あなたのための物語
こんなタイトルを前にしたら、
「つまりこれは……「私」のための物語って言いたいわけ? ふーん……じゃあ、もし私のための物語じゃなかったら、文句言ってもいいってわけ?」
と、無駄に挑発的な態度で読書にのぞむことって、よくありますよね。
え? 私だけ? そんな……
という前置きは、おいといて。
「あなたのための物語」 早川書房 (2009/08) 長谷 敏司 (著)
この物語が、本を手に取った、すべての人のための物語であることを願いつつ。以下はネタバレを含みます。
*****
物語冒頭、女主人公のサマンサは、病の発作に、もだえ苦しみます。
その描写があまりにすさまじいので、この本に「合わない」人は、この時点で読むのをやめるでしょう。残った読者は、サマンサがたどる運命の半分以上を、冒頭ですでに予知し、受け入れる覚悟のある人ばかりです。
そして終盤、その覚悟をはるかに超えた残酷で厳しい現実に、「あなた」は向き合うことになるのです。
時代は21世紀末。この物語には「wanna be(なりたい)」という笑えない名の、《創造試験体(広義のロボット)》が登場します。
科学者であるサマンサが作りあげた「wanna be」は、小説を書くことによって、その創造性を検証される、ただの「道具」。
サマンサと「wanna be」との関係は、以下のサマンサの発言通り。
>「《あなた》は、ITPという言葉【プロトコル】で記述された構造体よ。ITP自体が意味を持つのではなく、ただの情報を記述するための言語なの。これに意味を見いだすのも、目的をもって記述をつくるのも、使用者が選択すること。そして“使用者”はわたしよ」
ITPとは、脳内のイメージ(image)を直接伝達する(transfer)言語(protocol)のこと。
ざっと、そんな世界観の中、サマンサは成功者として誇らしげに、目覚めたばかりの「wanna be」の前に現れた。
しかし間もなくサマンサは、突然の発作に襲われ、恐ろしい不治の病で余命半年がせいぜいだと医師に告げられる。
サマンサは悔しい。
科学者としてそれなりの名声を得、自分の研究もあとちょっとで実用化というところにまでこぎつけている。
なのにどうして自分だけが、こんな正体不明の病に侵されなければならないのか。
理不尽だ。
こんなことで負けたくない。
働いていることだけが生の証だったのに、むしばまれゆく体は、サマンサの自由を、権利を、すべてのものを奪っていく……!
プライドの高いサマンサは、逃れられない死の恐怖や、声も出せないほどの発作の痛みにのたうちまわる自分の姿を誰にも見せたくはないけれど、人間ではない「wanna be」の前では醜態をさらす。
その光景からいろいろなことを学び取る「wanna be」は、サマンサとは対照的に、どんどん人間らしさを獲得していく。
「wanna be」の存在理由は「人間が読んで満足できる小説」を書くことにある。最初は手に取るにも値しないものしか書けなかった「wanna be」の物語は、サマンサだけが観察対象であるがゆえに当然サマンサ一色に染められながらも、次第に人間にとって意味あるものへと変化していく。
このあたり、小説を書くには人間観察が怠れない、ということを著者は言いたかったのかどうか、他にも小説に対する著者の哲学めいた考えが読み取れて、「もの書く人」にとっては興味深い内容となっています。
そういうことで、この物語では、「wanna be」がどのようにして「人間が読んで満足する」小説を書くための学習をしていくのかに、ある程度の字数が割かれている。
全体的に閉塞感とやりきれなさが紙面を埋める中、この題材だけが少しの明るさを提供してくれるから、
数々の失敗作を積み重ね、それでもサマンサの役に立ちたいがために物語を書き続ける「wanna be」は、最後にはきっと、サマンサが満足できる物語を書くんだろうなという期待へと、ごく自然に繋がっていく。
だけどサマンサのジレンマは、ストレスは、そして肉体の衰えは、焦りは絶望は、束の間にも解消されることはない。
そして物語の中盤、169ページ。
母親との確執が原因で、自分が不治の病で余命少ない身であることをなかなか告げられなかったサマンサが、ついにその事実を告げるため、田舎に里帰りしたときのこと。
自分の娘に、なんとか心安らかな死を迎えさせようと忠言してくる母親に、彼女はこんなふうに強情を張る。
>「それはママのための物語で、わたしのための物語じゃないわ」
この台詞で、「あなた」は思い出すのです。
そうだ、これは「私のための物語」であるはずなのだ。
でも、こんな調子で、どこに救いが待っているのか。
「wanna be」と、心が通い合う?
