仮題「ええじゃないか」08 女子トイレ
僕の絶叫が女子トイレに。
……響くことはなかった。何が起こったのか。
僕の大きく開いた口には、少女の指が横に三本差し込まれ、僕の舌を押さえつけていたのだった。
「ま、落ち着け」
「むぐぐっ」
「おっと、噛むでないぞ?」
にやり、と少女が僕を試しているようにして言った。
「したらばこの舌、引き抜くぞよ」
……怖っ!?
口が自由になったとはいえ、体は自由ではない。
相も変わらず女子トイレ。しかも個室に二人で入っているのだから、狭いことこの上ない。
「あの……聞いてもいいですか?」
なんだって僕は敬語になってしまうのだろう?
「申せよ」
もしかしたらこの少女の喋り方がずいぶんと大人びている、というか老けているからなのかもしれない。
「どうやってこの個室に入ってきたんですか?」
そう、だってここは僕が隠れるために入った女子トイレの個室で、なおかつカギがかかっているのだから。
少女はふふんと笑った。
「何だ、そんなことか?」
挑発的な笑い方。
えへんぷいという感じにこちらを見上げる少女の瞳が、一瞬きゅっ、と小さくなり、鋭く光ったようにみえた。
「……いいか、よく聞くのだぞ?」
「はい」
「それはな」
一拍。
「えっと、それは……」
ふと少女の眉がくっと中央に寄り上がる。
いったん開いた口が、ぱく、ぱくと何度か動くが、音はそこから発せられることはない。
「うん……ほら、気合じゃ。気合」
さては何も考えてなかったな、こいつめ。
思わず大きな声で突っ込もうとすると、目の前に少女の手がさっと出され、静止をかけられる。
「誰か来たぞ」
少女が声のボリュームを落とした。
と同時に、入り口のほうから物音。数人の女子が話しながら入ってきた。
うまくはぐらかされたっ!?
っていうかさらに絶望的状況開始! どうする? どうなる僕よ?
混乱の思考の中で、目の前の少女がいかにも愉快そうに、にやりと笑った。
きゃいきゃいと騒ぐ女子の華やかな声が、ここまで危機的だと感じたのは初めてだ。
いや危機はいずれ過ぎ去るだろう。
しかし、どうやって女子が出て行ったのを確認すればいいというのか!
たとえば忍者部女子の、そうここでは、くの一さんと仮称したとする。彼女が
「それがし、ちょっと隠密へ」
などと言って部室を抜け出したとする。
彼女は別に隠密行動なんてする気はさらさらなく、ただちょっと他の部員に「厠へ」と言うのが恥ずかしかっただけなのだ、可愛い奴め。
ついつい、くの一さん(仮称)はいつものクセで音もなく、するりと女子用厠へとはせ参じてしまう。
そんな時にたまたま僕がドアを開けてしまったりしていたら、一体僕はどうすればいいのだ?
……。
いや、現状でどうにかすべきなのは現状ではなくて、僕の頭だ。
何だ? 忍者部って。
誰だ? くの一さんって。
そんなことを、くでくでと考えていた時に
「のう」
と耳元に、暖かい吐息が吹きかけられたのだから、堪らない。
「~! ~!!」
思わず声を漏らさなかった自分を褒めてやりたい。
「そなた、もうちょい腰を落とさんか」
相変わらず耳元で小さな声を囁く少女。
物凄い方法で現実世界へと引き戻された僕は、無意識に目の前の少女の要求に応じた。
少女と僕の背丈が同じくらいになる。
「よしよし」
と少女が頷くたびに、黒髪が首筋を撫でるのがこそばゆい。
ところで何だ、この近さは? 人類はいつから直接接触による会話方法にシフトしましたか?
「あ、あの。何だってそんな近いんですか?」
「ほれ、こうすれば外に声が漏れにくいじゃろ?」
うふふ、と妙にピンクにも聞こえるような笑い方をしながら少女は答える。
「そなたも、もう少し近こう寄らんか」
と更にぎゅうぎゅうと身を押し寄せて来る。っていうかもうすでに密着してますよ。これ以上は無理ですって。
「うは、あ、わ」
あまりに少女が体を押し当てる、おまけにこっちは膝を曲げて不自然な体勢、辛抱していても体がよろけてしまう。
後ろにはドアがあり、思い切りぶつかったらどうなるか。
ここで大きな音を立てたらどうなるか、わかるよな?
堪えろ! 堪えるんだ!
僕はばたばたと手を動かして、バランスを取り、背を思いっきり反らせることで、転倒をかろうじて避けた。
「ほう」
その結果。
つい不可抗力で、目の前の物体にしがみ付いてしまったとて、文句は言えまい。
たとえそれが、目の前にいる少女だったとしても。
そして思わずしがみ付いてしまった部分が、少女の腰の下にあり、太ももの上くらいにある、柔らかだが詰まったような弾力で押し返してくる、未知の感触の何かだったとしても。
誰に文句が言えるだろうか。いや、ない。
「……そなた。なかなか積極的、だの」
胸の中で少女が呟いたが、それより僕には16ビートほどまでに加速された、胸から発せられるドラム音が、外の女子に聞こえやしないかと心配でならなかった。
女子がトイレから去った後。
少女が僕の手を取って個室のドアをいきなり開けた。
「さて。じゃ、出るかのう」
「え、いや。そんないきなり! バレたらどうするんですか?」
「千里眼のわしに任せておけよ」
動揺した僕に、少女はやけに確信を持って答える。
「今は廊下に誰もおりゃせん。ほれ早う」
ぐいぐいと、僕の手を引っ張りながら女子トイレの出口まで引っ張る。
「本当ですか? 本当に大丈夫ですか?」
と尋ねる僕を尻目に、少女はあさっての所をじっと見ながら、じれったそうに言う。
「ええい! はよせんと廊下の角から女子が姿を現すぞ? あの女子おそらく、ここが目当てじゃ」
と言って、いきなり少女がカウントを始めた。
「10、9、8、7、6、5……」
「え、うわ、そんな」
「ままならん奴じゃの! そりゃ!」
言いながら、女子トイレから僕を思いっきり突き出した。
「うわあっ!」
どんっ、と廊下に出て。慌てて僕は辺りをきょろきょろと見回す。
すると、先ほど少女が見ていた方向、そちらの廊下は曲がり角になっているのだが、そこから数秒して一人の女子が姿を現し、こちらに歩いてきた。
彼女の言うとおりだった。
僕が呆然としながら立っていると、こちらに向かってきた女子は、入り口近くに突っ立っていた僕を、胡散臭げな視線で一瞥すると、トイレの中へと入っていった。
……まさか、本当に見えていたのか?
「あの!」
ばっと、振り返り。そこにいたはずの、彼女を探す。
しかしそこにはやっぱり。誰もいなかったのである。
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