『BLUE DRAGON』第47話「闇の中へ」、主人公シュウの“変容”のはじまり
アニメ作品『BLUE DRAGON』の第47話「闇の中へ」は、傑作。
『BLUE DRAGON』ってアニメは、いわゆる異世界ファンタジー設定の冒険物語だけど。
終盤の第39話(「凱旋」)~最終第51話(「シュウ」)が、スリリングな展開で引き込まれる。
世界の終わりを食い止めようとする主人公シュウが、すべてを呑み込む闇の奥底を覗いて、それでも帰ってくると、キャラが化けてるような感じがかっこいい。
第47話「闇の中へ」では、クライマックスでキャラ化けする主人公の、“変容”第1段階とも思えるような内面ドラマがうかがわれて、そこがいい。
「闇の中へ」は、『BLUE DRAGON』の内でも、一際、観応えのあるエピソードの1つなのだ。
もちろん、完全に独立した単話作品じゃぁない。作品の構成に即して前後に伸びる多数のプロット(筋)が綾なして、エピソードの内容も、より長い物語構成の内で解釈される作りだ。
けれど、作品終盤で描かれる“闇の再封印”ストーリーの内で、一際くっきりとした陰影に彩られ、深みのある物語が感知される力作になってる。
【ネタバレ注意】
この論考文では、第47話の見どころを、なぜそこが見どころなのかを説明するために必要なネタバレは避けない方針で書きます。
ネタバレは第47話に限りません。関連するプロット(筋)に応じ、前後のエピソードについて、言及するヵ所もあります。
予めお断りしておきます。
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◎「闇の中へ」
『BLUE DRAGON』第47話の「闇の中へ」では、「物語内の今」の世界を脅かしつつ闇が拡大している。
第43話「七人の光の戦士」からはじまった闇の拡大が、続いてる状況下にある。
この「闇」っていうのは、物語内世界で広く知られてる創世神話で、「今」に続く歴史の始原、“人の世の始まり”と呼んでも構わない時代に、7人の光の戦士によって封印された、と伝えられてる何かだ。
それは黒く暗い闇に満たされ、ジリジリ拡大を続ける半球状のエリアで、あらゆる物質や生体を呑み込むと、闇に同化しながら広がり続けてる。
第47話では、闇を再封印するため、主人公シュウや、敵対キャラのロギ、デスロイとその依り代デルフィニウムらを含む、“末裔の戦士”たちが、空中戦艦に乗艦し、闇のエリアに強行突入した直後からが描かれる。
“末裔の戦士”は、神話に伝えられた7人の光の戦士の末裔とされるキャラを指して、ここで使う仮称。作中では使われてない呼称ね。
“末裔の戦士”たちは、神話にも伝えられるキャラクター「影」を、擬似実体を伴う形で呼び出す能力を持つ「影使い」。影使いは、それぞれが個性を持つ自分の影とコミュニケートしながら、協力して、超自然的な影の力をふるうことができる。
「ブルードラゴン」は、物語の主人公シュウが呼び出すことのできる影の名。作中の神話の時代、「破壊神」と呼ばれてたみたいだけど、シュウのブルードラゴンは、神話時代のことは記憶してない。
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第47話「闇の中へ」の物語内容の焦点を、3点挙げたい。
a)“闇の再封印”って目的を共有しながら、これまでの敵対関係から対峙する、シュウとデルフィニウムとが緊迫する場面。
この対峙の背景として、“末裔の戦士”+αのキャラたちの間の、3系統のグループ間での緊張感も描かれる。
彼らの誰もが、“闇の再封印”って共通目的を理解はしてる。目的達成のため、“末裔の戦士”7人が揃ってる必要も理解してる。けど、短くない期間に累積された敵愾心と憎しみを解消することは、おそらく誰にもできてない。強いて言えば、「世界に新たな秩序を打ち立てる」って野望に掴まれてるローゼンクロイツ総帥のロギだけが、目的のために敵愾心や憎しみを表に出さずに抑えてる感じかもしれない。
