深淵を覗き込む思索--『バイバイ、エンジェル』の矢吹駆

 “これは挑戦だと思うの”、“あなたも一緒に、この挑戦に応じるべきだと思うわ”。
 ナディア・モガールに告げられた矢吹駆は、かなり長いあいだ思索した後、「ラルース家殺人事件」の探偵役を条件付きで引き受ける。
 笠井潔さんの連作推理小説「矢吹駆連作」の物語内で、矢吹駆は、このようにして奇妙な探偵を始めることになるのだった。
 連作の語り手キャラ、ナディアが、駆に探偵役を促したのは、彼の仮宿「モンマルトル街の屋根裏部屋」を始めて訪れた時のこと。連作第1作『バイバイ、エンジェル』第2章での出来事だ。

 この文章では、風変わりな印象の探偵役、矢吹駆について、連作第1作の『バイバイ、エンジェル』を中心にみてみたい。

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【お断り】
 この文章は、矢吹駆連作の探偵役、矢吹駆について、第1作『バイバイ、エンジェル』に重点を置き、駆の探偵役としての特徴を整理、紹介するキャラクター・ノートです。
 未読の人を想定した文章で。不必要なネタバレは、極力避けます。

 ただ、キャラ描写などについての記述から、謎解きの手がかりになるような情報を読みとれるかもしれません。
 お断りしておきます。

 作品の紹介文として、やはり未読の人を想定して、「笠井 潔、著、『バイバイ、エンジェル』、『いつだって真実は見る人の前にある。しかし……』」も公開しています。
 よければ、どうぞ。

Cover image
(『バイバイ、エンジェル』、創元推理文庫版書影)

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 矢吹駆は、直観型、天才型の名探偵だけど、かなり変わったキャラです。
 素性不明のキャラクターで。ナディアの回想によれば、“過去のことをまるで語ろうとしなかった”(序章「マドリッドからの手紙」)。

 過去のことをまるで語ろうとしなかったが、時折もらす言葉の断片から、わたしは彼が幾年にも渡る長い長い旅行の果てにこの都会に辿り着いたことを知った。彼の放浪は、東南アジア、インド、中東、バルカン、北アフリカと続けられたらしい。

 しかも、駆は“かなり努力して、交際範囲をひたすら狭めるようにして”いて、ナディアには“幾人かの知人に対してとる、どこか冷ややかな距離を置いた態度は、沈黙と孤独を至高の価値とする思想のあらわれ”のように、思えた。
 そんな駆が、なぜ、パリみたいな大都会に滞留してるのか? については、連作第2作に渡る長い物語で、要点が語られます。
 『バイバイ、エンジェル』の時点の矢吹駆は、素性も経歴もほぼ不明な、謎の東洋人。
 物語の結末部で、彼のキャラクター性は鮮やかに描き出されますが、素性や経歴の方は、先々の連作で少しづつ断片が累積してくように語られていきます。

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 「あなたも一緒に、この挑戦に応じるべきだと思うわ」。
 『バイバイ、エンジェル』第2章「モンマルトル街の屋根裏部屋」で、ナディアが「この挑戦」と、矢吹駆に言うのは、第1章「ヴィクトル・ユゴー街の首なし屍体」で発覚した殺人事件のこと。事件に少し先立ってナディアも関った、予兆めいた出来事も含めているのでしょう。

