を、手玉にとるのはお手のもの。
推理小説マニアは、まー、趣味のもんだいだけど。
怪しげな事件に首を突っ込む野次馬根性。負けず嫌いで、駆と推理力競おうと、次々あらぬ疑惑を関係者に被せ。20歳になっても、父が属す警察の権威をちらつかせて、他人を威圧するようなこと言ったり。それでシモーヌ・リュミエールにたしなめられたり(『サマー・アポカリプス』)。
ね、「かなり」小生意気でしょ。
駆みたいに人づきあいが嫌いで、中世の修道増みたいな生活心がけてるヤツが、ナディアはみたいな娘に、週一とは言え日本語教授を引き受けた理由って、やっぱり謎。
ナディア本人も書いてる。
〔前略〕
カケルはなぜ気紛れな依頼に応じる気になったのだろう、わたしには、どう考えてもその理由がよくわからなかった。
善意の人、性格的に親切な人はいるものだ。しかし、カケルが善意の人であるなどというのは、実にとんでもない話である。他人たちのことをただわずらわしいだけの存在であると心底感じているような青年なのだ。核戦争でただ1人だけ生き残った時、初めてやすらかな気持ちになれるような青年なのだ。彼はかなり努力して、交際範囲をひたすら狭めるようにしていた。幾人かの知人にたいしとる、どこか冷ややかな距離をおいた態度は、沈黙と孤独と至高の価値とする思想のあらわれのようだった。善意から、あるいは新しい友人を求めて、わたしの依頼に応じたとは思えなかった。
〔中略〕
あるいは、わたしにとって楽しい想像なのだが、彼が若い娘としてナディア・モガールに関心を抱いたのが理由だと考えてみるのはどうだろう。
わたしは普通のパリ娘として、男の子たちの心理を揺さぶり、また思うままに操るためのいろいろな技術には自信があるつもりだ。それは、男たちには想像もつかない幼い頃から、女の子が密かに、自然に身につけていく技術なのだが、時にわたしが試みたもの、思わせぶりな話し方、相手を混乱させるために演じる気分や態度の突然の変化、コケティッシュな仕草、上目遣いにちらりと表情を盗み見る視線の動きなどのすべてが、この日本人にはまるで効果をあげなかったのも事実だ。
〔後略〕
「ラヴィ・サンプル(質素な生活)」と称して、修道増みたいな暮らしをおくってた駆が、ナディアと付き合うようになったは何故だろう?
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〔前略〕カケルが、ようやく語りかけてきた。顔には、どことなしに面白がっているような表情がある。
「君には感謝しなければならない。ダンテを気どるわけではないけれど、君は僕のために配役されたベアトリーチェかもしれない」
「わたしのこと、馬鹿にしてるんでしょう」ナディア・モガールをベアトリーチェに譬えるなんて、マチルドをアフロディットに譬えたときのように、なにか下心があるに決まっている。
「いいや。半分は冗談にしても、半分は本気だよ。一年半のあいだに、君に導かれて僕は、幾人もの異様に強烈な個性の持ち主と出遇うことになった。マチルド、シモーヌ、そしてジルベール。もしも君がいなければ、彼らの存在を知ることもなかったろう。
〔後略〕」
引用は、連作の『哲学者の密室』序章から。
引用文中にもあるけど、駆とナディアが付き合うようになってから1年半ほど過ぎた頃の会話。
ナディアは、推理小説マニアで、野次馬根性旺盛なので、『バイバイ、エンジェル』、『サマー・アポカリプス』、『薔薇の女』と事件に首を突っ込んできた。
駆がナディアに「導かれて」ってのは、ちょっと持ち上げすぎかもしれないけど。ナディアの野次馬根性、駆が一連の事件に関わる「きっかけ」ではあったわけよね。
「ベアトリーチェかもしれない」は、やっぱり褒めすぎの気はする(笑)けど。
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アタシの妄想では、駆はナディアの「霊的印象」に、何かの素質を見出したんじゃぁないか、と思う。
「霊的印象」ってのは、シモーヌ・リュミエールが『サマー・アポカリプス』の作中で使ってる言葉。