そんな緊迫感の内、一際緊迫するのが、かつて仲間を倒された憎しみを強く抱くシュウが、グランキングダムの密偵で暗殺者でもあったデルフィニウムと対峙する場面になる。
b)ローゼンクロイツに忠誠な兵士たちに運用される空中戦艦が、闇の内から湧き出る無数の怪物を引きつけながら爆散するシークエンス(一連の断続するシーン)。
このシークエンスでは、主人公シュウを巡る物語に対しては、「地」にあたる物語が主に描かれるんだけど、第47話単話に限ってみると、かなりの迫真力が感じられる。
c)戦艦爆散直前に離脱し、闇エリアの中心「封印の地」を目指す一行が、闇の怪物に襲われるシーン。
このシーンでは、シュウが、おそらく反射的にデルフィニウムを救ってしまう。
第47話では、b)のシークエンスを物語の「地」として、a)のシーンからc)のシーンに至るシュウの言動から、シュウの“変容”がうかがわれる。
a)、b)、c)、を焦点にした第47話の物語で、全体として描かれる、主人公シュウの“変容”は、深い陰影を伴った描写になってる。
暗示的に描かれる「シュウの“変容”」には、一見「成長」と呼びたくなるような面もあるけど。アタシには、その内実は、普通言われる「成長」とは似て非なるものと思える。順を追って、その辺をみていきたい。
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◎「経緯」
主要キャラたちの一行が搭乗して、拡大する闇エリアに強行突入する空中戦艦は、“末裔の戦士”の1人で影使いでもあるロギが指揮するローゼンクロイツの戦艦だ。ローゼンクロイツは、シュウたちに倒されたネネの支配下だった旧グランキングダム軍の、1派だった。ネネの死を待ち構えるようにしていたロギが、主導して再編成した集団で、「新秩序の確立」を唱えるロギ率いる軍団の軍団名でもあるのが「ローゼンクロイツ」。
大型と呼んでいい戦艦は、ロギが、グランキングダム内で影使いを主力にした独立遊撃隊を任された時(第6話)には、すでに専用艦として使われてたもの。
多数の乗員が搭乗してて、運航要員だけでかなりの員数が要りそうだ。世界征服を目指してたグランキングダムは、その支配者だったネネが、第38話「最後の戦い」で倒され、指揮系統が混乱、分散した。ネネを倒したのは、グランキングダムの移動司令部を急襲したシュウたち一行だ。
ネネは、影の力を人造的に模倣する技術を駆使し、世界を征服しようとしていた。
グランキングダムに抵抗してきてた諸国連合は、ネネの死を機会に体勢を立て直し、残党軍を相手に侵攻。旧グランキングダム軍は、各地でいくつかの勢力に分断されていった。(第39話~第44話)他方、旧グランキングダム軍の有力勢力を、急速に糾合していったのが、ロギ率いるローゼンクロイツだ。
ローゼンクロイツの急速な勢力糾合には、神話的な影使い、人造影使いを交えて組織された、影使いの戦力が大きな力になっていた。そんな情勢下、作中の神話で、「光の戦士によって封印された」と伝えられてた闇が解放されてしまった(第43話)。この闇の再解放を画策したのは、シュウたちのパーティーを集め、リードしてきたゾラ。
ゾラの言を信じ、闇を封印していた古代遺跡の要だったらしい石版を破壊してしまったのは、シュウだった。
再解放された闇からなすすべもなく逃れたシュウたちだけど、再度、闇を封印するために、敵対してきたロギやデルフィニウムと共に、拡大を続ける闇エリアの内に突入することになった。「エクストラセブン」の通称で呼ばれる古文書によれば、太古のように闇を再封印するには、“末裔の戦士”7人が揃って「封印の地」に遺る遺跡を制御しなくてはならない。「エクストラセブン」とは、架空の神話を物語内で伝える『はじまりの書』の原本のみに、人の歴史が知られる限りの古から伝えられていた7ページだ。
