GA文庫テーマ大賞後期用短編小説:星の海のミッキーとマウス その3/殺人事件

3)殺人事件

 偶然、死体に出くわしたら、どうする?
 日常生活においてはまったく役に立たないこの質問に答えられる中学生男子は、思いの他、多いのではないかと僕は思っている。
 ある日、異星からやってきた可愛い宇宙人の女の子が現れたら?
 突然、巨大ロボットが出現して、中の美少女パイロットが大けがをしていたら?
 唐突に、異世界に召還されて、お姫様から伝説の勇者だと言われたら?
 健全な中学生男子の脳内は、常にそういう妄想でいっぱいだ。漫画や小説でおなじみのそうした場面が、自分のところに訪れる時のことを考えて、準備に余念がない。もちろん、準備といっても、カッコいいセリフやカッコいい行動を考えることだ。おそらく、本当にそのような場面に遭遇したとしても、何の役にも立たないこと請け合いである。
 僕もまた例外ではない。ミステリは得意じゃないが、茂樹に誘われて何冊か読んだことがある。だから、警察がやってくるまで死体や周囲のモノに不用意に触ってはいけないことくらいは知っていた。その原則をドラマにおける少年探偵は堂々と、あるいはこっそり無視するものだが、もちろんその場合も言い訳の種がある。吹雪で閉ざされた山荘のように、警察がすぐには入って来られないような閉ざされた場所であれば、死体を検分することもやむなし、とか。
 今回はそのようなパターンではない。警察に連絡が行けば、十分とかからずにお巡りさんがやってくる。やってこないとしても、僕としてはできるだけ死体に触りたくはない。そうでなくても今日の夕ご飯は食べられそうにないのに、今お腹の中に入っているものまで吐きたくはない。
 なぜ、ドラマの少年探偵はああも気安く死体に触ることができるのだろうか。あまつさえ、事件の謎を解く鍵になるようなものまで発見しちゃうなんて。
「おかしいです、これ」
 今、一宮さんがやっているように。
「――っ! 一宮さん、ダメだよ死体に触っちゃ!」
 一宮さんは、横向きに倒れていたニシムラ・ミツルさんの身体をよっこいせと転がしてうつぶせにし、傷口である後頭部を上に向けた。そばでは、蒼白な顔をしたリンリンが携帯で死体や周囲の写真を撮っている。
「汚れてますけど、血が流れていません。だいたい、この頭の傷、どうやって出来たのでしょう?」
 僕は口と鼻を手で押さえ、できるだけ息を止めて死体に近づいた。死体はひどく臭ったからだ。
 最初はこれが小説で言うところの死臭かと思ったが、すぐに違うことに気がついた。鼻をつく刺激臭は緑色の粘液が腐った時の臭いだ。さっきまで僕たちが掃除をしていた、培養槽の臭いだ。みると作業服の袖から胸にかけての部分に、腐った緑色の粘液が付着している。
 僕は覚悟を決めて、死体の首筋に触れた。ひんやりとする。肩をゆすってみる。運搬用カートから床に投げ出された腕がゆらゆらと動く。
 僕はミステリの知識を思い出していた。死体は暖かくない。死んだばかりではない。しかし、死後硬直は始まっていない。いや、死後硬直とやらがどのくらい堅くなるのかは知らないが、眠っている普通の人と同じくらいの可動性はあるから、死後硬直は起きてないと考えていいだろう。それとも、死後硬直は起きないこともあるのだろうか? こう見えて、死後一日くらいは経過しているとか言うことは――
「いや、そんなことはないか」
 宇宙に浮かぶトウキョウ・ステーションには慣習上の昼と夜はあっても、仕事はすべて二十四時間体制だ。例外は僕たちの通う学校だけ。このリサイクル・エリアも交代で常に職員が詰めている。勤務中に誰かが死んでから丸一日、誰も気づかないということはありえないし、そもそも勤務交代の時に気づくはずだ。
 つまり、ニシムラさんが死んでから、それほど時間は経過していない。ならば、一宮さんが言うように、後頭部の傷から血が流れていないのはおかしかった。
「この傷、何か重いものが落下してきてぶつかったのかな」