「〔前略〕わたしはこの挑戦に応じるつもりだけど、あなたのいう現象学の社会問題への、特に犯罪捜査への適用という主張をこの事件で確かめてみたい気がする。あなたも一緒に、この挑戦に応じるべきだと思うわ。カケルの哲学が試される機会なんですもの。この機会を無駄にするようなら、これからはあなたの無駄口なんか一切信用しなくなるでしょうよ」
 カケルはかなり長いあいだ、黙って薄暗い天井を眺めていた。わたしは既に事件の真相に向かうための確かな推理の糸口を掴んでいた。仕事のことになると、わたしをまだ子供扱いするパパを驚かせるのは当然だけれど、ついでにこの得体の知れない日本人の鼻をあかしてやろうという思惑もあったのだ。それはきっと、勝利の味わいを完璧なものにするだろう。現象学についてのカケルのごたくなど、わたしはまるで信じてはいなかった。捉えどころのない、なにものにたいしても超然とした印象を与えるこの日本人が、尻尾を出してあたふたするのを期待する少し意地悪な気持もあった。
「……いいだろう」カケルがようやく口を開いた。「この経験は<書かれるべき一冊の書物>のなかにある一章のために、たぶん貴重な資料を提供するだろうから」
 カケルが彼自身の書物のことを口にしたのは、この時が初めてだった。〔後略〕

 こうして駆は、探偵役として「ラルース家殺人事件」に関っていくのですが。探偵役を引き受ける動機は、多分、ナディアの思惑とはズレてるはず。
 ナディアの方では、“現象学についてのカケルのごたくなど、わたしはまるで信じてはいなかった”のですから、駆の本意は解していなかったはずなのです。

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 矢吹駆は、直観型、天才型の名探偵キャラとして、作中、現象学的直観推理を駆使します。
 「現象学」については、作中でもキャラクター間の会話などで、物語を読み解くのに充分な説明が差し挟まれますが。「経験を内省し自己検討する哲学的思考法の1類」で、大まかには、「印象を自己批評しながら記述する学」と思えば遠く無いでしょう。
 ただし、駆が推理のベースにする矢吹流現象学は、普通知られる現象学よりも、ずっと大胆で意欲的な思想への取り組みと思えます。

 矢吹流の現象学の大胆さについては、作中では、例えば、大学でナディアらに哲学を講じているリヴィエール教授と駆との会話で示唆されます。

「現象学はたしかに偉大な方法です。現象学は、認識や知覚や身体、想像力や情緒、そして存在といった問題についてはほぼ全面的に(こた)えるものだったといえるでしょう。しかし、労働、家族、神話、叛乱、国家というようなやはり重要な問題に関しては、今も充分に応えるには至っていません……」
「君のいう通りだ。そうした試みは()されてきた。しかし充分には成功していない。〔後略〕」

 駆にとって、現象学の犯罪捜査への適用は、「労働、家族、神話、叛乱、国家というようなやはり重要な問題」に現象学を適用しようとする意欲的な思索行為の一部なのでしょう。

 つまり、矢吹駆がやる探偵は、職業的な探偵業ではない。
 だからと言って、趣味的な余技とも言い切れない。
 本人の狙いとしては、思索の材料となる経験が期待される行為なのだろうと思えます。

 駆にとっては、自分の現象学思想を深めることが第1で、「犯罪捜査への適用」は、その一部。
 多分、駆の方では、ナディアが言う「挑戦」を、当時のナディアが漠然と思っていた以上に、自分の思想を鍛える機会のように考えたのでしょう。「この経験は<書かれるべき一冊の書物>のなかにある一章のために、たぶん貴重な資料を提供するだろう」のセリフから、そう思えます。

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 矢吹駆は、ナディアの父で、ラルース家殺人事件を担当するパリ警察のモガール警視と初めて会った時、促されて「首切りの本質直観」を考察してみせます。『バイバイ、エンジェル』第2章で、探偵役を引き受ける場面の、少し前のことです。
 モガール警視に求められた駆は、首切りについての一連の知見を検討。結論として「首切りの本質」とは「殺人という事実の隠匿」と要約してみせます。
 こんなふうに、事件の焦点とみなせる事象を哲学的に考察し、さらにその本質直観を思考の焦点に据えて推理をしていく、っていうのが矢吹駆の本質直観推理のスタイル。