“末裔の戦士”たちが目指す「封印の地」こそ、拡大を続ける闇エリアの中心に位置するポイントだった。
これが、第47話までに至る物語経緯の概要。
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◎「強行突入」
グランキングダムが開発した人造影技術を急遽応用し、シャドー・コーティングを施したローゼンクロイツの空中戦艦は、闇に強行突入する。闇は通常の実体(物質)を同化するけど、影は同化しない(その代わり相互に干渉しあう)からだ。
「本作戦が、世界の命運を担っている」と鼓舞するロギ。突入成功の安堵が緊張を緩めたのか、戦艦の艦橋では、シュウの仲間で復讐心を動機に戦ってきたジーロと、ロギ腹心の配下、旧遊撃部隊精鋭だったシュナイダーとが諍いをはじめる。シュナイダーとアンドロポフは、高レベルの人造影を使う影使い。旧グランキングダム独立遊撃部隊の生き残りだった。
「仲間をやられて恨みに思っているのはお前たちだけでない」「そっちこそ」と言いあう諍いを、ロギが止めさせる。
ゾラの思惑をは潰したい、との動機で乗艦していたデルフィニウムは、影使いたちの諍いを冷笑し、VIP対偶で用意されてた個室に退く。
ネネを裏切ったとして、ロギの粛清暗殺を画策しているデルフィニウムだが、ロギ本人に招かれ、“闇の再封印”作戦に加わっていた。ネネを倒したゾラへの憎しみの方が強い、との理由を口にしてるけど、本当のところ世界が闇に呑まれても別に惜しいとも思わない、と、言わんばかりのノリでふるまうデルフィニウム。闇エリアの内から湧き出るように襲来する、無数の闇の怪物の群れ。個々の怪物は、平均的には、ローゼンクロイツが用いる戦闘用人造影よりもやや弱いくらいらしい。当初、闇の怪物の群れは、艦砲のビーム・キャノンやシャドー・コーティングを施されたっぽい特殊砲弾に倒されていく。
けれど、エリア全域に充ちてる闇が凝り固まって生み出されるような印象の怪物たちは、その数に限りが無いようだ。闇エリア中心地に単艦で進む戦艦は、押し包まれていく。
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◎「対峙」
突入した戦艦の状況が悪化していた頃、シュウは、1人でデルフィニウムの個室に赴いていた。
「レディーの扱いに慣れてないのね。部屋に入るときは、ノックくらいするものよ」
デルフィニウム本人は、“末裔の戦士”ではない。以前は、人造影を授けられ、密偵、暗殺者として動いてた。
一方、古の光の戦士の末裔であるデスロイは、自分だけでは、神話の影を呼び出せない。
ネネの死後、デスロイの力の依り代として身を捧げたのがデルフィニウムだ。(ネネも、実はデスロイの依り代だった)
そんなデルフィニウムとデスロイに、ほとんど無言のシュウが対峙してた時、背後のドア口から「シュウ」と、ブーケが声をかける。ブーケは、ゾラのパーティーに、最後に加わったメンバーだ。----
○「対峙:ぷるぷるのぽよん」
以前、偶然、シュウに助けられたブーケは、気にしなくていい的に言われても、恩返しをすると言い張って、押し売り的にパーティーに関った。その過程で、実は“末裔の戦士”、影使いだった、と知られたのがブーケ。
以来、彼女は「シュウの婚約者」を自称して、シュウにウザがられないくらいのギリギリ微妙な圧迫感で、アピールを続けてきてた。そんなわけで、長くシュウにとって、押しかけ自称婚約者(笑)みたいな感じだったブーケだけど。
第47話の時点では、2人は「押しかけ/押しかけられた」関係でなくて、互いに相手を受け入れたカップルになってる。
2人の関係が決定的に変わったのは、第44話「真実」~第45話「ぷるぷるのぽよん」にかけてのこと。こーゆー話。
