石田衣良、作『大華火の夜に』(『4TEEN』所収)
『大華火の夜に』は、小説家石田衣良さん著の、連作短編集『4TEEN』(フォーティーン)に収められた1編。
東京の月島界隈で暮らす、中学生男子4人組を描いた短編8作の内、5番めに採録されている。
『4TEEN』の短編は、どれも中学生の男の子が、普通の暮らしの合間に経験するささやかな“冒険”の物語だけど。『大華火の夜に』は、夏休みの冒険。わくわくドキドキです。
〔前略〕八月の第二土曜日は、すぐそばの晴海埠頭で東京湾大華火祭がある。ぼくたちの夏休み前半のクライマックスで、東京の半分の人間が集まる華火大会だ。レインボーブリッジを背にして、スターマインや尺玉が八十分間休みなくはじける豪華な音と光のショーだった。
「今年はあそこの特等席、まだつかえるかな。最近誰かいってみたやつはいないか」
4人組の内で、1番頭が回るジュンが「あそこの特等席」と言ってるのは、晴海埠頭から運河を挟んで4~500mほどしか離れていないところにある秘密の場所。“冷蔵倉庫が立ち並ぶ寂しい街の一角”にある広い工場内にある。
その工場には、敷地内の裏手に、運河に面した建物があって。不景気で、操業縮小してるらしい工場では、未使用状態で人が来ない。建物の外階段の踊り場が、去年の華火大会の頃、ジュンが見つけた“とっておきの特等席”だった。
様子を探っておこうと、工場裏手の金網の1角にある、子供だけが通り抜けれるような穴から、忍び込んでみる少年たち。“特等席”は今年も使えそうだ。
けれど、階段の踊り場には、病院を脱走してきた初老のアカサカさんが潜んでいた。
要約してみれば、『大華火の夜に』は、「中学生4人組の男の子たちが、死を間近に覚悟した病人の最後の数日間、世話をしながら共に過ごす」物語。
多分、このコンセプトからは、作家さんなら誰でもが、普遍性の高い訴求力を持つ物語を、それぞれに描きだすことができるだろう。
石田衣良さんの作品は、あくまで石田風。今風で、少し饒舌。軽やかで切なく、それでいて、深く心に残るような、経験の断片が描かれている。
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少年たちは、“とっておきの特等席”で出会う前に、すでにアカサカさんのことを知っていた。家族が写真入りの「尋ね人」の張り紙を、あたりの街角に張っていたからだ。
一昨日、築地の国立がんセンターまえからタクシーに乗車、月島駅付近での降車が確認されています。重篤な症状を施さなければ、数日中にもたいへん危険な状態に陥りかねません。
アカサカさんは、あまり詳しい説明はしたくないふうだけど、病院での取り扱いと、遺産相続を巡っていがみあう息子たちに嫌気がさして、脱け出してきたようだ。
「きみたちがわたしのことを誰にもいわずにいてくれたら」と、子供たちに1人1万円の口止め料を提案。最後だと思って、銀行から預金をたっぷりひき下ろしてきていたので、口止め料だけでなく、必要なものを買いにいってくれるなら、また別にこづかいをやってもいい、とも言う。
「ちょっと待ってください。したで話しあってきます」と本人の前から場所を移して、4人組が提案を検討するとことか、石田流。
1人1万円にそそられながら「死にそうな病人を見殺しにするバイトなんて、やばすぎる」と言うのは、4人組の内で1番貧乏な、地元の家庭で暮らすダイ。金なら、尋ね人ポスターの家族に連絡すれば謝礼が期待できる、と言うのは中流マンションの住人ジュン。
ただ、ジュンは「病院からパジャマで逃げるくらいだから、あの人にはよほどのことがあったと思う」とも言う。
超高級マンションの居住者だけど、遺伝子系難病を抱えてて、しばしば病院に入院しているナオトは、家族の心配と、アカサカさん本人の気持ちの双方を推し量って、「ぼくにはどうすればいいのかわからない」と言う。
「結局、人生っていうのは大人のいうとおり、妥協の連続なんだろう。どっちのサイドもすこしずつ満足するようにしてやろう」
--と、ジュン。