 僕は周囲や天井を見回した。天井までの高さは三メートル弱。左右の棚には、箱に詰められた資材が積み上げられている。第三倉庫にあるのは、僕らが整理時に触れても問題ないもので、工具や交換用機材が中心だ。劇物など、危険物が入った箱はない。
「でも、それらしいものは床には転がってないわよ」
 できるだけ死体に視線を向けないようにしながら、委員長が小さな声で言う。委員長は気が強いのに、昔からお化けやホラーが大の苦手だ。
「あの箱は?」
 カートの上には死体の他に手提げのついた三十センチほどの箱があった。側面が透明で、中をのぞくことができる。
「飼育箱みたいだね。中はからっぽで軽いし、ぶつかっても死ぬようなことはないと思うよ」
「ニャア」
 ミッキーが箱の上蓋をかりかりと前足でかく。
「こらミッキー、触っちゃダメだよ」
「……ミッキーが入るには少し小さい」
「中に入ろうとしているわけでは、ないみたいですよ」
「ニャア」
 ミッキーは不満そうに鳴いた。この飼育箱に猫なりのコダワリがあるらしい。
「ラベルはアルファベットと数字の記号よね。入っていたのは、ペットじゃなくて実験動物かしら?」
「あ、ここにmouseって――マウスだ。やっぱり実験動物かな?」
 そこで僕は大事なことに気がついた。どうやら死体を見たショックで動転していたようだ。こんなことをしている場合じゃない。
「とにかく、こうしていてもしょうがない。携帯がつながらないなら、外に出て誰かにこのことを説明して、警察に来てもらおう。もしも危険な事故だったら――」
「……事故じゃない」
 僕の言葉を遮るリンリンの言葉は小さく、重かった。
「え?」
「……殺人。この人は殺されている」
「まさか。ありえないよ!」
 僕は大声でリンリンの言葉を否定した。内心で、リンリンの言う通りだろうと確信を抱きながら。
 ここトウキョウ・ステーションには、千人の人が住む。建設されて八年。ここで死んだ人は建設中の死者も含めて十二人。いずれも事故死だ。
 トウキョウ・ステーションはあくまで物流の中継ポイントであり、人が定住するような場所ではないから、寿命で死んだ人はいない。重い病気になれば、地球か、コロニーの病院に移送されるから病死する人もいない。そして殺人事件について言えば、過去に一度もなかった。
 誰かを殺すのに、トウキョウ・ステーションほどふさわしくない場所は考えにくい。殺すことだけが目的で、後はどうなってもいいならともかく、殺した後で逃げ延びるつもりならば、トウキョウ・ステーションは最悪の場所だ。
 地球から高度一万キロメートル。隣り合う他の軌道ステーションですら、数千キロメートルの宇宙空間で遮られている。外に逃げる場所はなく、内部の稠密な情報ネットワークから隠れる場所もない。
 窃盗や収賄といった表沙汰にならない可能性のある犯罪であればともかく、殺人をおかして隠し通すことは絶対にできないし、その後の調査から逃れる方法もない。
 しかし、同時に殺人であればイロイロなことに説明がつく。
「血が流れていないのは、犯人が他の場所で殺して、ここに運び込んだから?」
 こくり、とリンリンがうなずく。
「この傷の原因が不明なのは、犯人と凶器は他の場所にいるから?」
 こくり、とリンリンがうなずく。
「死体に誰も気づいていないのは、犯人がここなら隠せると考えたから?」
 こくり、とリンリンがうなずく。
「通信がつながらないのは、犯人が何らかの方法で情報ネットワークを切断しているから?」
 こくり、とリンリンがうなずく。
「あーもうっ! ごちゃごちゃ言ってないで、警察行くわよ! これが殺人事件なら、なおのこと、お巡りさん呼んでこなきゃ!」
 うがーっ、と吼えた委員長が足を踏みならしながら、倉庫の扉に向かう。
 怒ったことで少し元気が出たようで何よりと、委員長の後ろ姿を見ながら、僕は最後の問いをリンリンに向けた。
「ここの扉が開かないのは、犯人によってロックされているから?」
 こくり、とリンリンがうなずく。