ネネに対抗していたゾラが、末裔の戦士たちを集めてた最終目的は、封印されていた闇を解放し、「世界を真の姿に戻す」ことだった。
最初にゾラに見出されたジーロは、グランキングダムへの復讐が動機でゾラに付き従ってた。つまり、ゾラは意図はともかく、事実関係としてはジーロを騙してはいない。たまたまゾラの目的とジーロの目的が一致したので、協力しあった。2番めに見出された影使いがシュウ。
シュウは、影の力を発動する直前、ゾラに問いかけられていた「君は、力を得て何をしたい?(何のために力を使いたい?)」と。「俺はみんなを守りたい(守るために力を使いたい)」これが、シュウの選択だった(第1話「影、発動」)。
おそらく、このシュウの選択のため、ゾラは、シュウとのコミュケーションには、かなり気を使ってたと思える。第43話「七人の光の戦士」で、ゾラの言を信じたシュウが、封印の石版を破壊したことで闇は解放された。そしてゾラは、「世界はあるべき姿に戻る」と、告げた。
自分はゾラに騙されていたのか? 利用されてたのか? そんなふうに頭を混乱させるシュウや、疑惑に惑う仲間たちの様子が描かれるのが第44話~第45話。第45話「ぷるぷるのぽよん」では、ブーケがそんなシュウを、裸で水浴びに引き込む。何考えてんだ的にあたふたするシュウだけど。「あとちょっとで世界が終わっちゃうかもしれないでしょ。だったらみんな、自分が好きなことをすればいいのよ」と、ブーケ。「シュウはどうしたいの?」「シュウのしたいようにすればいいんだよ」。「ようしっ!」と柄でもない苦悩(笑)と、どうどう巡りする思考を、サックリ吹っ切るシュウ。
「俺はゾラを信じる」。要するに「信じたいから、信じることにする」(笑)って決断。
これが、第45話で描かれたエピソード。このエピソードの後、シュウとブーケの関係はあきらかに変質。シュウは、感覚的にブーケの自分に対する気持ちを受け入れた様子で、ブーケの押しかけ感はスッキリ消える。
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ブーケはおもしろいキャラクターで、彼女の影、ヒポポタマスは、変身能力をもってるけど、戦闘能力は基本的にはない。その辺がブーケの引け目にもなって、特殊能力を駆使する潜入などで、ともかく頑張るような様子は微笑ましい。
彼女のおもしろみは、自分の欲望の対象をシュウと見定めた後は、ともかくシュウとの親密な関係の実現に全力を注ぎながら、男女間のやりとり楽しんでるようなとこ。
リアル・ワールドでは、「自分が好きなことをすればいい」と言われても、ブーケみたいに振舞えるヤツばかりでもない。ブーケの場合、欲望がシュウって具体的な相手に収束的に向かってるとこが一味違う。
例えば、ジーロの方が、シュウより頭いいとか、ファッション・センスいいとか、ロギの方がシュウより年収いいとか、セレブとか、そーゆーふうに考えない(考えられない?)のがブーケの人徳(笑)。ブーケだって、「グランキングダムは、悪い人たち」「ロギは、キザで嫌な奴」的な感覚は持ってるみたいだけど。こと彼女に関しては、「潜入などでともかく頑張る」動機は、「シュウや仲間の役に立ちたい、認められたい」だったりする。正義感とかじゃぁないのよ(笑)。
ブーケの欲望達成優先順位は、まず「『シュウ』や仲間たち」で、多分「『ゾラ』や仲間たち」じゃぁない(笑)。「認められたい」て欲望の重要度も、「役に立ちたい」の重要度より、明らかに低いとこも、粘着と紙一重(苦笑)のシュウ相手の押しかけを、許容可能な困ったちゃんレベルにまとめてて面白い。
シュウの方も、その辺大雑把な性格だし(笑)。結局、お似合いなのよ、この2人。その後、続編の『BLUE DRAGON 天界の七竜』で、2人は、天下無比のバカップルぶりを、てらうことなく発揮するのだった(笑)。----
