上杉謙信 戦国時代の電撃戦(ブリッツクリーク)

 何の本だったか忘れたが、以前に上杉謙信(長尾景虎)のこんな言葉を読んだことがある。

「我に八千の兵あらば、いかなる大敵も撃破してくれよう」

 上杉謙信は本当にそういう意味合いのことを言ったのか。あるいは言ったとして単なるハッタリか、政治的な宣伝の意味ではなかったのか。

 けれど同時に、『信長の野望』でさんざんチート級な強さをみせる軍神謙信であれば、いかにも言いそうなセリフではないか。

 そこで、この謙信のセリフが正しいと仮定して考察してみよう。
 いったい謙信は、どのような意味合いで「八千の兵があれば」と言ったのか。

 まず、敵を撃破、あるいは打ち破る、という言葉には「皆殺しにしてやるぜ、ですとろーいっ」というニュアンスはなかったと思われる。
 そもそも、古代戦史に名高いカンネーの殲滅戦のような、殺しまくりの戦いというのは、例外である。戦国時代の合戦も同様で、漫画や映画のように、首がぽんぽん飛んで、人がじゃかじゃか死ぬことはそうなかった。

 ではどうなったら、戦いの勝敗が決まったかというと、軍としてのまとまりがなくなり、崩れたら――というと、一番分かりやすい。
 謙信の言葉が意味したのも、この軍を崩す形での撃破だろう。

 敵の軍を崩すには、いくつかの方法が考えられる。ひとつは、士気を喪失させることだ。敵に負けた、あるいはもう戦えないと思わせることができれば、軍は崩れる。戦場での戦いでなくとも、謀略で士気は奪えるし、疲労させたり飢えさせることでも奪える。真綿で首を絞めるような戦い方だ。(余談であるが、真綿で首を絞めるような謀略家は“酷い奴だ”と非難されることが多い。しかし、逆に考えてみよう。真綿で相手の首を絞めて殺すのは、それはそれで時間と根気が必要な、しんどい戦い方なのである)
 軍を崩すもうひとつの手は、指揮系統に深刻なダメージを与えることだ。当時の軍隊は、小学校の運動会みたいなもので、小学生=兵士ひとりひとりは、周囲の状況や、何のためにどうすればいいかについて、さっぱり理解していない。学校の先生がああしろこうしろと指示を出して初めて、整列して全体行動が可能になる。これが運動会ならば、行動のすべてをマニュアルにして繰り返し練習させることで、理解しなくとも身体に教え込むことができるが、戦争ではこうはいかない。

 そしておそらく、謙信という武将は、この指揮系統へのダメージを与える戦い方が、きわめて巧みであったのだろう。

 川中島における謙信と信玄の戦いについて調べてみると、信玄の戦い方は基本的に手堅い印象がある。兵力を優越させ、城を整備して布陣し、無理な合戦には手を出さない。
 一方の謙信の戦い方は、フットワークが軽い印象がある。むちゃくちゃでリスキーなように見えて、その背後には高い計算と優れた戦術眼がある。
 戦略的に優位な立場にある敵をゆさぶり、振り回し、想定外の事態を引き起こすことで、当時の貧弱な指揮系統システムに過負荷を与える。

 そして、敵軍の指揮系統が麻痺して動けなくなったら。
 いかなる大軍を擁していようとも、数の優位を生かせなくなったら。

 その時にこそ、“八千の兵”で敵本陣を突き崩す。
 戦いを決するのは常に数だ。“八千の兵”で数の優位が実現できる戦場を作り出せると踏んだからこそ、謙信はああも豪語したのだ。

 とはいえ、言うは易く、行うは難し。
 敵をゆさぶっている間に、自らの軍が麻痺してしまっては意味がない。
 この戦い方は、麾下の将兵が謙信の命令を機敏に、忠実に実行できるという前提がある。将兵の練度と信頼あってこそ、実現可能な戦い方なのだ。
 謙信の神がかった言動は、素の部分もあるだろうが、やはり自らをそう演出することで、将兵の信頼をより高める目的があったのだと思う。

 そして、謙信のこの戦い方は。
 第二次世界大戦でのドイツ軍の戦い方とよく似ている。

 『電撃戦(Blitzkrieg)』

 勝利を得るために、敵の指揮系統を麻痺させる。電撃戦の本質はそれであり、戦車も、戦術爆撃も、通信機でさえ、そのための手段でしかない。

 ならば謙信の戦い方も、戦国時代の電撃戦と呼んで良いのではないだろうか。

※本記事のネタは、宮下英樹さんの『センゴク天正記 3』で、戦国時代のそれまでの戦いが、中枢を攻撃して散らす、という図解から思いつきました。
 ……ところで、桶狭間戦記の続きはまだでしょうか。

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