「あなたの霊的な雰囲気は、初めて会った時にさえ、激しくわたしを惹きつけました。わたしの疑いは、他人たちとともに生きることをやめた代償としてのみ、星々のようにも冷たく輝く、鉱物質な手触りの、こんなあなたの霊的印象が可能になったのではないか、ということです。〔後略〕」
引用は、『サマー・アポカリプス』の第四章から。シモーヌは、駆の「霊的印象」を“霊感”してることを前提に、駆の「霊的印象」について証言してる。
引用ヵ所の少し前で、シモーヌが駆に、「あなたのように深くあの体験を経てしまった人」と呼びかけてるとこがあって。そこでは、ナディアは“「あの体験」とは何だろう”とか思うんだけど。これは幻視体験、あるいは神秘体験のこと。
駆の方もシモーヌ同様、“霊感”を持ってるんだと思える。「深くあの体験を経てしまった人」だけでは、シモーヌ側の観測証言だけど、駆も“霊感”持ってるだろう、と思える手がかりは、第一章にある。
駆も伴ったナディアが、シモーヌに初めて会うシーンだ。
「ジゼール。この方がリュミエールさんよ」
わたしがこう紹介しても、シモーヌの喰いいるようなまなざしは、なにか挨拶の言葉を口ごもっているジゼールを完全に無視して、ただカケルの方にだけまっすぐむけられているのだった。眼鏡の奥で薄茶色の瞳が貪婪なほどに輝いていた。こんなシモーヌの眼がわたしの注意を奪った。そこには、確かに高等中学 の女教師に似合いの知的で大人びた落ち着きがあったけれども、瞳のなかにちらちらと覗くのは激しく狂おしいほどの視えない炎だった。こんなふたつの奇妙な混合が、わたしを当惑させた。
シモーヌの凝視に応えるカケルの態度も普通ではなかった。黙り込んでぼんやりと女の顔を眺めている、まるで放心しているような態度だったが、そんな時のカケルが、実は相手に異常なほどの関心を抱いているのだということをわたしは知っていた。〔後略〕
この後、しばらくの間、シモーヌと駆とは、カタリ派とテロリズムを巡って議論するんだけど。ナディアの視点からは、駆の様子がいつもと違う、と思えた。
(『サマー・アポカリプス』の別のヵ所で、駆はシモーヌとの間の主要な論題は「悪について」なのだと、ナディアに語ってるけど。駆にとっての「悪」とは「テロリズム」のもんだいだし。シモーヌもテロリズムのもんだいは重視してる)
例えば、ナディアは“二人は、カタリ派や、黙示派というその分派にまつわる歴史解釈上の論争に隠れて、もっとぜんぜん別の闘いを激しく繰り広げているようにも思えた。カケルにとってもシモーヌにとっても、他人には窺い知れない必死の闘いでさえあるらしかった。”と、記してる。
「カケルいったいどうしたの」
セーヌ川に面したニューヨーク通りの料理店だった。ジェズイットの修道士めいた禁欲的な食生活を守るだめに、料理店での外食はできるだけ避ける主義のカケルなのに、わたしの誘いに応じてこの店に入ったというのが、既に異常といえば異常だった。
「ねえ、どうしたの。シモーヌ・リュミエールに会った時のあなた、少し変だったわ」
「変、か……。僕が」
「そう、変だったわ。まるで脅かされているみたいだった」
カケルは目を細めるようにしてわたしを見た。その表情にも、いつもの冷たい意志力がどこかで揺らいでいる感じがあった。
この辺とか、別に“霊感”とか“霊能”とか持ち出さなくても、駆とシモーヌが、表立った話題に紛らせて思想戦闘してた的解釈でも、イケるんだけど。神秘家、幻視者の間の思想戦だったら、まー、霊的闘争と言っても構わない(笑)。
と、ゆーわけで、アタシの妄想では、最初、駆がナディアの気紛れに応じて、日本語教授を引き受けたのって、きっとナディアの霊的印象に何かの素質を見出したから、ではないかと思うわけ。
そーすると、もんだいは、19の頃の「とても小生意気」だったナディアに、いったいどんな素質があったのか、になります。
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矢吹駆が、ナディア・モガールに初めて出遭った時、なんでナディアの気紛れなリクエストに応じて、日本語教授なんて引き受けることにしたのか?
