『楊家将』北方謙三 最強の軍閥、“楊不敗”と、その限界
『楊家将』という作品について知ったのは、田中芳樹さんのインタビュー記事だったかと思う。
随唐の時代が終わり、諸国分裂の時代を過ぎて、中国は宋という国家によって統一される。
しかし、宋は北方の金に国土の北半分を奪われ南に逃げる。そしてさらにモンゴル帝国によって滅ぼされ、征服されるのだ。
当時、そして後の中国の人にとって、この宋が滅びた時期というのは特別な思いがあるらしい。なぜ、偉大な漢民族の国家が、中華の帝国が、宋の時代以降、周囲の蛮族に脅かされるようになったのか。
もちろん、歴史をひもとけば当然の流れである部分も多々あるのだが、民衆レベルでの鬱屈した思いは、それをはね返すかのように優れた娯楽作品を生み出した。
『楊家将』もそのひとつである。ただ、これはいわゆる『水戸黄門』シリーズのようなもので、代表的なエピソードが京劇などの演目となり、広く知られるようになったもののようだ。一冊にまとめた『楊家将演義』という本もあるのだが、これはそれほど面白いものではないらしい。
さて、北方謙三さんが描く『楊家将』の面白さは、実際に読んでもらうとして――文庫で上下の2冊、決して時間とお金の損にはなりませぬ――歴史的、軍事的な視点から楊家と、そして不世出の英雄、楊業について見てみよう。
宋の国の成り立ちは、趙匡胤(ちょうきょういん)という後周国の将軍が、王の死後、軍事力を背景に国を乗っ取ったことからはじまる。趙匡胤は宋の太祖である。
つまり、宋の皇帝はそもそもが有力軍閥だったのである。
太祖そして弟の太宗は周辺諸国を次々と平らげて中華統一を成し遂げる。しかし、統一しただけでは、国家は安定しない。強大な唐が滅びたのも、地方の軍閥を押さえきれなかったからだ。
自身が軍閥出身である太祖は、軍閥の恐ろしさをよく知っていた。本人に野心がなくとも、力を持つ誰かが独立した行動権を握っていれば、そこに己の野心を預けて動く人間には事欠かない。
そうでなくとも軍閥のリーダーは親分肌である。部下の面倒見がよいと言うことは、部下の野心の影響も受けやすいと言うことだ。
後漢の有力軍閥である楊業は、西域に近く良馬を得る機会も多いので、騎馬隊が強い。あとがきで加藤徹先生がおっしゃるように、楊業自身も、トルコ系の血筋をひいているかもしれない。
異民族の血が混じり、新参の軍閥で、塩の取引による収入源も確保している。
そして、“楊不敗”と呼ばれるように戦には滅法強い。
粛正されないのが、不思議なくらいである。
歴史小説として北方謙三さんが描く楊業は、ひたすら軍人としての生き方を求める不器用な男として描かれる。私はその楊業をとても魅力的に思うと同時に、やはり、危険すぎる男だと思う。
ではなぜ、楊業が粛正されずに重用されたか。それは宋の太宗もまた、強い皇帝だったからだ。
アイザック・アシモフの『銀河帝国の興亡』の2巻『ファウンデーション対帝国』では、皇帝と将軍の強弱がファウンデーションに与える脅威についてこのように書かれている。
“強い皇帝”と“弱い将軍”
皇帝は自らの地位を守るが、外には攻め込めない。脅威にはならない。
“弱い皇帝”と“弱い将軍”
なにをか言わんや。脅威にはならない。
“弱い皇帝”と“強い将軍”
将軍は、外に武力を向けず皇帝を倒して自分が皇帝になる。脅威にはならない。
“強い皇帝”と“強い将軍”
将軍の目は外に向き、ファウンデーションにとっての脅威となる。けれど――強い皇帝が強いままでいるためには、いずれ将軍を処分することになる。
アシモフの脳裏にあったのは、ビザンチン帝国のユスティニアヌス皇帝と名将ベリサリオスの関係だろう。だが、こうした緊張関係は、洋の東西を問わずに存在する。
太宗にとって、北方の異民族国家、遼との戦いに楊業とその軍閥は必要不可欠であった。だが、彼らが戦功をあげればあげるほど、両者の緊張は高まる。いずれ、どちらかが、どちらかを処分せざるを得ないほどに。
史実では、そのような緊張は必要とされなかった。
宋と遼とでは、軍事力の運用能力に大きな差があり、宋はついに遼を打ち砕くことができなかったのである。
これは、宋や太宗という国家や、楊業という軍人の能力が劣っていたからではない。単純に、この時代の軍事技術では騎兵中心の軍隊が歩兵中心の軍隊よりも勝っていただけである。その格差はモンゴルの時代に頂点を迎え、遊牧民族の王朝がユーラシア大陸の過半を制圧するまでになる。
北方謙三さんの『楊家将』はフィクションであり、描かれた戦いはあくまで実際のものとは違う。だが、『楊家将』で騎兵のみの軍勢がおそるべき活躍をする部分、一番、あり得なさそうな部分は、実は当時の戦いにかなり近いのではないかと思う。
遊牧の生活によって生まれた騎兵の機動力を生かした攻撃は、鈍重な歩兵中心の軍の指揮統制に致命的な損害を与えたと思えるからだ。
楊業がもし、もっと自由な裁量権を与えられた場合。楊家軍は間違いなく、騎兵中心の軍勢に再編成されただろう。新生楊家軍の中には数多くのトルコ系、そしてモンゴル系の戦士たちがその生活風習と共に入り込んだはずだ。新生楊家軍はやがて遼を打ち砕いたかもしれない。
いずれ楊家軍は、軍閥を超えて国家の中の国家にまで拡大する。そうしなければ、遼との戦争に勝てないからだ。
だが、それは宋にとっては看過できるものではなく。
かといって、部下を捨てることができるような男が、楊家軍を指揮できるはずもない。
いずれ、両者は対立し、どちらかが滅びるまで戦うことになったろう。
そして勝者が当時の軍事技術格差によって楊家軍となれば。
トルコ、モンゴル系の異民族国家によって征服王朝が生まれることになる。
『楊家将』という物語がなぜ生まれたかを考えれば、これはまた、えらく皮肉な歴史の展開である。


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