大華火の日までは、アカサカさんの提案どおり“バイト”をして、祭りが終わったら家族に連絡する。「うまくすれば謝礼の二重取りだってできるかもしれない」。
悪く言えば小ざかしく、よく言えばしたたかで、もしかしたら偽悪のポーズも読み取ってもいいかもしれない、少年たちの選択は、アタシ(紹介者)は好ましい「描写」だと思う。
少年選択の根拠付けが、「大人のいうとおり」ってセリフで語られてるところは、注目したい。今風だし、石田流だ。
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小説、--と言うより、フィクションの価値は、何か出来合いの思想やテーマの絵解きにはない。
テーマや主張(思想)が込められていることがあっても、描写から読者が読みとれる、様々な、葛藤や矛盾、断層や錯綜の方こそが、物語の値打ちを左右する。
『大華火の夜に』の物語にどんな“いろいろ”が編みこまれているかは、是非、読んで確かめてみて欲しい。
アタシが思うに、『大華火の夜に』は、『4TEEN』採録作の内の最高傑作。単独短編としても読んでも、読み応えのある作品だから、是非、読んでみてほしい。
実は、ご本人も医者だったアカサカさんは、少年たちに「よくドラマなんかで、最後のときを迎えてじたばたと見苦しいことをするが、あれは間違いだ」と語る。たくさんの病人を見てきたが「みとった患者の多くは、自分の死期を悟り、家族友人に感謝の気持ちと別れを告げて、立派に旅立っていった」。
アタシの考えでは、ここでアカサカさんが少年たちに語ってる“立派な旅立ち”は、「遺される側からの死の理想化」だと思う。
けれど、キャラクターの意見=思想を否定する気はアタシにはない。「物語の価値は、何か出来合いの思想やテーマの絵解きにはない」からだ。
“いろいろ”が描写されていて、一筋縄の要約では内容を語れないことを、当然の前提として、それでも、アタシは、作品のハイライト・シーンを紹介したい。紹介したいって、誘惑に屈することにします(笑)。
「きみたちに強がりをいってもしかたないが、わたしもなんとかみんなに続けそうだ」
ここで、アカサカさんが言ってる「みんな」は、彼が「みとった患者の多く」のこと。
「きみたちに強がりをいってもしかたないが、わたしもなんとかみんなに続けそうだ。なるべく迷惑をかけずに、静かにひとりで終わりにしたい。最後にきみたちに会えて、こんな豪勢な華火も見物できた。感謝している。ありがとう」
お礼をいわれることなど、ぼくたちはなにもしていなかった。誰かにありがとうといわれて泣いたのは、ぼくは初めてだった。きっとジュンやダイやナオトも初めてだったに違いない。ぼくたちが涙をぬぐうあいだにも、夜空には光の華が開いていた。パッと咲いたはなびらが、海風に流され淡い煙になって消えるとき、鮮やかな残像を残していく。その光が目の裏に咲いているうちに、また新しい華火があがる。東京湾の夜空は、ずっと昼間のような明るさだった。
きっとこの世界も同じことなのだろう。どこかで誰かが消えて、その名残が響いているうちに、新しい人が生まれる。それでにぎやかで、ちょっとばかばかしいこの世界が続いていくのだ。ぼくたち五人は、それから黙って華火を見あげていた。普段はおしゃべりなぼくたちを黙らせる力が、一瞬咲いて消えるものにはあるようだった。
ハイライト・シーンの後も、物語は終わらない。
もう少し“いろいろ”があった後、末尾近くでテツローくんは、こんな風に夏休みの経験を回想する。
今ではアカサカさんの顔はよく思い出せないのだけれど、ぼくの心にはあの夜の華火のようにアカサカさんの言葉が残っている。
「今ではアカサカさんの顔はよく思い出せない」って、切ないような残酷さと、「けれど」「ぼくの心には」「アカサカさんの言葉が残っている」って、希望のようなものの融合が、石田流で好ましい。
それに、「ぼくの心に」残っている「アカサカさんの言葉」は「あの夜の華火のように」残っているって描写が、とても優れている。
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