「駆がナディアの霊的印象に、何かの素質を見出したから」じゃぁないか、って言うのは、一応、解釈の1つだけど。今一、決め手に乏しい不確定解釈。
つまり、他の解釈も並立し得る解釈で、解釈でありながら妄想でもあるような、境界上の解釈。
なので、「19の頃のナディアのどんな素質を駆が見出したか?」は、これは、もう、マルっとアタシの妄想になっちゃう(笑)。
アタシが思うに、「生を愛する旺盛な欲望」と「感受性」との並存あたりが臭い気がする。
野次馬根性はむしろ、駆が好まない性格だし、推理小説マニアは、しばしば、
「解けていく氷を見せられるのはたまらない」カケルは腕を組んだままぼそりと呟いた。「鉛色の重苦しい空と、暗く陰鬱で寒々とした都市の風景が僕には似合っている。しかし、これは……」カケルは眩しそうに空を見上げた。「僕の感覚を逆撫でする」
「あなたは天邪鬼なのよ」わたしは決めつけた。「パリの人間は誰でも太陽が好きだわ」
「この国の豊かで調和が取れた人間のための自然は、僕むきではない。荒涼とした自然、死滅した大地、凍結した風土、そこに人間のいない風景だけが僕の気分を静謐な澄みきったものにする。太陽が嫌いなのではない。大地と塩を焦がす灼熱の砂漠の太陽こそ真の太陽なんだ……」
引用は『バイバイ、エンジェル』の第五章から。
ナディアも言ってるように「パリの人間は誰でも太陽が好き」なのだろうけど。駆と会話して、駆の感受性をそれなりに理解する人間は、そうも多くないだろうと思える。
とりあえず『バイバイ、エンジェル』時点では、ナディアの駆理解は「あなたは天邪鬼なのよ」レベルだけど。連作が進むにつれて、ナディアの駆理解、徐々に深まってくし。
なんと言っても、ナディアは矢吹駆連作の語り手。
「ラルース家殺人事件」を「堕天使の冬」と呼び、「ロシュフォール家殺人事件」を「黙示録の夏」と呼ぶような感性を、駆はナディアの内に見出したのかもしれない。
こんなふうに考えることは、アタシにとって楽しい妄想。
地上階まで階段を下りた場所は、石炭と石灰酸の臭気が濃くたちこめる不潔そうな薄暗がりだった。片隅に重ねられたブリキのゴミ箱の陰で動いたのは、もしかして鼠だったかもしれない。足元に走り出で来たらどうしよう。こんな嫌な予感に怯えて、濁った蝦茶色に塗り上げられている玄関の大扉を押し開けたその瞬間だった。突然視界が昏くなり、思わず立ち竦んだ。ギラギラと溢れかえる光の洪水のせいだった。
見窄らしい裏街にも、不吉な夏の気配が満ちていた。車一台がようやく通行できるほどの狭苦しい路地。遮るもののない直射日光に照りつけられ、熱で溶け始めた路面のアスファルトは、混じり気のない漆黒の光沢で無気味なほどに暗く艶々と輝いている。そしてその下からは、あちこち、いつの時代のものともしれぬ古びて摩滅した大ぶりの舗石が顔を覗かせている。路地の隅には、乾き切った薄茶色の土誇りがうっすらとこびりつき、家々の戸口を汚していた。
そして、空だ。濃すぎる色彩の毒々しい青空は、怖ろしいほどに明るく晴れ渡り、そこには一片の雲さえも浮かんではいなかった。家々の軒のあいだには、見上げれば一切を灼きつくす白熱の太陽がめらめらと炎をあげて燃えさかっている。裏街は、剥きだしの明るさで臓腑を曝け出し、汗に塗れて喘いでいるのだった。
カケルの部屋がある貧しい建物の戸口に立ち、こんな不吉な夏の光景を眺めて、少しのあいだわたしは黙りこくって立ちつくしていた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。一瞬、灼かれた網膜の痛みが鋭く走った頭を一振りして、わたしは真昼の光線がとめどなく氾濫する街路へと踏み出した。
引用は、『サマー・アポカリプス』の序章から。
“真昼の光線がとめどなく氾濫する街路へと踏み出した”ナディアは、黙示録の殺人事件に彼女を導く、カタリ派の秘宝の手がかりを秘めた古文書、ドア文書の謎を知ることになる。
ナディアが、『バイバイ、エンジェル』のテクストを書きはじめたのは、『オイディプス症候群』で語られる出来事を、彼女が体験する頃。『サマー・アポカリプス』が記されるのは、おそらく、もっと後のことになるのでしょう。それでも、『サマー・アポカリプス』引用ヵ所(地の文)から、ナディアの精神の運動を読みとることは許されるでしょう。
ナディアが、駆にはじめて出遭った時、駆がナディアの霊的印象から、こうした感受性の素質を見出したのだとしたら……。
こんなふうに考えることは、アタシにとって楽しい妄想なのです。
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書誌情報:
笠井 潔,『バイバイ、エンジェル ラルース家殺人事件』(創元推理文庫),東京創元社,Tokyo,1995.
4-488-41501-6
笠井 潔,『サマー・アポカリプス ロシュフォール家殺人事件』(創元推理文庫),東京創元社,Tokyo,1996.
4-488-41502-4
笠井 潔,『哲学者の密室』(創元推理文庫),東京創元社,Tokyo,2002.
4-488-41504-0
笠井 潔,『青銅の悲劇 瀕死の王』,講談社,Tokyo,2008.
978-4-06-214806-1
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