でも、それだけでは、とても「私のための物語」とは思えない……
あとはひたすら、葛藤につぐ激しい葛藤。
冒頭で覚悟を決めたはずの「あなた」も、どんどん崖っぷちに追い込まれていく。
病に体をむしばまれていくことをどうすることもできない無力感。
痛み。
すり減る生命。
その中で「生きる」ということの残酷さ、
未来を失った人間の、孤独。
孤独な人間が人と関わる、その煩わしさ。
でも、その煩わしさが、いとおしい……
病に伏す以前から、「あなた」は傲慢で強情、恥知らずな、冷たいエゴイストです。
自分勝手な理論をふりかざし、おのれの要求を主張するばかりで、他人の立場を思いやったり人の気持ちを慮るなどということに、何一つ意味を見出せない。
ただただ自分がかわいくて、自分の道理だけを通そうとする……
そしてついに、物語は、重大な局面を迎えます。
この物語は「あなた」に、そんな醜い自分の姿を、正視せよと迫ってきたのです。
夢でも幻でもない、正真正銘の、数ヶ月前の、自分自身。
ここがこの話の、じつに巧みなところです。
科学者であるサマンサは、科学的な手法で、「あなた」に「あなた」を邂逅させた。
「あなた」はその存在を、心底うとましく感じるでしょう。
なのに驚くべきことに、「あなた」は、物語が要求してきたその試練を、自らすすんで引き受けた。
>サマンサは逃げ場を探し続けてここまできた。それが、オレゴンの実家で著作権切れの物語を読んでいたころからの、彼女そのものであった。
そんな「あなた」だったから、逃げようと思えばいくらでも逃げられたのに。
なぜ、「あなた」は、そんな勇気を持てたのか。
それは。
──彼女は不快な場所からずっと逃げ続けてきた。だが、自分の肉体だけからは逃れられない。
ここまで物語を読み続けてきた「あなた」には、もうこの時点で、この言葉の持つ「意味」が、いやというほど理解できるようになっていたから。
その「意味」を説明するために、著者にとっては二段組みレイアウトで301ページに及ぶ、長い「物語」が必要だった。
そして最後、劇的な変化をとげた「あなた」は、自分との対決を終えて、心の底から「ほっ」とする。
自分を愛すことができなかった「あなた」は醜い自分を受け入れ、認め、さらに許し、生まれてはじめて、愛を知った。
もう大丈夫。
もう迷わずにすむ。
これまで休むことなく走り続けてきた「あなた」は、やっと桃源郷を手に入れたかに見えた。
それなのに──。
白いページの真ん中に、ポツンと置き去りにされた、最後の一行。
「あなた」は、最後のこの一行に打ちのめされる。
──これはいったい、どういうことなのだ。
愕然と、言葉を失い、
空白の時間を無為にすごした「あなた」は、
やがて気づく。
ああ、
これが。
「wanna be」の言っていた、
「言語から解放される一瞬」なのか。
……(そしてめくるめく陶酔のとき)……
忘我の果て、さらに時間が経過すると、「あなた」は今度は、苦い思いとともに、少しの後悔をするかもしれない。
私はまたもや、大きな「業」を一つ、みずから背負い込んでしまったのではないか、と。
そして再び思い出す。
この物語は、本当に「私のための物語」だったのか、どうか。
その検証作業に入った「あなたのため」だけに、
あなたがいま経験したばかりの物語は、
一つ、また一つと、心に温かな愛の記憶を、よみがえらせてくれる。
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