石田衣良、作、『飛ぶ少年』(『4TEEN』所収)

 『飛ぶ少年』は、小説家石田衣良さん著の、連作短編集『4TEEN』(フォーティーン)に収められた1篇。
 東京の月島界隈で暮らす、中学生男子4人組を描いた短編の1つだけど。この作品は、クラスでも浮きまくってる放送委員のユズル(関本譲)の話。掲載8作の内、3番めに採録されてる。

 『4TEEN』では、4人組が中学2年の1年間に、普通の暮らしの合間に経験する、ささやかな“冒険”の物語が編まれてる。ただ、ここで言うのは広い意味の“冒険”で。『飛ぶ少年』では、ユズルは校舎の4階の窓から宙に飛び出し、墜落して骨折する。
 多分、『4TEEN』採録作の内では、1番“奇妙な味”の物語だと思います。
 不思議な後味の余韻が長く印象に残る作品です。

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 『飛ぶ少年』は、クラスから浮いてる放送委員ユズルが重ねる“奇行”が、連作の語り手キャラ、テツローくんの視点から語られる。
 紹介のため、とりあえず“奇行”と書いたけど。描かれるのは、一言要約で言い切れるような事柄ではない。

「関本は命に別状はないそうだ。だが、両足に大けがをしている」
 そうですかとぼくはいった。話しをしてわかったのだが、リーマンの関心事は自分の担当するクラスで「いじめに近い状況」があったかどうかとということらしかった。ぼくは放課後のイベントについて説明した。陰陽師によるスプーン曲げショー。ぼくの説明はかなり詳しかったが、うちの担任にはなんのことだか、まるでわからないようだった。最後にぼくはいった。
「別にいじめなんてことはなかったと思います。イベントだって全部ユズルが自分で企画していたし、むりやりやらせたなんて雰囲気ではなかったです」
「それじゃ、なんで関本は四階から飛びおりたんだ」
 それは事情聴取のあいだ何度も考えたことだった。ぼくは正直にいった。
「わかりません。でも、もしかしたらユズルは突然飛びたくなっただけかもしれない」
 首をかしげるリーマンに、ぼくは続きの言葉をのみこんでいた。教室を駆け出していくユズルの笑顔を思い出す。あの時ユズルはほんとうに自分が空を飛べると思っていたんじゃないだろうか。

 上の引用は、ユズルが4階から飛び出した事件が起きた日、放課後に、テツローくんを含め、クラスに残ってた生徒が、“ひとりの生徒に教師ふたりがかりで”事情聴取をされたときのことについて。
(ちなみに、クラス担当のあだ名「リーマン」は、“やる気のないサラリーマンみたいだから”ついたんだそうだ)

 ユズルは、“将来芸能人になりたいから!”と、自分で立候補して放送委員になったヤツで。クラスではムチャクチャ浮いてる。例えば、ユズルが担当する昼休みの校内放送は、クラスの生徒の誰もが“寒い”と感じるようなパフォーマンス。
 “普段はいろいろな対立があったりするけれど、ことユズル問題にかんしては、みんなの意見は同じだった”。

 ユズルは、ある意味タフでメゲ無い。悪く言えば鈍感で。クラスメート相手に、ウケ狙いでTV番組の物まねのようなパフォーマンスを度々自主企画するんだけど。その都度スベる。
 スベってもスベっても、なんでウケなかったか振り返らないで次のパフォーマンスに挑むので、どんどんクラスで浮いていく。
 この辺の様子は、物語の前半で描かれてて、かなり納得力がある。

 放課後の事情聴取で、テツローくんが担任に、「イベントだって全部ユズルが自分で企画していたし、むりやりやらせたなんて雰囲気ではなかった」って話してるのは、そーゆー積み重ねの果てにおこなわれた、ユズルの自主企画の1つのこと。

 テツローくんが回想する形で語られてる“放課後のイベント”から、ユズルの4階から飛び出すとこにかけては、描写に、本作中で1番迫力が感じられるシーン。
 その意味で、クライマックスって言って構わないはず。なので、テツローくんが“事情聴取のあいだ何度も考えたこと”も語るパートは、形式的には、クライマックス・パートに続くエンド・パートにあたるのかもしれない。

 ユズルが4階の窓から飛び出した経緯は、結局、学校では「イヂメではなかった」と処理されることになる。
 その場にいた当事者たちもイヂメをしたとは認識して無いし、なにより当のユズル自身がイヂメられたとは思っていない。この件は、作品の長いエピローグに相当するパートで、病院に1人で見舞いにいったテツローくんとユズルとの会話を通して描写される。

 ただ、アタシ(紹介者)としては、作品に描かれた架空の状況は「いじめに似た状況」ではあったと思う。
 誤解しないでほしいんだけど。
 アタシは、『飛ぶ少年』を、学校でのイヂメもんだいを扱った作品、として紹介してるわけではない。
 そーゆー物語では全然無いんだ。