こんなブーケってキャラのキャラクター性が、いかんなく発揮されたのが、第45話の水浴びエピソード。
典型的な恋愛関係に掴まれた人は、相手と自分の関係のためなら、通常の心理状態と比べると、ビックリするくらいの量のエネルギーが沸いてくるような体験をすることもある。
実は、そんな古典的恋愛関係は、今では拡散気味らしくて、種々ある恋愛関係のタイプの1種になりつつあるみたいだけど。それでも、「恋愛関係の1方がもう1方を、すごい納得力で励ます」的な物語は、まだまだ伝説的な納得力を持ってはいる。
もんだいは、この物語類型、あまりにプラトニック一辺倒に描かれると、現在ではウソ臭く響くこと。かと言って、あまりにフィジカル一辺倒に「あたしのカラダで励ましてあげる」的に描かれると、それはそれで卑し気な雰囲気も漂いはじめるのももんだい点。その点、第45話の水浴びエピソードで描かれた、ブーケの言動はいい。
身体的なエロスをシュウに意識させて、言葉で励ます。「シュウもそうしないさいよ(自分のしたいことをしなさいよ)」。身体を基盤に、個別的な対象に収束志向して、分散しない欲望の実現に忠実な生き方の勝利(笑)。
「ぷるぷるのぽよん」と(笑)、シュウを励ましたブーケは生の充実を味わったと思うな。
平たく言えば、シュウが元気になって嬉しそう。ほんと、うらやましいような性格の娘よね(笑)。
人間なかなか、そこまで自分の欲望に正直になれないし。
それ以前に、自分の欲望を個別的な対象に収束させるのだって、そんな簡単なことでもない。
リアルな人間には、煩悩多いからねー(笑)。----
○「対峙:緊迫」
さて、デルフィニウムの個室で対峙するシュウにブーケは背後から声をかけた。
「こんなとこで何してるの」と心配気なブーケに、振り返ったシュウは「大丈夫だ。先に戻っててくれ」と言う。「でも」と、ためらうブーケ。シュウは、重ねて「行けっ!」と叱りつけるような調子で命じる。
この時のシュウの顔は、かなり血相が怖くて。例えば、カップル成立した途端にオトコおーぼー、みたいにも読めるんだけど。それは浅い読み。物語内の架空状況を踏まえて観ると“浮いた”見解にあたる。ブーケが立ち去った直後にデルフィニウムは、シュウに言う「あなた、私を殺したいんでしょう」。
デルフィニウムはデスロイの依り代にすぎない。だから、シュウがここでデルフィニウムを殺しても、例えば戦艦搭乗員からデスロイの新たな依り代を見出せば、“闇の再封印”はかなう。
「あなたにとって、私を生かしておく理由は無い」と、断定するデルフィニウム。
「でもね、あなたは1つ計算違いをしてるの。私はそう簡単に殺されないってこと」。このセリフをきっかけのようにして、ほとんど無言でにらみ合っていたシュウとデルフィニウムは、同時に影を発動させる直前まで、緊迫する。結局、シュウとデルフィニウム、デスロイの対決は、水が入る形で「一時休戦」と回避されるけど。これについては後からみたい。
それより、対峙のシーンの緊迫感について。この緊迫感は、シュウが、復讐者との敷居をほとんどまたぎ越しかけてることによる、そういう緊迫感だ。シュウってキャラは、頭で考えるよりも先に、まず、身体を通じて感知される情動に従って行動して、そのくせ、あんまり手ひどい間違いは回避してきてる、ってキャラクター。マンガやアニメなどのキャラクターにはよくいるけど。そーゆー奴が、「意図的殺人者との敷居を、ほとんどまたぎ越す」ような覚悟をする場面が描写されるのは珍しいと思う。
例えば、『HUNTER×HUNTER』の主人公、ゴン・フリークスは、意図した殺人行為との敷居を、割とスーッと越える印象があるけど。それは多分、彼が野生児だったからだろう。かなり納得力があると思う。
例えば、『NARUTO』の主人公、うずまきナルトになると、その辺がよくわからない。忍者なんだから、意図して敵を殺すことは折込み済みってのには納得力もあるけど。実はナルトの場合、殺意と敵対心との質的な差異には、観ててあまりよくわからないとこもある。つまり、こーゆー話。
