石田衣良、作『ぼくたちがセックスについて話すこと』(『4TEEN』所収)

 『ぼくたちがセックスについて話すこと』は、小説家石田衣良さん著の、連作短編集『4TEEN』(フォーティーン)に収められた1篇。
 東京の月島界隈で暮らす、中学生男子4人組を描いた短編8作の内、6番めに掲載されてる。

 『4TEEN』では、4人組が中学2年の1年間に、普通の暮らしの合間に経験する、ささやかな“冒険”の物語が編まれてる(広い意味の“冒険”だけどね)。
 ただ、『ぼくたちがセックスについて話すこと』で、“冒険”の焦点に立つのは、4人組ではなくて、ゲスト・キャラ。
 レギュラー4人組は、冒険者未満だけど傍観者以上の、そんな物語。

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 『ぼくたちがセックスについて話すこと』の物語は、『大華火の夜に』で描かれた夏休みの後の、2学期の物語になるはず。
 単独作で読んでも、『大華火の夜に』と競い合う出来で。傑作。
 連作の内でも、構成上、大詰め直前の位置にきてて、かなりの重み。

 この作文では、単独作としての読みメインで。かなりネタバレさせて紹介するけど。
 だいじょぶ。多少のネタバレで、本編の面白さが損なわれるような作品じゃぁない。

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 ある日の下校時。“いつものようにグループ4人で帰るところ”に、クラスメートだけど“どこのグループにも属していない”森本一哉(カズヤ)が声をかけてくる。
 4人組のナオトとジュンは、関心なさそうにブラブラ先に歩いていって。追いついてきたカズヤは、残りの2人に「あの、一緒に帰ってもいいかな」と、言う。
“ ダイはそっぽを向いたが、ぼくはうなずいた。カズヤは安心したようにダイとぼくのあいだを一歩遅れてついてくる。中央が丸く盛り上がった朝汐橋のうえでジュンとナオトが待っていた。欄干から顔をだしてブルーブラックのインクみたいな水面を眺めている。”

 4人にカズヤを加えた中学生たち、欄干の上でダルそうにしながら、ダベり出す。

〔前略〕中央が丸く盛り上がった朝汐橋のうえでジュンとナオトが待っていた。欄干から顔をだしてブルーブラックのインクみたいな水面を眺めている。そこには傘の直径が三十センチくらいある水クラゲといっしょに使用ずみのコンドームがなかよくうかんでいた。どちらも透きとおるような乳白色だ。ダイはいう。
「こんなところに捨てるなんてさ、いったいどこでやったんだろうな」
 ジュンがだるそうにいった。
「はるか上流の隅田公園のベンチとか」
 顔をあげてリバーシティのほうを見た。清澄通り沿いに整列した中層マンションのうえ、超高層ビルが淡い空をつらぬいている。ガラスの壁面に映る秋の夕空はほんものよりずっときれいだ。ナオトがいった。
「案外近いかもよ。佃大橋できのうの夜、発射したてだったりして」
 ダイはにやりと大きく笑った。
「カーセックスか。いいなあ」
 ぼくも想像してみた。びゅんびゅんと時速八十キロくらいで後続車が追い越していく橋のうえで路肩に車をとめ、網タイツなんかはいた大人の女の人とそういうことをするのだ。窓からは虫くいに明かりがついたリバーシティとそれをさかさまに揺らす隅田川が見えるだろう。すべてが終わってからパワーウインドウを指一本でさげて、暗い水面にコンドームを投げるのだ。こんなことくらいいつだってやってるって感じで。大人だ。ため息がでる。
「いいな、いつかやってみたいな」

 中学生男子たちがドキドキしてるくせに、ダルそうにしながら話してるエッチな話題。聞いてみれば、大人の読者には、ほほえましいくらい。
 語り手のテツローくんの妄想が、ちょっと間が抜けた感じなのもいい。「いいな、いつかやってみたいな」とか。本気なんだろけど。だからこそのユーモアがほほえましい。その時になったら、苦労してちょうだい(笑)。
 同じようにユーモラスな感じは、連作第1作の『びっくりプレゼント』でも楽しめた。

 もう少しダベった後、一団が歩き出すとこもいい。文庫判で22頁ほどの短編が、8パートで構成されてる内、最初のパートのラストにあたるヵ所。

〔前略〕
「まあ、いいや、いこうぜ」
 それでぼくたちもダイと同じようにつまらなそうに歩き始めた。だるいからだるい振りをするのか、だるい振りをするからだるくなるのか。そのあたりの中学生の心理というのは、なかなか複雑なのだ。

