石田衣良、作、『ラストライド』(『LAST』所収)、色濃い不安感の描写が読み応えを生んでる短編

 短編小説『ラストライド』は、石田衣良さんの作品集『LAST』に採録された7篇の内、巻頭に収められた1篇。
 文庫版で34頁ほどの短い作品は、全編が色濃い不安感に彩られていて、読み応えがある。

 あれほどしつこかった催促の電話が一週間ほど、ぱたりとやんでいた。だが福本修二の切羽詰まった気持ちに変化はない。

 作品の冒頭は、こう書き出され、冒頭パラグラフは、「一週間で十パーセント以上の高利をむさぼる小切手金融の、それもまったく無関係の三社がそろって音沙汰なしなのが信じられなかった。」と、締められてる。

 福本修二は、小さな町工場を経営し、製本業を営んでる2児の父。
 去年の春まで3人の工員もいたけれど、今は妻と2人でやっている。工場の製本機器が、ここ2週間ほど稼動していないのも、作品冒頭部分の物語内の今の様子。11月であることは、序盤で知れる。
 ちなみに、作品が雑誌「問題小説」(講談社)に発表されたのは、2001年のこと。

 作中、物語内の今の時制で描かれるのは、およそ1日半ほどに渡る出来事の経緯だ。
 物語の感触は高密度。先に「色濃い不安感」と書いたけど、この不安感には読者も脂汗を流しそうな重苦しさが感じられる。そんな味わいが目立つ短編です。
 『4TEEN』や「I.W.G.P.」シリーズに観られる軽快な疾走感を期待して読むと、ビックリするはずと思う。作者の得意技、多彩な文飾を多用した情感表現も抑さえめだし。

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 講談社文庫版の『LAST』には、「AFTERWORD」と題された「文庫版のための長いあとがき」が付されてる。
 作者ご本人による『ラストライド』についてのコメントはこんなふうだ。

〔前略〕同世代の男性を主人公にしたのも、悪質な小切手金融にはまっているというヘビーな設定も初めてだった。こういう暗いものを書くのは、つくり手側に奇妙なよろこびがあるのだなあと納得。安全な場所から緻密に悲惨な現場を書くという皮肉なお楽しみが作家にはあるのです。だから、リアルで暗い作品があふれているのかな。

 アタシ(紹介者)は、作品と作者コメントを読み合わせて、このコメントからは「リアルで暗い作品があふれている」ように石田さんには観えてる小説市場の状況(文庫版は2003年刊行)への、皮肉も感じられるような気もします。深読みが過ぎるかな?

 それはさておき、『ラストライド』が「ヘビーな設定」の「暗いもの」だって作者自評に異論はない。
 ただ、それだけの作品とも思わないけど。

 『ラストライド』で描かれるストーリーは、確かに暗い。
 ただ暗いだけでなくて、作中提示される「正解がないような難問」が焦点になって全編に漂う不安感を、ねっとりした濃霧のような感触で彩ってる。
 そんな内で、主人公が「誰にも乱させるわけにはいかない」と思う「平穏と輝くような平凡さ」を持つ家族生活の描写が、ほの明るくはかない。
 アタシが思うには、この対照感が、作品の読みどころと思える。
 濃密な霧の中に、ほんのり明るい陽炎のように視える、平凡な家族の日常生活が漂い出しそうになってる。そんな物語世界だ、とアタシは読んだ。

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 ストーリーを要約すれば、こういう話だ。
 経営困難に陥って久しい小さな町工場の社長(主人公)は、高利の町金融に多額の借金を抱えてしまっている。
 そんなある日、彼は、小切手金融がさらに悪質な裏の金融業者に債権を売り渡したことを告げられる。
 この裏の金融業者は、主人公に、「保険金をひねり出すために自殺する」か、「妻と娘を闇風俗に売る」か(つまり借金の代償として管理売春の業界のセックス・ワーカーにするか)の二者択一を迫る。
 主人公は、丸1日、悲惨な状況から抜け出す方策を考えあぐねるが、1つの打開策を提示される。
 しかし、主人公は「なぜか」提示された打開策を選択できない。
 作品の末尾は、主人公が、唯々諾々と保険金をひねり出すための自殺をするか、おそらく過激な自殺になるだろう裏金融事務所への単身襲撃をするか、決めあぐねたまま、町工場の商用車を発車させる直前で終わる。

