無能で腐敗した役人と政府を生むもの(『新・歴史群像シリーズ18 大唐帝国』を読みながら)

 フィクションには、無能で腐敗した役人とか政府が出てくる作品が多い。物語の舞台が現在過去未来、どこのどんな場所であってもおかまいなしだ。
 そのことにドラマ上の必然性があるのはもちろんだ。無能で腐敗した役人は、障害や敵として主人公の前に立ちふさがり、危機に陥れる。
 が、同時に「あるある」と読み手・聞き手に思わせることができるという点も見逃せない。歴史をひもとけば、無能で腐敗した役人や政府が存在しない時などないのではないかと思わせるくらい、ダメな記録に満ちているからだ。

 『新・歴史群像シリーズ18 大唐帝国』に収録された川田健先生の『唐代の科挙の実態 依然強力だった門閥貴族と科挙出身者の政治闘争』という記事には、隋唐時代にはじまった科挙という、今で言うところの公務員試験制度で選ばれた官僚たちと、門閥貴族のコネ出身で選ばれた役人たちが政治闘争を繰り広げたことが書かれている。
 現代人的な感覚、あるいはフィクションでよく描かれるパターンでいくと、コネや血縁で選ばれる役人は悪で、科挙で選ばれる官僚は善ないし主人公サイドになる。が、実際には科挙という制度にも問題が多く、また科挙出身者は自らの党派を強化するために、試験内容や採点に手を入れたりと、ダメなことをいろいろやっている。
 結果として、派閥争いや政敵の足の引っ張り合い、中傷合戦など現代にも見られる政治の迷走が唐の時代にもあったことが分かる。人間のやることは、いつの時代もどこの国でも同じなのだ。

 なぜそのようなことになるのだろうか?

 結論からいえば、人間の能力を測る良い方法が存在しないからだ。
 現実世界の人間にパラメタは存在しない。人は筋力・敏捷力・耐久力・知力・教育度・社会身分度などという分かりやすい能力値や〈管理-1〉〈交渉-1〉〈カトラス-1〉などの目に見えるスキルを持っていない。もしかしたらマスクデータとして存在するかもしれないが、他者はおろか自分ですら読み取れない。

 科挙という制度の目的は身分や財産に関係なく、「能力のある人間を抜擢する」制度である。だが、これは科挙に限ったことではない。科挙の前、漢の時代の郷挙里選は地方の役人や豪族が、地域に住む若者の中から、これはという有徳・有能の士を推薦する制度である。あるいは、三国志の魏の時代の九品官人法も、官吏志望者を才能や品性によって九段階に分け、その能力に応じて役職を決める制度である。

 科挙にせよ、郷挙里選にせよ、九品官人法にせよ、その目的や精神は優秀な人材が欲しいというものである。そして実際には目的や精神には相反する人材が出てくるようになるのも共通している。
 これは、制度や運用に問題があるのではなく、人間の能力を測る良い方法は存在しないと考えるべきであろう。

 そうは言っても現実問題として、誰かを選ばなくてはいけない。そして誰かをどうにかして選ぶのであれば、科挙という制度はさほど悪いものではない。現代の公務員試験や大学試験などの試験制度にもつながっている点からも分かるように、科挙には公平性や客観性がそれなりにあるのだ。
 その一方で、科挙という制度には公平性や客観性ゆえの問題がある。受験者へのストレスがひどいのだ。中国の歴史をみると革命の火だねとなった動乱や反乱の首謀者ないしその参謀に科挙に落ちた浪人生が加わることは多い。現代でも浪人生がストレスゆえに犯罪をおかすことがあるが、国家転覆とは究極の犯罪と言えるだろう。

 科挙が現代の試験制度へつながっているように、門閥貴族が地縁血縁で推薦し引き立てる制度も現代へつながっている。議員選挙がそれだ。
 推薦制度も、ごく少数の門閥貴族が自分の利益になるように選んで推薦するからおかしくなった時の問題が大きく、致命的になる。より大勢の人々が自分の利益になるように選べば、おかしくなった時の問題はより小さく、修復可能になる。現代の普通選挙とは、その点できわめて優れている。
 しばしば、世襲議員がどうこうとか、候補者にロクなのがいないとかの問題が取りざたされるが、これは普通選挙というものの仕組みを理解していないのではないかと思われる。そもそも、自分の能力も他人の能力も分からないのが当たり前である。己の利益になるように行動するのも、当然のことである。ならば、選んだ責任を全員が全員に押しつけあって、みんなで我慢するべきなのだ。
 世界をみれば選挙の結果であっても我慢せずにクーデターを起こすパターンも見受けられるが、選挙で我慢できないのならば、後は信仰心か軍事力で問答無用に押しつぶすしかない。それに比べれば我慢さえすれば好きなだけ文句が言える普通選挙のなんと素晴らしいことか。

 人事制度、勤務評価。このふたつは国家・企業・民間団体のいずれの集団においても最重要な案件である。失敗すれば構成員のモラルは下がるし、集団も機能不全を起こす。
 大事なのは試験だの選挙だのというシステムではない。どれだけ構成員を納得させ、安心させられるかだ。漢の時代では、法による戒めが厳しい秦の時代があったからこそ、その反省として郷挙里選が選ばれた。魏の時代は、三国志の動乱の時代であるから、従来の人事制度を改める目的もあって九品官人法が選ばれた。唐代になって科挙が推し進められた時期は、クーデターを起こした李世民や則天武后のように、従来の支配層以外に自分の味方が欲しい指導者の時代であった。
 議員の世襲、従業員の年功序列なども、それ事態を原則論的に悪とするのではなく、周囲の環境や時代とうまく合っているかどうかに留意すべきであろう。

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