何故「優しいドラマ」が私は嫌いなのか 2.0
おいおいどんだけ時間空いてるんだよという突っ込みを自分でいれずにはおけないほど間が空いてしまいました。申し訳ない。まるでどっかの作家か漫画家みたいです。そんなえらいもんじゃないですけど。
雑談はさておき、何故優しいドラマが嫌いなのか?の、「優しいドラマって何よ?」からよーやく「何故嫌いなのか」について書く段階になったようです。(前回までの不完全さはさておいて)
ですが、ここで正直、当初書こうとした内容をそのままにすべきか、自分の心の中で迷っているのです。時間が空いたのも幾分かはその迷いのせいであったりします。
当初書こうとした内容のものはかなり「個人的趣味」の要素が強く、私の好みを主張・押し付けるものに近くなってしまいます。勿論最終的にどんな主張も自分の好みではあるのですが、なるべくなら、他の人にとっても共通する、理論的に納得できるものでありたい、大げさに言えば誰にでも当てはまる真実でありたいと願っちゃったりしてしまうのです。(そしてそのせいで、色々問題が起きたりもするのです)
とまれ、そこらへんの整理がつくようなつかないような状態ではありますが、個人的な意見としての「嫌い」を述べつつ、なるべくそれが理解していただけるように努力していきたいと思います。
さて、今までの文章で「宗教とは大衆にとってのアヘンである」という言葉の紹介、及び「宗教」→「優しいドラマ」でも成り立つのではないかという意見を述べてきたところがあるのですが、まあ「嫌い」な理由の源泉は、ここにあるわけです。
優しいドラマというのが「現実では実現がほぼ不可能な状況を仮想的に体験させることで現実に対する不満を解消する存在」だとすると、こりゃアヘンでもアルコールでも妄想でも、本質的に違いのないものなんじゃないでしょうか。で、当然優しいドラマも、それらが持つデメリットに近いものを含んでいるわけです。
仮にアヘンを例にとって。こいつについて考えてみるとしましょう。
まあ名前からくるマイナスイメージはさておき、具体的な効果といえば「現実社会から逃避できる」「常習性がある」「満足感・幸福感を与える」「身体的被害がある」てとこでしょうか。
このうち、「身体的被害」はドラマにはないのでパス。本読んでて身体壊すってのはまだ聞いたことありません。まあ目が悪くなるくらいのもんです。
「常習性」についても微妙。なくはないかもしれないんですが、かといって明確にあるともいえない。ので保留します。
問題なのはここから。「現実逃避」及び「満足・幸福感」の二点を与えるとゆーのが、やっぱり、問題ではないかなと。
極論承知でいっちゃえば、人間、不幸より幸福のほうが好きです。でも、現実というのは割と不幸のほうが多い。もしくは、不幸と感じてしまうことのほうが多い。だからこそ不幸を乗り越えて幸福を目指すわけなんですが、それはとってもリスキーなことなのです。少なくとも現実においては。
そこで登場するのが優しい物語。ほとんどノーリスクで幸福感を与え、同時に不幸の多い現実を一時忘れさせる。現実では何の特徴もない平凡な生活でも物語の中では勇者だし、一人ぼっちでも物語ではたくさんの仲間や大切な人ができます。
以前も言いましたが、別にこの点を悪いことだ!というわけではありません。というかそれをすると、結構な数のストレス発散行為が悪になってしまいます。ただ、24時間お酒を飲んでいるわけにはいかないように、優しいドラマばっかりでいるというのもいけないだろうとは思います。それはよーするに、「現実に対する逃避的なスタンス」をとってしまう状態になっているからなのです。
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