戦艦内でデルフィニウムを間近にみることで、物語内の過去に、目のまえで敬愛する仲間を殺された時の情動が強く喚起されたシュウは、デルフィニウムの居室に赴いた。
どーせ、何をどうしようとか、決めてなかったに決まってるのよ。そーゆーこと考えてから動く奴じゃあないから(笑)。相手の顔をみるなり掴みかかるなんて真似をしないだけの分別はあるけど。そんなシュウの気分(名づけられていない情動)に、「あなた、私を殺したいんでしょう」と、「殺意」って名指しをしたのはデルフィニウム。
シュウは概ね無言で、心中モノローグもないんだけど。気分が名づけられたことで「殺意」が結晶化した、と思える。
それ以前からシュウの血相が変わってたのは、それだけ気分の圧力が高まってたんでしょう。多分「どうしてくれよう、この憎しみ(の高まり)」みたいな気分だったんだと思う。「憎しみ」の類の情動から、誰かを意図的に殺す、殺そうとするって行為は、それまでのシュウの「みんなを守りたい」って行動原理と性質が大きく違ってる。つまり、戦闘の過程で敵を倒してしまうのでも、誰かを守ろうとする戦いに付随して、敵を殺してしまうのでもない。そういうのと違う、意図的殺人者の境地に、シュウは脚を踏み入れようとする。
この時、何をどうするか、あらかじめ考えてたわけでもないくせに、緊迫感の高まりに応じて、自然に覚悟を固める様子が、普段とは明らかに違う「血相」などを通して描かれたとこが、描写の達成。
この描写には、デルフィニウムとのやりとりや、ブーケとのやりとりも活かされてる。言わずもがななことを書くことになるけど。
シュウがブーケに、叱りつけるような調子、怖い血相で「行けっ!」って命じたのは。ブーケには、強い憎しみのぶつけ合いに踏み込むような覚悟をもてなそうだから、と思える。ブーケにはそんな適性はないでしょ。
あるいは、そんな境地に踏み込んでほしくない。そんなふうに、シュウは感じてたとも思える。
もちろん、アタシの解釈だけど、先にあげた「シュウ横暴」的な解釈よりは、物語内の状況に即した解釈。もっと深読みすれば、覚悟はあっても、これから何をするかわからない自分を、ブーケにはみてほしくない、そんな心理もあったかもしれない。けれど、こっちはわからない、
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◎「戦艦」
シュウとデルフィニウム、デスロイが、影まで発動させる対峙に至る間、拡大する闇エリアの中心、封印の地に向かう空中戦艦の戦況は、ますます悪化していた。
人造影発生機構を持つ艦載モビル・アーマー部隊が、甲板に展開して防戦するが、闇の怪物の大群は続々と押し寄せてくる。艦内にも侵入を受け、闇自体の侵食も被る段階で、防備処置を命じた艦長は、ロギには“末裔の戦士たち”の降下作戦を進言。
艦橋を離れ、対峙していたシュウとデルフィニウムは、こうして呼び戻され、直接対決は回避される。艦橋に集まったシュウたちと、デルフィニウムは、ブローチ状の個人用シャドー・コーティング・アイテムを支給される。いよいよ、末裔の戦士たち7人に、デルフィニウム、シュナイダー、アンドロポフを交えたメンバーが、地上に降下する作戦に移行する。
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○「戦艦:降下と転身」
シュウたち一行の降下を確認すると、戦艦は転進して高度を上げる。無数の闇の怪物に集られ、さらに多数の怪物たちを引きつけながら上昇していく戦艦。
主砲にあたるビーム・キャノンが使用不能になり、艦長は総員に退艦命令を出す。けれど、艦橋の下士官たちは「全乗組員の意思」として命令拒否を伝える。
