『風雲児たち 幕末編 14』みなもと太郎 井伊直弼と島津斉彬――同じ不遇の青年時代を生きた男の道はなぜ違えたか
幕末編14巻。
敵すらも味方に取り込む阿部正弘がいなくなり、軋みと迷走をはじめた幕府は、一種の政治的反動とも言うべき形で、井伊直弼を大老に選ぶことになる。
井伊直弼といえば、安政の大獄であり、桜田門外の変である。中学生ですらその名を知る男であるが、彼も若い頃はけっこう不遇であった。
何しろ井伊家のお殿様の14番目の男子。上に兄貴が13人である。家督相続などほぼあり得ず、かといって養子の話もさすがに兄貴たちを片づけるために尽きてしまい、捨て扶持をあてがわれて仕事もなくニート生活を32才まで続けていた。
片や島津斉彬。こちらも、中学生レベルだと知名度はやや下がるが、明治維新の立役者である島津藩の藩主で、西郷隆盛や大久保利通ら、きら星のような維新の元勲を引き立て育てた傑物だ。そして彼もまた、若い頃は不遇であった。
とにかく父親と仲が悪く、斉彬が40才を過ぎても家督を譲られず、あげくお由羅騒動というお家騒動まで起きている。
そしてふたりとも、なんだかんだあった上で、ようやく権力を手にしている。斉彬は島津家の藩主に。井伊直弼は井伊家の藩主、そして大老に。
よく似た人生を送りながら、権力を得てからのふたりの行動は大きく違う。
島津斉彬は、権力を決して正義のためには使わなかった。自分に反対する者、そして間違った人間を排除するためには使わなかった。外には開国を、内には政治改革が必要であると考えていたが、なればこそ、それに反対する人間を排除してはならぬと知っていたのだろう。
おそらくそれは、盟友である阿部正弘から学んだことでもあったのだ。
井伊直弼は、権力を正義のために使った。幕府を守るために、自分にできる精一杯のことをやった。外には開国、内には政治改革が必要であるという点では斉彬らと近い意見を持っていたが、対立する派閥に属する開国派は容赦なく大老の権力で粛正を行った。
身近で見続けていた阿部正弘の政治的手法では、あまりにも手ぬるいと考えたがゆえの行動でもあったろう。
何がふたりの男の道を分けたのだろうか。
私はそれは、『自信』ではないかと思う。
島津斉彬は、曾祖父の薫陶もあったせいか、たとえ不遇の青年時代が長くとも、自らの能力と目指す道に絶大な自信を持っていた。カエサルがそうであるように、ナポレオンがそうであるように、己の能力に絶大な自信を持つ男は、志を違える他者への余裕を持っている。
井伊直弼は、ニート時代にも武芸百般、学問もがんばり、自らを鍛えることに余念がなかった。決してその能力識見は斉彬に劣るものではなかったと私は考えている。
しかしそれでも、持って生まれた性格なのか、はたまた兄貴の数が多すぎたせいなのか。井伊直弼は、結局、根拠すら怪しいほどのふてぶてしい『自信』とは無縁だったのではないかと思う。
井伊家の家督も、大老職も、井伊直弼にとっては己が得て当然の権力だとは、最後まで思えなかったのではないか。
なら、権力を振るわない生き方もあったろうが、井伊直弼は、自信はなくとも『覚悟』は強烈すぎるほどに持っていたのだ。
「この国難危急の時、俺がやらねば、何とする」
直弼は幕府の権威と力が音を立てて崩れているのを自覚しておきながら、権力をふるわずにいられるほどに、いい加減な男ではなかった。
『自信』がなく、『覚悟』の大きい男が危機において権力を振るう時、事態は容易に粛正へ転がりはじめる。反対派を許し、取り込むにはどうしても強い『自信』からくる心の余裕が不可欠なのだ。
井伊直弼にその自信を与える役目は、ニート時代からの師匠であり腹心である長野主膳の役目だったのだろうが、この長野主膳、頭が良すぎるほどに良い上、隙のない男でもあったようだ。直弼への忠誠心は高くとも、ふたりの間は緊張関係にあったのではないかと私は思っている。
では、このみなもと太郎さん描く漫画の中に登場するどんな人物が直弼の師匠だったら良かったかというと――
これだけ数多い風雲児たちの中にあっても、
私の脳裏に浮かぶのは、ただひとりの男である。
どんな相手にでも、常に敬意と誠心を持って当たる男。
頭はいいが、隙だらけで、典型的なボケキャラ。
彼の教えを受けたことで、本来はそれほどたいしたことのない、平凡な男さえもが、自らの力量の何倍もの仕事をやってのけるようになる、稀代の教育者。
そして、安政の大獄によって、井伊直弼自身が処断し、処刑される咎人。
吉田松陰、その人である。

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