 十一月の東京湾は冷たいだろうか。ワゴン車が沈むのにどのくらい時間がかかるのか。それとも、このナイフをもって「ローンズ・ナイトー」でひと暴れするのもいいかもしれない。これからどうするかは、夜の街を流しながら考えればいいのだ。真夜中までにはまだたっぷり時間がある。
 修二は作業衣のポケットから抜いた老人のナイフをダッシュボードに放り投げ、ゆっくりとサイドブレーキのレバーを戻した。

 主人公が「ラストライド」に出るところで、作品は締められるわけだ。

 アタシは、フィクションの紹介文を書くとき、普通、ネタバレ--つまり、ストーリーの結構の先取りをできるだけ避けるようにしてる。
 『ラストライド』では、ストーリーの結末は、大したネタバレにはあたらない。
 内容のクライマックスにあたるヵ所、主人公の福本修二が、作中で状況から抜け出す方策を提示されながら、それを「なぜか」選択できないヵ所の方が、物語を読み解く焦点だからだ。

 主人公が提示される方策が何かは書かない。読んでほしいから。
 ただ、こうは書いておきたい。
 状況から抜け出す方策を主人公に提示する老人のキャラクターと、その方策を「なぜか」選択できない主人公の対照が、ストーリーを通して暗示される「正解のない難問」を、クッキリした感じで浮き立たせている。
 「暗示がクッキリしてる」なんて、矛盾したような表現だけど、そうなんだから仕方ない。
 つまり、倫理学とかの本みたいに、難問の性質を整理しては書いていないけれど、架空のキャラクターの状況と、選択の描写を通じて、難問の性質がかえってクッキリした感じで伝わってくる、ってこと。

 主人公が老人に提示された方策を選択しないで「ラストライド」に出る理由、心理を、どんなふう理解するか、なんと呼ぶかで、読者にとってのこの作品の内容は変わってくることでしょう。同じ読者でも、生活状況が変われば、内容の読み解きは変わっていくかもしれない。
 でも、読み応えは保証します。
 そんな作品です。

 作品のラストで「ラストライド」に出る主人公の心情は、個人的正義感で自己正当化するヒロイズムでも、自滅型で自己劇化してるヒロイズムでもない。これも、この作品のいいところ。

 十一月の東京湾は冷たいだろうか。ワゴン車が沈むのにどのくらい時間がかかるのか。それとも、このナイフをもって「ローンズ・ナイトー」でひと暴れするのもいいかもしれない。これからどうするかは、夜の街を流しながら考えればいいのだ。真夜中までにはまだたっぷり時間がある。

 この語りは、ヒロイズムではあるけど自己正当化の臭みはしない。自己破滅への傾斜の方は、実は微かに感じられるけれど、自暴自棄とも言えなければ、自己劇化というほどでもない。

 クソリアリズムで考えれば、エンディング部分で、主人公が考えているのとは、又、別の選択肢もある。
 けれど、主人公にとって「平穏と輝くような平凡さ」を持つ家族生活が、生きる拠り所になってるんだなぁ、って感じが、凄く伝わってきた。
 アタシは子供はいないし、結婚する予定も見込みもない。第一、オトコゴコロがわかんないヤツなんだけど(笑)。そんなアタシでも、主人公が家庭生活を生きる拠り所的に感じてる様子はわかる気がした。
 もちろんフィクションを通した想像なんだけど。実は、この「わかる気がする」のって凄いことじゃん。

