「物質」から「生命」へ ― 20世紀科学史の転換と日本

「物質」から「生命」へ ― 20世紀科学史の転換と日本



「物質」から「生命」へ ― 20世紀科学史の転換と日本 学研教育出版 鈴木理:著

 よほど注意深く情報を追わない限り、生命、遺伝子、脳科学、それらすべてを含む科学の問題を、私たち専門外の人間が正しく理解するのは難しい。
 デリケートな要素を含むこれらの問題は、現状わかっていることとわかっていないこととの線引きが非常に曖昧なまま流布されていると感じるけれど、それは単なる勉強不足と言われればそれまでのこと。
 たまにはこういう本をひもといて、科学に関する体系的な理解を深めていく必要性も感じていますが、義務だけで読めるものでも、ないだろうし。

 この本の主題となる「生命とはなにか」──これはシュレディンガーの著書『生命とはなにか、物理的にみた生細胞』の主題でもありますが──に、興味と憧れを持つ人であれば、たとえ科学オンチでも、つまずいたり調べたりしながらなんとか本書を読み通し、自分なりの理解を得ることができるかもしれない。
 あるいは豊富に用意された写真や図解、関連書籍や映画の紹介を見て、この世界にはまる人もいるかもしれない。

 『大人の科学マガジン』に連載されたシリーズ「生命情報科学の源流」をまとめたこの本は、読者が楽しめるように広く科学を論じたと、著者あとがきにありました。

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>この歴史は物理学から生命科学への転換の過程を明らかにする。そしてこの物語は、日本を中心としながらも、しかし欧米の状況を背景に捉えて進行するのである

 という前置きにあるとおり、アインシュタインの来日からはじまるこの物語は、科学が戦争とともに飛躍的な技術革新を成し遂げていった過程、その中でどのようにDNAの立体構造が発見され、どのように解析されていったのか、などが丁寧に描かれている。

 具体的には「DNAによるX線回折」、「暗号解読のノウハウから生まれた、タンパク質立体構造を計算するための機械」などが生命科学の解明に直接貢献することになった技術だけれど、その他にもレーダー、酸素魚雷、大サイクロトロン建設、そして戦艦大和の射撃盤にも触れられており、

>上下左右に揺れながら高速で移動する戦艦が同様に運動する敵艦をねらって砲撃することは、ピストルを片手に標的をねらうのとは全くわけがちがう。精密な計測とともに、複雑な計算が必要。大和クラスの主砲ともなると、地球の自転まで考慮する必要があった。弾道を計算し主砲を制御する「射撃盤」は、一種のコンピューター。

 ……と、話は逸れましたが、
 そんなこんなで終戦を迎えたのち、湯川博士が日本人初のノーベル賞を受賞するという快挙に浴したのが1949年、
 ワトソンクリックの二人組がDNAの二重らせん構造を発見したのが1953年。この発見は科学界を大きく転換させる一大事件としてセンセーショナルに報道された。
 アインシュタインが来日した日から数えて、その間、三十年余り。

 その後人類は、生命の謎をどこまで明らかにできたのか。
 そこには、たいへんな問題が待ち受けていた。 

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>「(遺伝子の問題が解決したとしても)もっとたいへんな問題が残っている。精神だよ。原子の集まりである物質からどうやって精神が生ずるのかね?」──デルブリュック(ワトソンの師)
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 その予言を受けるように、

>野田春彦は言う。「戦後の焼け跡の頃に比べると、宇宙とその物質的基礎に関する理解は飛躍的に増加した。一方、“生命とはなにか”という理解はほとんど進んでいない。1953年[昭和28年]ごろ、タンパク質の立体構造が決まって、遺伝子配列が全部わかれば、生命の基本メカニズムはわかると思っていた。二つともわかった今になって、“それじゃあダメだ”と言われている」。

>人間を含めた生命界の外には情報と呼べるものは存在しない。そして、工学の産物を含めて生命界に見られるほどの高度な構造は他には見当たらないのだから。そして、このような構造と情報から距離を置くことによって物理学は成立しているのである。

 つまり現状、物理学は「構造」と「情報」という大きな壁にはばまれて、新しい物理法則をあみだせずにいるという。

>物理学者ですら、情報を語るためには生命現象に立ち入らなければならない。この事実に、二十一世紀の情報理論の構築を目指すべき生命科学の使命が示されている。(p188「遺伝子は遊戯する」という本の紹介文より)

 なにがそんなに問題であって、どうすればその問題は解決できるのか。
 本書では「時の矢」「マクスウェルの悪魔」「熱力学的エントロピーと情報論的エントロピー」などの例をあげて、さまざまな矛盾について考える。そして最後、
 
「生命とは判定不能生を積極的に活用することにより成立しているのかもしれない。」
 という著者の考えに基づいて、

>生命を理解するために創生されるべきものは、自己完結的な情報システムを理解するための二十一世紀の新理論である。自己完結的な情報システムの解明こそを、生命情報科学は目指すべきだ。

 それが最も急がれ、もっとも重要な課題なのだと、未来への示唆と期待をこめて、この問題には一旦、幕が下ろされる。
 それは「生命とはなにかという分野に踏みこまざるをえなかった科学の歴史」とも言い換えるられるかもしれない。

 難しいことはわからない。だけど第二次大戦時代に急速に発達した科学はいま、「生命」という問題の前に、さらなる発想の転換を求められている。それは哲学者や宗教家が大昔から取り組んできた「精神や魂」の問題であり、兵器や精密機器などとはちがって誰もが身近に関心を持っている「人体」「心」の問題でもある。

 科学はどこまで生命に迫れるのか。
 そしてその果てに人々はなにを成しとげられるのか。

 私たちは、科学でまだ解明されていないその分野で、思いつく限りのアイディアを提言することができる。
 想像と創造の翼を広げ、限りない可能性を信じる余地も残されている。

 そんなことを考えつつ読み終えたいま、本書は、科学の今後の進展が楽しみとなる一冊だったと言えるでしょう。

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