 「首切りの本質直観」を聞いたモガール警視は、事件についての駆の考えをさらに詳しく聞こうとしますが、駆は2人の間の立場の違いを指摘します。

「ようするに君は、具体的な資料がない限りそれ以上のことはいえないといいたいわけだね。まあ、それももっともな話ではあるが、しかし君の得ているこの事件に関しての知識の範囲からでも、もう少し現実的な推理が可能なのではないかな」モガールは、青年がこの事件に関して具体的にどう考えているのかを知りたくてたまらない気持ちになっていた。
「ムッシュ・モガール。そこに僕とあなたの立場の違いがあるようですね。……あなたにとって具体的に犯人を指示しないような推理はまったくの無なのでしょうが、僕にとっては犯人が誰であるのか、それはあまり重要な問題ではありません。現象学的な方法で犯罪現象を扱うという時、〔中略〕一連の思考過程の結果として、犯人名はたまたま、まるでついでのように判明してくるに過ぎません。あなたにとっては犯人の確定が九十九で残りは一でしょう。しかし僕にとっては正しい直観が、つまりその犯罪の意味の把握が九十九で残りは一に過ぎないのです。〔後略〕」

 引用ヵ所で駆は、「犯罪の意味の把握」について語っています。
 「犯罪の意味の把握」、これだけでは、まだわかりづらいですね。引用の場面に同席してたモガール警視の相棒、バルベス警部も不審を覚えたらしく、続くヵ所で「でもカケルさん」「犯人がわからなければどうにもならないでしょうが……」と口を挟みます。

「でもカケルさん」バルベスがなにやら疑わしげに、また不満げにいった。「犯人がわからなければどうにもならないでしょうが……」
「ええ、もちろんあなた方にとってはそうです」青年は急にそこだけ愛想よく応えた。「僕はそのことを少しも否定する気などありません。それに、ナディアは警察流のやり方にたいして否定的な見方をしているようですが、僕はそうは思いませんよ。現実に行われているやり方が、いつもいちばんいいやり方なんです。日々無数に起こる犯罪を処理するための巨大組織が、ただ常識(ボン・サンス)のみを規準にして運営されていくのにも妥当な理由があります。

 駆は、「実際に起こる犯罪の九分九厘までが常識的な動機や方法によってなされ」、警察は「多発する常識的犯罪を一括して大量に組織的に扱わなければならない」、だから「合理的な官僚組織の思考法則は、組織自体の維持と円滑な運動のためにこそ常識以外のものではありえないのです」、とも語る。

「しかし、その結果、実際に起こる犯罪の一分か一厘かのごく僅かな部分が、初めから警察組織の守備範囲外のものとなるわけですね。もちろん、それに官僚組織が無自覚とはいえません。ただ、こう現実的な判断を下しているだけなのです。その程度の例外は大勢に影響しない、と。〔中略〕
 犯罪というあまりに深く人間的な現象は、たとえその九分九厘までもが合理的な計量可能性によって官僚組織の膨大な書類操作の渦巻きのなかに呑み込まれていくにしても、最後の一分一厘のところで、絶対に計算されつくされることのない人間性の深淵をくろぐろと露呈するのです」
「たしかに迷宮入りの事件は嫌になるほどたくさんありますがね」バルベスが不満そうに相槌を打つ。
「君の意見では、今後どれほど警察組織が整備され、機能化され、拡充されたとしても、絶対に一分か一厘か解決不能な事件はいつも残るというわけだね」
「その通りです、ムッシュ・モガール。〔後略〕」

 要するに、「常識的な動機や方法」でなされるわけではない事件が、駆が現象学を犯罪捜査に適用するタイプの事件で、それは、「一分か一厘か」の割合で警察の常識的捜査方法の守備範囲外になるような事件でもある、と、そういう示唆を物語から読みとれます。
 作中の駆は、物語のもう少し先のヵ所で、「ラルース家殺人事件」のことを「悪魔による犯罪」あるいは「観念による犯罪」と定義します。
 駆によれば、人間に憑りつく観念を、昔の人は「悪魔」と呼んだ、とのこと。そして、駆は、「人間による犯罪」を「悪魔による犯罪」と区別します。