 
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 4人組と同じクラスでも“どこのグループにも属してない”カズヤ(森本一哉)は、“いつもひんやりした笑顔で、目だけ妙にきらきらさせながらクラスでひとりきり”の男子。
 1学期がはじまって少しした頃には、“新しい勢力図が確定するまでの一番やばい時期”だったクラスの空間も、『ぼくたちがセックスについて話すこと』で語られる2学期までには、それなりに安定したグループ関係に落ち着いてる感じで描写されてる。
 クラスの空間--ただの物理空間のことでなくて、いくつかのグループがわさわしてる感じがうまく描写されてるとこも、『4TEEN』ではこの作品が1番。
 さらに、男子ばかりの4人組(とゆーか、語り手キャラであるテツローくん)の視点からみると、女子のことはグループ関係がなんとなくわかるくらいの感じで。女子って群体みたいな感じでみえてる雰囲気も、うまくかもし出されてる。
 これって、いわゆる少年マンガでも、ドラえもんみたいなタイプのアニメでも、うまく描かれてる例、あまり無いようなリアリティだよね。貴重だと思うな。

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 カズヤの家は、月島の西仲通り商店街でテイラー(仕立て屋)をやってて。
 物語2番めのパートでは、カズヤは、家の前で、4人組のグループに入りたいって遠まわしに言ってみるけど。微妙な間に、照れたように笑って「急にごめん。気にしなくていいから」と、店に入ってく。

 直後に「おれはカンベンだな」って言うダイ。
 「どうして」って聞かれると、「だってあいつオカマだって噂があるだろ。なんか、ふにゃふにゃして気持ち悪いよ。体育の着替えのときも、女みたいにTシャツ脱ぐしさ」。

 3番めのパートは、4人組とカズヤが一緒に帰った翌日の放課後。クラス1の美女、学校でも2番(非公認投票)の杉浦和泉(イズミ)が、クラスメートたちのいる前で、カズヤにコクる。って言っても「ねえ、森本くん、いっしょに帰らない」って言うだけで。可愛い。
 この“コクり”が、クラスに残ってた連中の注目をすっごく集める感じも中学生っぽい。
 今は、どうかわかんないけど。アタシが中学生だった、ン十年前もそうだった。
 親しくしてる仲間内ではエッチな話とかしてるくせに、クラスメートが大勢群れる場面だと、これくらいの事が“コクり”とかって騒ぎになったり。(アタシの頃は「コクり」とかって言い方ではなかったけどね)
 ところが、カズヤは「好きな人がいる」からと、丁寧に、けどきっぱりカズミに断って。“放課後ののんびりしたクラスが、その爆弾発言で騒然”とする。

 第4のパートは、翌週の休日明けの日。カズヤの噂がクラスに流れる。新宿のイセタン前で大学生くらいの男性と手をつないで歩いてたって噂だ。テツローくんの視点で、もやもやっと不安な感じ、噂に反応しての微妙な不快感がかすかにする。

 第5パートが、物語のクライマックス。
 カズヤの噂がクラスに流れた日の放課後。“不思議なことに、放課後になっても女子は誰ひとり帰ろうとしなかった”。“授業の間の休憩時間のようにざわざわしたとした興奮が教室に残っている”。そんな内で、和泉がカズヤを教壇の上に連れ出す。ざわついてた感じから、いきなり緊迫。

「みんなが森本くんのことをホモだっていってる。わたしなんかじゃ嫌かもしれないけど、そうじゃないって証明にキスしていいよ。ねえ、森本くん、昨日新宿なんていってないよね」
 ブリーツスカートのしたのイズミの足が震えていたのに、近くにいたぼくは気づいた。