最終的に、艦長は、エネルギー伝達回路がいかれたビーム・キャノンをエネルギー・チャージ最大で暴発させて、集った怪物の群れもろともに艦を大破させる。地上では、“末裔の戦士”たちが、上空で爆散する火煙を見あげる。
このシーン、アップになる、シュウ、ロギ、デルフィニウムの表情が、それぞれにいい。もちろん表情の対比もいい。
ロギの「行くぞ」の言葉と共に、一行は歩き出すが、直後、闇の怪物数体に奇襲を受けてしまう。----
この“末裔の戦士”たち降下の前後から、戦艦の大破に至るシークエンスで、主に描かれるのは、戦艦搭乗員たちのローゼンクロイツへの忠誠心だ。艦長の言動に代表させるようにして、ロギに寄せる信頼感も描かれてるけど。アタシが観るところ、より重要なのは、ロギが唱える大儀への忠誠心も描かれてるように観えるとこ。ここポイントと思うな。
降下する前のロギに艦長は「行ってください。私のやるべき仕事は理解しているつもりです」って、言ってる。----
話が前後するけど、闇に突入してから、艦橋内の描写は、基本的に薄暗い色調で描かれる。艦橋にいるキャラたちの描写は、通例よりも肌の色味が青白いような印象が感じられる。これは多分、色調が暗く押さえられたことによる錯覚=印象だろうけど。これに下方からほのかなアップライトが充てられているような描写も加わる。クソリアリズムでは、このアップライトの描写は、艦橋に多数ある計器類の蛍光の反射なんだけど。
もっと別な演出効果も重ねられてる。薄暗い場所にいる青白い印象のキャラクターたちが、アップライトに照らされ、目の下に1段ほの暗い隈のような影を浮かべてる様子は、この世ならざる場所に佇む幽鬼のようだ。
この印象は、かなり意図的に反復されてる表現と思える。
何故かと言うと、戦艦が闇に突入する前の艦橋では観られないから。
それに、闇エリアの地上に降下したキャラクターたちも、蛍光を放つ人造の影に包まれ、青白い肌の印象で、目の下の1段ほの暗い隈のような影を浮かべてるし。
拡大する闇の中が、この世ならざる場所、強いて言えば冥界のような感じの異界であることが、隠し味のようにして感じられる持続表現になってる。----
ともあれ、事実上の特攻自爆に至る戦艦クルーのサブ・ストーリーは、抑制された感じとは言え、忠誠心の熱狂や高揚感が描写されてるのに、自分に酔ったような自己劇化も抑えられた感じになってて、いい。これは、結構微妙なバランス感覚の描写だ。
地上のキャラ、特にシュウやロギが、「この犠牲は無駄にはしない」的なセリフを口にしないところもいい。
「それぞれにやるべきことがある」から、今はそんなこと言ってる場合じゃないってことは、艦長がロギに語ったセリフを参照すれば、容易に察せられる。ただ、一連の出来事の受け止め方は、シュウとロギとの間でかなり違っているはずで、それはこの先の物語展開長期での見どころになってく。
この2人の言動の違いからうかがわれる思想(考え方)の違いは、続編『BLUE DRAGON 天界の七竜』にまで継続して描かれつづけ、物語の読みどころにもなってく。そのロギとシュウとの受け止めの違いは、それぞれのキャラの言動から読み解いてくべき事柄だけど。
『BLUE DRAGON』で、第47話までに積み重ねられてきたキャラ描写を踏まえるなら、シュウは多分「こんなのは嫌だ」的に感じてるだろうと思える。ロギはやっぱり「この犠牲は無駄にはしない」的に考えていそうな気はする。抑制されてはいても、忠誠心の熱狂や高揚感が描写され、他方、自分に酔ったような自己劇化も抑えられてるので、シュウの全否定はしないけど批判的ではあるような視線が、くっきりと印象づけられる。
物語の内容に深みのある濃くを加えてるシーンだ。
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◎「前進」