 「人間による犯罪」が、「常識的な動機や方法によってなされ」る普通の犯罪で、「悪魔による犯罪」が、「最後の一分一厘のところで、絶対に計算されつくされることのない人間性の深淵をくろぐろと露呈する」犯罪、という話に、一応はなります。あくまで、駆の思想では、ですが。
 つまり、駆が「犯罪の意味の把握」と言って考えているのも、「常識では意味を把握し難いタイプの犯罪」の「意味の把握」と思って、概ね間違いではないはず。
 「人間による犯罪」に対しては、現実に行われているやり方がいちばんいい、というのが駆の考えなのですから。

 『バイバイ、エンジェル』では、物語を通して、駆の言う「悪魔による犯罪」がどんなタイプの犯罪か、1つの典型例が描かれます。

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 さて、矢吹駆は、『バイバイ、エンジェル』第2章で探偵役を引き受けるとき、ナディアに3つの条件を提示して、承認させます。
 1つめは、フランスの司法当局に積極的に協力するわけではないこと、2つめは、事件の進行過程では具体的な質問には一切答えないこと、3つめは、事件が終局するまでの間、駆は観察者に徹すので「なにか社会的な責任だとか人間的な反応だとか、そうした種類のものを期待しても無駄だ」ってこと。
 「ナディアこの三点を君が受け入れるのならば……」。「この事件を引き受けることにしよう」。

 ここでは、2つめの条件についてみてみます。

 第二に、もし要求があった時には事件の本質についての考えを述べることは拒まないが、事件の進行過程では具体的な質問に一切答えないつもりだ。だから犯人が誰かというようなことを尋ねても無駄だよ。僕の関心はひとつの犯罪が現象としてどのように生成していくのかを始めから終わりまではっきりと見届けることにある。そのためには知りえた事実を全部語るわけにはいかないのだ。もしもそんなことをすれば現象の固有のあり方が外部から恣意的に歪められてしまう危険性が生じる。そうなっては、犯罪の現象学的考察は不可能になるからね」
「でも、そうだとしたら、あなたがほんとうに真相に到達したかどうかを誰が判断できるの」
「君さ。現象が展開を終え、事件の真相が完全に把握された段階で、少なくとも君にたいしてはその全部を隠さずに語ることを約束しよう。また、そのことによって得た事件の真相に関する知識をどう利用しようと、それは君の自由だ」
「パパに、警察に知らせてもいいの」
「もしそうしたければ」

 質問があった時に、事件の本質的な面について、例えば「首切りの本質直観」のような哲学的な考察は述べるけど、この事件の犯人は誰かなどの具体的なことは、「犯罪の生成」が終わるまでは答えない、って話ですね。
 駆が探偵役を引き受けた意図は、事件の真相を解明することにはありません。

 1つめの条件「司法当局に積極的に協力するわけではない」の補足のようにして「僕はただ自分の関心に沿って考察し判断するのであって」とも語られています。
 この「自分の関心」が、駆自身の思索を深めること、であるのは明らかと思えます。事件の真相解明は、駆にとって主目的ではないわけです。

 「司法当局に積極的に協力するわけではない」については、結果として当局に協力することになるかもしれないが、逆に当局を欺くこともあり得る旨も言われていて。
 この辺も、いわゆる名探偵キャラのイメージとしては、一見、変わっています。
 実は、結果として当局を欺くようなこともある探偵キャラは珍しくも無く。例えば、コロンボですら、現役警官であるにも関らず、脳腫瘍が原因で記憶が混濁し事件の真相を覚えていない真犯人を、その余命が短いことも踏まえて、見逃すようにしたことはあります(『刑事コロンボ』第27話「忘れられたスター」)。
 けれど、限られた相手にではあっても、ポリシーとして「司法当局に積極的に協力するわけではない」と明言して、「こともある」ではなく、基本的な行動原則にしてるキャラは、物語内の名探偵としては、やはり珍しいでしょう。