 カズヤは、放課後残ってたクラスメート全員に、自分が同性愛者で、噂は本当のこと、って認める。
 正確に引用するとこうだ。

「ぼくのためにありがとう。でも、ごめんなさい、やっぱりキスはできない」
 カズヤは八の字眉をさげたまま、声を一段おおきくした。
「日曜日の午後、新宿にいたのはほんとうです。そのときいっしょだったのは、好きな人ではないけど、ボーイフレンドのひとりです。ぼくはみんながいうとおり、ほんとはこっちなんだ」
 困った表情で頬を赤くしながら、手のひらをななめに顔にあてた。テレビなんかでおなじみのオカマのジェスチャーだ。カズヤはすべてを笑いでごまかそうと決心したみたいだった。
「もうこんなこと、みんなの前でいわせて、イズミちゃんたら嫌だ!」
 そういって、クラス一の美少女の肩を遠慮がちにたたいた。足が震えているのは、イズミだけではなかった。カズヤの足だって目に見えて震えている。ぼくと目が会うと、涙目でうなずきかけきた。
「はい、さらしものはここでおしまい。この先が視たかったら、うちの店でジャケットでもオーダーしてね」
 カズヤは教壇をおりるとき、ひざから力が抜けたようだった。がくりと腰から崩れそうになる。ぼくはカズヤの肩を支えていった。
「だいじょうぶ」
 となりにいたジュンが感心したようにいった。
「すごかった。カズヤはすごい勇気があるな。もうこんな教室はいいから、いっしょに帰ろうぜ」

 『ぼくたちがセックスについて話すこと』で、“冒険”の焦点に立つのは、カズヤとイズミ。でも、4人組は、カズヤの冒険者的な選択については、ただの傍観者でもない。
 教壇の上での一幕があった後、一緒に下校した5人は、朝汐橋の上でダベる。
“ ぼくたちは暮れていく朝汐運河のうえにいた。五人はすこしずつ距離をおいて、ほこりっぽい欄干にもたれていた。”
 緊迫シーンの後での、風に吹かれるような感触が、心地いい。かすかに侘しいような虚脱感みたいな感じもしてる、特別な時間。

 カズヤが、「ぼくは幼稚園のころから、いいなと思うのは男の子ばかりだった」と語りだすと、「むりやりはなさなくていいよ」と、ジュン。
 「そんなんじゃない。みんなにはきいてもらいたいんだ」。カズヤは言葉を継ぐ。

 橋の上でカズヤがしばらく1人語りして。切れめに、ダイが突然のように口を開く。

 そのとき、ダイが吠えるようにいった。
「ああ、クソー。カーセックスもいいけど、おれもやせるくらいのレンアイがしてーな」
 カズヤの言葉をきいていて、ぼくが感じたのも同じ気もちだった。それはひどく単純なことで、言葉にするとバカみたいだった、切なくなるほど恋をしたいなあ。きれいとかきたないとかじゃなく、頭がいいとか悪いとかじゃなく、Hをするとかしないとかじゃなく。その人のことを思うと、自然にあたたかい気もちになったり、心がよじれて眠れなくなる、そんな恋をしたいなあ。
 ぼくはそんなふうに思いながら、日が沈んで三十分後の空を見ていた。それは実際に恋をしているときよりずっと切ない気持ちだった。そのままぼくたちはなにもいわずに橋の上で固まっていた。誰かを好きになりたい気もちはものすごく強くて、なんだか身動きがとれなかったのだ。

 こんなふうに、『ぼくたちがセックスについて話すこと』は、異性愛者♀のイズミと、同性愛者♂のカズヤが、それぞれに演じた“冒険”に、4人組がそれぞれに心を動かされた物語。
 “言葉にするとバカみたい”にしかならない事柄が、中2の「ぼくたち」が、「セックスについて話すこと」だ。
 4人組は、この物語の冒険者未満だけど、傍観者以上だと思う。

 「おれもやせるくらいのレンアイがしてーな」。“切なくなるほど恋をしたいなあ。きれいとかきたないとかじゃなく、頭がいいとか悪いとかじゃなく、Hをするとかしないとかじゃなく。その人のことを思うと、自然にあたたかい気もちになったり、心がよじれて眠れなくなる、そんな恋をしたいなあ”。
 この切実な想いも、その内“夕陽に向かってバカヤロー”みたいに、笑いを噛み殺しながらでないと読めなくなる日がくるんだろうか? でも、もし、そんな日が来ても、きっと誰かが、同じような想いを、何か別の言葉で語るだろう。

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 この物語には、いいところがギッシリ詰まってる。かなりネタバレさせたけど。この程度のネタバレで面白さが損なわれる本編じゃぁない。
 例えば、カズヤが「好きな人」って誰だと思う? 読んでのお楽しみ♪

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 アタシが思うには、この物語で1番いいとこは、きっと、“冒険”に失敗した直後のイズミが描写されるカット。
 「すごかった。カズヤはすごい勇気があるな。もうこんな教室はいいから、いっしょに帰ろうぜ」と、ジュンに言われたカズヤは「いいの? これからもいっしょに帰ってくれるんだ」と言う。