「何よこれ、扉が開かないわ。どういうこと?」

 僕は大きくため息をついた。
 どうやらこの死体は何かの終わりではなく、現在進行形な事件の一センテンスのようだった。

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「失礼します」
「しまーっす」
「しましまぱんつーっ」
 棚卸し作業を終えた子供たちが、男に頭を下げる。臭い浄化槽の掃除ではなく、気楽な棚卸し作業で、しかも予定された半分の時間で終わったため、足取りは軽い。この後、どこで遊ぶだの、誰の家に行くだのと話しながら施設を後にする。
「はい、お疲れ様。それでは気をつけて帰るんだよ」
 胸に西村満のIDカードをつけた男は、子供たちをリサイクル施設の入り口にまで見送り、全員が施設の外に出るまでにこにこと笑顔で手を振った。
 子供たちが通り過ぎたゲートが閉じ、物理系、情報系、生物系の三重の錠前がおりるまで、男の笑顔はとぎれることなく。
 すべてが遮断されたことを目で確認し、指さし確認し、さらに携帯を開いて保安プログラムの稼働をチェックするまで、笑顔のままだった。
「くそったれ!」
 笑顔のまま、男は呪いの言葉をはいた。そこでようやく自分が笑顔のままだと気づき、顔をなでさする。内心の焦りを隠して無理に笑顔にしていたせいで、なかなか戻らなくなっていたのだ。
「大丈夫だ。まだ取り戻せる」
 第三倉庫に入った子供たちは、まだそこから出ていない。四人の携帯からのシグナルは第三倉庫の中で点滅している。ときどき思い出したように、外部の情報ネットワークとアクセスしようとしているが、それらはすべて遮断されたままだ。
「時間の問題だがな。しかし、その時間が今は貴重だ」
 棚卸し作業をした子供たちのリーダー=眼鏡をかけた少年には、浄化槽にトラブルがあり、掃除が終わるまで少し時間がかかると説明してある。ひょっとしたら今日は掃除が出来ないので帰ってもらうかもしれない。規則で三時間は施設の中で待ってもらうことになっているが、それ以上は拘束しないで家に帰すから――そう、説明してある。
「最短で三時間。運が良ければ、さらに一時間は稼げる」
 男は最悪を考えて残された時間を三時間と見積もる。三時間後に、あの眼鏡の少年なり、教師なりが外部から連絡を取ろうとして、まだつながらない場合、すぐに管理局が動きはじめる。
 宇宙に浮かぶトウキョウ・ステーションでは常に事故の危険がある。ましてや、春先に子供たちが宇宙を漂流してあわやの大惨事があったばかり。すぐさま、このリサイクル施設に人の手が入る。
 隠し通すことはできない。
 男がやったことは、やがて白日の下にさらされる。男の逃走が成功するか否かは、その“やがて”を、どれだけ引き延ばせるかにかかっていた。
「仕方がない……な」
 笑顔のままこわばった顔をもみほぐしていた男の手が震えた。
 時間を稼ぐには、第三倉庫にいる子供たちが、そこで見たものを説明するのを防ぐしかない。
 子供たちの口を、封じる他はない。
「やらねばならない。ここで俺が捕まっては、すべてが無駄になる」
 自らの命が惜しいのではない、と。男は自分に言い聞かせた。
 自分の命はすでに、捨てている。地球を浄化する、地球を救うという大義のために、この身はすでに、捧げている。
 第三倉庫にいる子供たちも、地球の子だ。母なる地球の浄化のために命を捧げるのは、正しいことだ。男は何度も何度も自分にそう言い聞かせた。
「そうと決まれば、先に準備をせねばならんな」
 男は瞳に暗い決意をこめ、歩きはじめた。
 子供たちが掃除をしたばかりの、培養槽に向かって。
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(つづく)

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