【雑記】演じるってなんだ?(いい演技、悪い演技)
http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex1/2009/02/20090212.html#100000
http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex1/2009/02/20090213.html#100000
個人的に面白いテーマだと思ったので(でも口がはさめなかったので)自分なりの解釈、むしろ持論っぽいものを書きなぐってしまおうかと思いました。主にdainさん宛てに。
かなりチラシの裏風味です。
まず、TRPG以前に「ロールプレイ」というものは、「役割演技」と日本語訳されるそうですが、もともと心理療法の分野で提唱され発達した方法論で、要するにその人物が知るべきである(あるいはそう思われる)役割―――立場と言い換えるべきかもしれない―――に立って行動をなぞることによって、新たな理解を確立するという類のものだったようです。
心理療法や教育法としてのロールプレイは今重要なことではないので詳論は避けますが、このような「(仮定された)役割、立場を演じること」を遊びにしたのがRPGであると聞いています。そして事実、TRPGは、ルールの範疇でなにがしかの架空の役割を演じる遊びであると私は考えております。
このとき、「役割」や「立場」という語は、特に現在のTRPGの世界では非常に多様化しているように思えますが、大雑把に分類すると次のような側面で観察することができると思います。
1.キャラクターとしての立場、役割
2.プレイヤーとしての立場、役割
ただし、これもまた多様化しています。というのも、TRPGのシステム自体の推移と共にプレイヤーの立場や求められる役割は変化してきていますし、もちろん推移に関係なくシステムごとにキャラクターの立場は異なるわけです。
TRPGの場合、常に「ゲームとしての成立」つまり「セッションの成功」を考える必要があります。これは遊ぶ側に依存する要素ですが、これも多様化する傾向があるようです。つまり、「ゲームとは何か」「どんなセッションを成功とするか」の基準は、第n世代プレイヤーなどという単語を時折目にすることからして、また、私の経験からしても、コミュニティごとに異なります。
とはいえ、いかに多様化すれども、TRPGをする以上は楽しみたいことに変わりはないと思います―――多様化しているのは、「何を楽しいと感じるか」であって、TRPGが遊びでなくなったわけではありません。
従って、2は、「そのセッションを楽しいものにする」ことを基軸として、或いは原則として、その時々その場所で派生的に発生していると考えられます。ゲームとして成立させたいのは(あるいはストーリーとして終結させたいのは)TRPGを遊び楽しむためであって、その為のアタッカーや肉壁や回復役、PC1やPC2といった役割、或いはゲームの進行役だったり相談のまとめ役や萌え担当なのだと思います。
してみると、TRPGが遊びであるという原則上、1は2を覆してはならず、2に従属している必要があると思われます。
もちろん、それによって1の重要性が軽減されるとは思いません。しかし、TRPGにまつわるトラブルを自ら経験したにせよ伝聞したにせよ、プレイヤー起因の場合、その多くが1が2を覆したこと、つまり「キャラクターの視点を重視しすぎてセッションの楽しみを削いだ」ことが問題になっているように思えます。
(※ここでは煩雑を避けるため、ゲームマスターは私の考える標準的なゲームマスターを仮定しています)
続いて、舞台などの演技につて考えてみます。
私は舞台に立ったことはありませんが、舞台を実際にやっている友人と演技について語っていると、一様に耳にするのが「なりきってしまってはいけないんだ」ということです。
はじめ、私は意外で、その詳細を訊ねました。すると、要するに「コントロールできなくなる」ことがその要諦であるようです。
このことから類推するに、まず第一に必要とされていることは、つまり役者が果たすべき仕事は「舞台全体の完成度を高めること」にあるのではないかと思われます。演技は役者の制御下になければならない、というのも、舞台で必要とされているのは「そのように感じている人物が実際にそこにいること」ではなく、「物語に(広義には表現に)必要な時に必要な情動をもって必要な行動をする人物を"表現すること"」にあるのだ、とすれば辻褄があうと思い、一部の知人に確認してみたところ同意を得られました。
もちろん、私の友人は第一線の一流俳優ではなく、下積みの域を出た者は(誠に残念ながら)まだおりませんが、多少は考える手助けになると思います。
心理療法のロールプレイの話を引き合いに出しますと、これは何かで読んだ時に例として引かれていたものをたまたま覚えているものですが、例えばいじめについて、いじめられっこにいじめっこの役をやらせていじめっこをいじめさせるとか、或いは夫婦喧嘩について、夫婦の立場を逆転させた生活を(疑似的に)させるといったもののようです。
こういった時、素人芝居ですから、中には入り込む人もいるでしょうが、すくなくとも事後に冷静に自分の行動や情動を分析することができます。そういう意味では、これも(結果論的かもしれませんが)コントロールされた行動であると言えるのではないでしょうか。
但し、これは少々不適切な例だったかもしれません。何故なら、この心理療法の例は、演技そのものの質を問われるものではないからです。とは言え、「演技ってなんだ?」と考える上で、ひとつの提案があると思います。
つまり、いかなる演技も、演者のコントロールを離れてはならないとされているのではないかと思う次第です。それは何故かというに、ひとえに合目的性からくるような気がしています。
結論として言えば、TRPGの演技で言えば、良い演技とは次のようなものになると思います。
1.物語上でのキャラクターの立場、役割を果たし
2.なおかつセッションをより楽しいものにできる演技
この時、1は必ずしもそのキャラクターを演じるプレイヤーの満足には結びつきませんし、キャラクターの同一性を侵害するものである可能性もあります。「このキャラクターはこうなんだ」よりも、「この物語上でこのキャラクターはこの役割を果たすべきだ」を優先する方が、物語として完成され、プレイヤーも(おそらくゲームマスターも)喜ぶ結果に繋がり、2をより強く満たすことができるのではないかと思います。
まとめると、2の基準に立って効果的にキャラクターを振る舞わせることが良い演技になるのではないかと思います。もちろん、意図に外れて良い演技になったり悪い演技になったりする場合もあるでしょうが、それはTRPGの演技に限らず、それどころか演技に限らずあらゆる表現に通じるものがあるような気がします。
その上で、そのキャラクターについて演じるプレイヤーの自己満足を十全に満たし、かつ周囲の参加者をより盛り上げることができれば理想的なのかもしれません。それは「良いメンバー」の話にも絡みますので深入りはしません。
おそらく、そのキャラクターについて演じるプレイヤーの自己満足を満たしつつ、他のプレイヤーの自己満足を満たせるよう水を向け、そしてゲームマスターの欲求を満たし、その場のメンバーの喝采を浴びるようなプレイが、最も良い演技になってくるのかもしれません。私にできるとは思えませんが、できる人もいるようです。
一方、俳優に関して言えば、物語の中で「その役柄をよく表現できる」ことになるような気がします。これを"最終的に"判断するのは観客ですが、事前に判断するのは演出家や監督になると思いますが、舞台も何も基本的には享受するばかりのど素人なのでよくわかりません。
ただ、「よく表現できる」であって「うまく表現できる」では無い場合が多いのではないかという気がします。
上記の考え方は、乱暴な言い方をしてしまうと、双方ともに本来の目的を果たす―――観客に感動を引き起こす、楽しいセッションにする―――ことができれば良い演技であるという結果論的解釈なような気もするのですが、私はそういう考え方が適切だと思い込んでおります。
と、気付いたら長文乱筆になっておりました。まとめ能力の欠如を陳謝します。
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