「いいの? これからもいっしょに帰ってくれるんだ」
 ダイが胸をたたくと白いシャツのしたで、筋肉と脂肪がたっぷりとゆれた。カズヤのカバンを軽々ともっていう。
「へへ、グループのやつをいきなり襲ったりしなけりゃな。さあ、いこう」
 そこでぼくたち四人とカズヤはサルの檻のような教室をでた。最後に見たとき、イズミは放心したように自分の席に座っていた。血の気はまだひいたままだったけれど、それが逆に氷の彫刻のようできれいだった。まわりには何人かの女子生徒がいる。ぼくはイズミはきっといいやつなのだと思った。
 だが、この世界には善意から最悪の事態を引き起こしてしまう人間がいるのだ。イズミの美しさは、その無神経の代償なのかもしれない。

 テツローくんが言ってる“最悪の事態”は、この場合「イズミにとっての最悪の事態」って事だとアタシは思う。
 カズヤの方は、自分の選択で最悪の事態を踏み越えた。
 多分、イズミが“放心したよう”になったのは、取り返しのつかないことをしてしまった、みたいな想いからだろう。
 イズミの言動と比較すると、ダイのセリフ「グループのやつをいきなり襲ったりしなけりゃな」は、一見、ガサツな感じもするけど。同性愛者を同性愛者として友達グループに受け入れるセリフ。

 アタシとしては、“血の気はまだひいたまま”のイズミは、自分が異性愛者の♀だって、思い知らされる方向に「突き放されて」るように思える。
 これは、アタシの読み込みかもしれないけど。
 アタシが言いたいのは、「カズヤがイズミを突き放した」みたいなことじゃぁない。「カズヤは強いられた状況の内で自分なりの選択をした」けど、「その選択によって突き放されたのがイズミ」ってこと。
 どこが違うか。
 もちろん「カズヤに選択を強いる状況を作ったのはイズミ」って事まで組み込むとこが違う。
 アタシとしては、教室で“最後に見たとき”のイズミについて、テツローくんが言わんとしてるのは、そんなようなことだと思うんだ。
 どうだろう?

 物語のエピローグにあたるパートでは、その後、カズヤとイズミが親友になったことが語られる。
 お互いを対等に認めないと、親友にはなれないじゃん。
 だから、イズミは1度「突き放される」必要があったんだ、ってアタシは思う。
 なので、“冒険”に失敗した直後のイズミが描写されてるカットは、きっと、物語で1番いいとこだと思う。

 お互いが相手の他者性(異質性)を認め合う対等は、普通考えられるような平等とはちょっと違う関係。
 だから、“冒険”に失敗した直後のイズミが描写されてるカットは、異性愛者にも、同性愛者にも、両性愛者にも、それぞれに1番いいとことして読めると思うな。それぞれ、呑み込むのに苦労したり、しなかったりはあるだろうけど。
 アタシは、両性愛者の女装者なので、多分、比較的呑みこみ易いヤツだろう、って思う。

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 ちなみに、カズヤは、お姉っぽいし、1部オトメチックな性格もあって。性向の描写にはちょっと曖昧なとこもあるけど。
 ♂同性愛者と思って読める水準と思います。読めないって人もいるのは、わかる。中2だから、もしかしたら、♂同性愛者なのか、トランス・ジェンダリストなのか揺らいでて、悩んでる、みたいなことかもしれない。

 アタシとしては、キャラ描写に曖昧な部分もある作品、として読むのがお勧め。
 カズヤの性向描写に曖昧なとこもあるのは、これは物語を成り立たせるためと思うし。作品の短さも考えると、バランス的に悪いことではない、と思えます。

 後、1学期が始まって少しした頃テツローくんは同じクラスの女子と付き合いだしてたんだけど(『月の草』)。多分、その後うまくいかなくって、別れたんじゃぁないかな?
 こっちは、ただの深読みだけど。自然に深読みさせるだけの力がある物語で。
 例えば、引用してある“カズヤの言葉をきいていて、ぼくが感じたのも同じ気もちだった”以降の、テツローくんの心中モノローグなんか読んでると。あー、テツローくんうまくいかなかったのかな(?)。ま、中2じゃぁ、そうなる方が自然かな。とか思っちゃう。

 『ぼくたちがセックスについて話すこと』は、内容の訴求力や、4人組が“冒険”をすることでは、『大華火の夜』に少し負けてる気がするけど。
 いろんな性向の読者が、それぞれに読めて、それぞれに他者の異質性や、異質な他者との関わりについても考えれる内容で、少し勝ってる。
 そんな作品だと思います。
 なんにしても、『4TEEN』中、1、2を競う傑作短編で。
 お勧め。

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