 本当なら、主人公は奥さんにすべてを話して、夫婦で相談して、協力して2人の子供の平穏を最優先で確保する策を建てるべきではあるんだわ。
 1人で全部背負い込んでるのは、ヒロイズムなんだけど。そうした自分に酔ってない(自己劇化はしていない)。
 それに、こんなこと、アタシが「安全な場所」から悲惨な物語を読んでるって立場だから言えることで。
 作中の修二にしてみれば、24時間って期限が切られて、そこまで冷静に考える余裕がなかっただけかもしれない。

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 アタシは、『ラストライド』を最初に読んだ時は、「力作だけど、もう少し緊迫感が持続するような書き方の方が、読み応えが増すかもしれない」的に思ったことを覚えてます。極、短いので緩急がなくても、緊張感が強まれば、重苦しい物語りも一気に読めそうだ、とか思ったのでしょう。
 「平穏と輝くような平凡さ」を持つ家族生活の描写が、石田作品にしては情感を抑さえられているので、だったらいっそ、緊迫感で一本筋を通せば読み応えが増す、的に感じたのだとも思います。

 けれど、今回紹介文を書くために、2、3度読み返して、考えが変わりました。
 主人公がハマった悪夢のような状況の内で「平穏と輝くような平凡さ」を持つ家族生活が寄る辺無く漂い出しそうであるからこそ、ぼんやり輝いて見える、その感覚がいいと思います。平凡な家庭生活の情景は、ストーリー・テリングの緩急のためにだけに挿入されてるわけではないと思えました。
 つまり、題材もストーリーも暗い1本だけど、この作品のウリは、シンプルな暗さではない。もっと微妙な味わい。

 例えば、裏金融の事務所に呼び出された主人公は、真綿で首をしめうような交渉で、とことん恫喝される。
 けれど、作中、直接的な暴力の描写はまったくない。
 裏金融の、暴力を背景にした恫喝が、あくまで“ビジネス・ライク”な作法で進められる様子が、ブラックで、確かに、奇妙な魅力、ブラックな皮肉の味が感じられてしまう。

 主人公が「保険金をひねり出すために自殺する」選択肢を突きつけられることを紹介したけれど。修二が加入してる、中小企業経営者保険や生命保険を巡るやりとりはこんなふう。

「このままなけなしの財布から保険料を支払い続けてもしかたないだろう。あんたの家族が受け取る金はあわせて、九千万円を超える。すべての借金を返したうえに、子どもたちふたりが成人するまでなんとか暮らせる金だ」
 修二は思わす叫んでいた。
「それはわたしに自殺しろということですか」
 男は困ったような表情を見せた。
「いいやそんなことはいっていない。ただよく考えてみろといっているだけだ。家族を売って生き延びるか、家族の幸せのために自分が犠牲になるか。あんたには考える時間を二十四時間やる〔後略〕」

 福本修二は、恫喝に怯えはしても、なんとか対処策を見出そうとはする。
 経験豊富な裏金融の男は、あくまで“ビジネス・ライク”に修二が考えるような対処策が無意味であること、裏金融側には暴力を背景にして対処策があることを説いていく。
 もちろん、暴力を背景にした説明は、恫喝だし、脅迫でもあるんだけど。
 一つの対処案が無意味化されるたびに、修二にとっての生活の可能性が、少しずつ閉ざされていくような感覚には、リアル感が感じられる。リアリティーのある不安感の描写だ。
 この不安感が、“ビジネス・ライク”な作法で導かれるのも、この作品の皮肉な味付け。

 繰り返すけど、リアリティーの感じられる不安感がうまく描かれてるから、この作品がいいわけではない。
 濃密な不安感は、この物語の図柄では、あくまで「地」だ。「地」が暗く不安だからこそ、平凡な家族生活が、ほの明るく輝く感じにみえる様子がいい。もちろん、アタシは、主人公の主観にとって「ほの明るく輝く感じにみえる」感じだとの含意で言っている。

 短さの割りに暗くて重いけど、読み応えのある1篇です。

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