 アタシが言う「いじめに似た状況」も、作中の学校が、おそらく気にしただろう類の意味で「似てる」のではなくて。
 「集団心理が、1対多(少数者対多数派)の構図で、1人(少数者)に集中する形で盛り上がった」結果、ユズルは、自ら「関本譲、飛びまーす!」と宣言して、教室から駆け出す。
 この集団心理の生理を感じられる展開の描写は、迫力があって。
 「イヂメ」ではなかったかもしれないけれど、「イヂメが問題になる場合、おそらく必ず働いてるはずの集団心理と、同様の心理の動き」あるいは「盛り上がり」が濃密に描かれてて、読み応えがある。

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 さっき引用した“事情聴取”のシーンの語りは、次のように続いてる。

〔前略〕あのときユズルはほんとうに自分が空を飛べると思っていたんじゃないだろうか。
 ユズルやぼくみたいな中学生だけでなく、誰にだってなんでもできると思いこむときがある。もちろん、そんな思いこみは間違っていて、現実の地面に急降下してクラッシュしちゃうんだけど、その瞬間はほんとうになんでもできるって感じがするのだ。
 そういうのは、まったく悪くない感じだ。単純な思いこみでもかん違いでも、ニュートンの法則よりもっと強く自分のことを信じていられるのだから。
 リーマンにはまるでニュアンスが伝わらなかったけれど、それはしかたないことだった。ぼくだってそんなことが正気じゃないのはわかってる。でもときどき、ぼくたちは正気じゃないことをしてみたくなったりするのだ。

 エピローグと呼べるパートでは、テツローくんが1人でユズルの見舞いに病院に行き。そこで「もう北川くんなんて呼ばなくていいよ。これからはみんなみたいにテツローでいい」と言う。
 物語の冒頭では、4人組の仲間に「なんだよ、テツロー。あいつの友達だったのか」と言われて、あわてて首を横に振るようだったけど。そんなふうではなくなる。

 これは、多分、4階の窓から飛び出すユズルを1番間近で視てたのがテツローくんだから、納得力がある展開なんだと思える。

「どうして四階から飛ぼうなんて思ったんだ」
 まぶしげに目を細めて窓の外の並木を眺め、ユズルはいった。
「なんだか全部めんどうくさくなって。全部どうでもいいと思った。ぼくが飛べても飛べなくてもいい。どっちでもよかったんだ。まあ死ぬこともないだろうくらいの気持ちだった」
 こたえる言葉がなかった。ユズルはにこりと笑っていう。
「でもあの瞬間はほんとうに空を飛んでいる気分だった。時間がすごく長く延びて、ずっと四階の窓の外に浮かんでいる気がした」
「そうかもしれない。踊り場から見ていたけど、ずっとそのまま落ちないんじゃないかとぼくも思った。もしかするとユズルには超能力があるのかもね。一瞬だけ空中浮遊ができたのかもしれない」
 ぼくがそういうとユズルは顔を崩して笑った。〔後略〕

 多分、『飛ぶ少年』の物語の焦点は、テツローくんが、“ぼくだってそんなことが正気じゃないのはわかってる。でもときどき、ぼくたちは正気じゃないことをしてみたくなたりするのだ”思ったあたりにある、と思います。
 もっと言えば、「なんだか全部めんどうくさくなって。全部どうでもいいと思った」ってユズルの語りと、それを聞いて“こたえる言葉がなかった”テツローくん。この辺りに物語の焦点があると思う。

 作品のオーラスは、病院を後にしたテツローくんが、歩きながら薄青の空をスクリーンに見立てて、そこにクラスメートの中学生たちの姿をイメージする様子で締めくくられる。

 わかるだろうか? 空を飛ぶなんて、中学生にはとても簡単なことだ。

 このオーラスのイメージは綺麗で、著者がメッセージとして作品の込めようとしている事柄が察せられる。
 ただ、この夢想は、テツローくんの私的な夢想で。他の4人組や、クラスメートがどう考えるかは、定かではない。作中には、手がかりも書かれていないのだ。

 『飛ぶ少年』の“奇妙な味”は、おそらく、エピローグ・パートのオーラスで描かれるテツローくんの夢想と、クライマックスにあたる場面で描かれる集団心理の迫力ある描写との間から生まれてる。
 あるいは“奇行”と呼ぶしかない、浮いてるユズルのキャラクター描写と、語り手キャラクターであるテツローくんとの間の関係描写から生じてる。

 アタシのセンスでは、オーラスのテツローくんの夢想は、ちょっと綺麗に纏めすぎな気もするけど。
 どうだろう?
 例えば、“事情聴取”のシーンでテツローくんが考える、“でもときどき、ぼくたちは正気じゃないことをしてみたくなたりするのだ”の方が、この作品の“奇妙な味”のが濃いところ、と思える。

 何にしても、不思議な後味の余韻が長く残る作品で、読み応えがあります。

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