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 作中、幾つかのヵ所で語られる事柄を再整理すると、『バイバイ、エンジェル』で矢吹駆が探偵役を引き受ける意図は、「事件の固有の生成過程を、はっきり見届けること」。その動機は、「<書かれるべき一冊の書物>のなかにある一章」の資料を得るため、事件の生成過程を見届けること、です。
 駆の「観念の犯罪」への取り組みは、連作第2作以降、単に思索のための資料を求める行為だけでなく、もう少し別の動機も重なっていくことになります。けれど、それは先の物語。

 あるいは、探偵役を引き受ける前“長いあいだ、黙って薄暗い天井を眺めていた”駆は、序章、1章で、ナディアからの伝聞で聞いてた事件についての話を元に、「ラルース家殺人事件」が、彼が考える「人間の犯罪」か「観念の犯罪(観念に憑りつかれた人間が犯す犯罪)」かとか、検討していたのでしょうか。

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 条件付で探偵役に取り組む矢吹駆は、事件が終局したと判断するまで、事件についての「具体的なこと」を誰にも語りません。
 つまり、古典的な名探偵のように、「証拠が充分でない」とか「犯人を絞りきれていない」とかの理由で、具体的なことを語らないわけではありません。
 これも探偵キャラとしての矢吹駆の特徴です。

 『バイバイ、エンジェル』でも先の方、クライマックス直前あたりで、ナディアは駆のことを「もったいぶってなかなか喋らないところだけが、物語のなかの名探偵とカケルの唯一の共通点だ」とか思うのですが。
 犯罪事件の本質についての哲学的考察については、駆はかなり饒舌にあれこれ語ることはあります。

 そんな駆が、名探偵小説で必然的な謎解き(真相解明)の場面で事件の真相を語りだすと、物語の各所で語られた哲学的考察が、何についての考察で何を意味していたが、読者にも明示的に示されていきます。
 この謎解き場面は、『バイバイ、エンジェル』だけでなく、連作各作品でも、ストーリー上の面白みが集中する場面。

 駆の謎解きは、読者によっては、例えば回りくどいといった感じ方で、好かない人もいるかもしれませんけど。
 ナディアの言動に代表される憶測(ドクサ)の多い推理や、モガール警視の操作に代表される常識(ボン・サンス)のみを規準にした推理と比較しながら読むと、駆の謎解きの面白さはさらに増します。
 作中で、何度も提起されては、放棄されたり、修正されたりを反復する様々な推理が、駆の語り明かす“真相”と綾をなして、観念に強く憑りつかれた奇怪な企みの奇怪さを浮き彫りにするからです。

 駆が語る真相は、物語を通して描かれる、観念に強く憑りつかれた奇怪な企みの性質を、読者が理解するための焦点にもなるはずです。
 物語を通じて描かれる奇怪な企みが、駆の言うような「人間性の深淵をくろぐろと露呈」しているものかどうか、読者にとっては読みどころになります。この件は、『バイバイ、エンジェル』だけでなく、連作各作品でも、内容面の読みどころになることでしょう。

 『バイバイ、エンジェル』に限定して言うなら、ラルース家殺人事件を終局まで観察した後、観念に強く憑りつかれた奇怪な企みに、矢吹駆が与える決着も読みどころ。
 駆が与える決着は、彼のキャラクター性を鮮烈に浮かび上がらせますが、さらに深い謎を新たに加えもします。この謎は、第2作や、さらにその先の連作で、繰り返して問い返されていく謎で。
 それこそ「人間性の深淵をくろぐろと露呈」深い謎に連なっていきます。

 「怪物の相貌を仔細に監視する者は、本人の相貌も怪物化していく」的な寓意は、いろいろな物語に込めて語られますが、アタシ(紹介者)が思うには、矢吹駆の物語には、この寓意に通じるスリリングさがある。同じスリル感が、キャラクターの魅力でもあると、思います。

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