こうして、総勢10名(7人の“末裔の戦士”+デルフィニウム、シュナイダー、アンドロポフ)の一行は、拡大する闇エリアの中心地、封印の地に向かって進みはじめる。
突然、闇の内から湧き出してきたような怪物数体に襲いかかられるけど、これは、一行が使う影の力でなんなく撃退。
ただ、最初の奇襲の一撃が、デルフィニウムを貫きそうな際どい一撃だったけど。とっさにシュウがデルフィニウムを突き飛ばして、ことなきを得る。突き飛ばされたデルフィニウムにまず手を差し伸べてから「ここまで来れば、もう代わりはいない」と告げるシュウ。
「お礼は言わないわよ」と、シュウの手をとるデルフィニウム。
「それでいい」と、シュウ。この2人の様子をみてるシュウの仲間たちの表情がいい。みんな、それぞれにビックリしたような感じの表情だけど。それはそう、およそ、それまでのシュウらしくない言動だから。
ロギがもう1度「行くぞ」と告げると、一行は「封印の地」目指して進みだすのだった。
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◎「シュウの“変容”」
物語の展開を先取りすると、『BLUE DRAGON』の最終局面“闇の再封印”ストーリーの、さらにクライマックスで、シュウのキャラクター性は、さらに根本からの“変容”が描かれる。
それは、仲間のキャラにも敵対キャラにも「まるで別人」的に言われる“変容”で、普通言われるような「成長」とはかなり感じが違う。
俗に「キャラが化ける」とか「キャラが(一皮)剥ける」とかって感じではある。
第47話「闇の中へ」で描かれたシュウの“変容”の不思議な感じを、後から振り返ってみれば、多分、最終局面での大きな“変容”につながる、ホップ、ステップ、ジャンプの、最初のホップにあたる。
おそらく、シュウは、第47話で、物語を通じてはじめて、特定の人物に対する殺意を自覚した。戦艦内でデルフィニウムと対峙した場面でのことだ。憎しみや類縁の感情に強く彩られた殺人の意思は、それまでのシュウが知っていた例えば「ネネを倒す」「グランキングダムの横暴を止める」といった意思とは異質だ。
自分の内に生まれた殺意を自覚して、さほど長くない時間で、「ああ、それでいい」と、言ったシュウは、デルフィニウムに対する殺意を「抑制」してる感じではない。
「ああ、それでいい」と言うシュウのセリフの調子は、むしろ自分の憎しみや殺意など、どうでもいい些細なことのように感知してる心境の暗示、そんなふうにアタシには思える。
第47話「闇の中へ」で描かれたシュウの“変容”は、こうした心理体験の顕れでもあるだろう。この“変容”の内実は、普通よく言われる「成長」とは異質なもののはずだ。
その異質さが、もっとくっきり描きだされるのは、第49話「ゾラ」、第50話「絆」、最終第51話「シュウ」にかけて描かれる、『BLUE DRAGONN』の物語、最終局面でのことになる。
物語の展開を先取りすることになるけど。ここで、最終話にかけての「シュウの“変容”」の性質を、アタシなりの言い方で、要約的に言ってみよう。
それは「相対的な善悪にとらわれた状態」から「善悪の彼岸を視ても、それでも何かへの『信』を手放さない状態」への“変容”だ。
例えば、ロギが唱える「新秩序」は、「相対的な善悪」の範疇内にある。デルフィニウムが何をみてるのかは、アタシにはまだよくわかんないけど、デスロイが目指してるもの、ネネを利用して目指してた「世界征服」も「相対的な善悪」の範疇内のものと思える。
これだけの要約では、抽象的にすぎると思えるかもしれないけれど。
例えば、作中で交叉する『はじまりの書』の神話と、「エクストラセブン」の神話それぞれの解釈(作中解釈)の錯綜した関係を、さらに作品外から解釈すると、やっぱり、上に整理したように言えると思える。
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