鈍色で深い川(「彼女がおかゆを作りに来る」競作)

鈍色で深い川
(「彼女がおかゆを作りに来る」競作)

鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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 鈍い色に淀む水路の縁に、敷地がはみ出しそうな安アパート。脇の階段を、フェイク・ファー・コートの人影が上っていく。コートの背で、ヒールの音に併せて茶髪がゆれる。深いスリットを出入りする脚の横で、コンビ二の袋も揺れていた。

 ひんやり湿ったモルタル壁のインター・フォンを、紅い爪が押す。
 湿気たようなチャイム音の後、接続ノイズがすると、“山崎です”しゃがれ声が聞こえた。

「悠希だよ。遅くなって、悪かった」かすれたような声が応じる。

 金属音がして、細く眉を剃った少年がドアを開けた。「うっす」
 軽くうなづいた悠希が、コンビニ袋を手渡す。

 チェーンを掛けてやって、振り返ると、山崎が、白い特攻服で後ろ手を組み、直立していた。
「悠希さん。お久ぶりッす」腰から上半身を折る姿に、悠希は、ヒールを脱ぎながら苦笑。少年の足元に置かれた袋を拾い上げ、微笑みかけた。

「風邪なんだろ、4代め。楽な格好で、寝てていいのに」
「2代め特攻隊長に見舞ってもらって、んな無礼、できないッス」いいから、と、少年を奥に押しやる。

 流しで袋の中身を整理した悠希が、飲み物を選ってから移った部屋には、窓から朱色が注いでいた。
 山崎は、特攻服のまま、ビール・ケースを組んだ寝台の端に座ってる。

 壁に止められた“愚礼怒”の大旗。隅が、朱色に染め分けられた族旗の周りに、雑然と貼られてる写真。無数の写真は、色褪せて見えていた。

「何、しゃちほこばってんのさ。総長」悠希は、床に転がる雑多な物をよけながら、スポーツ・ドリンクの缶を手渡す。大股開きで座ってる少年の前あたりで、壁に背を預けると、自分はビール缶のプル・トップを引いて、掲げて見せた。

「あの。……、快気祝いは、言わせてもらいます」チャイナ・ドレスの裾を整えながら、横座りする様子から、目をそらしたままだ。悠希は、含みには構わず、微笑んだ。

「こないだ、レディースの連中も祝ってくれた。名誉OGだってさ。赤飯出しやがんの」
「悠希さん、おちょくられてんじゃないッスか」焼いた針のような視線。

 受け止めた微笑に、淡い陰が射していた。
「さぁね。あいつらなりに、呑みこもうとしてくれてる、と思ってるよ。おもしろがってる奴もいたけどね」

「自分も、納得したわけじゃないッスけど。大変だったくらいは、わかりますから」口を尖らせる少年の視線を、悠希は、おちついて受け止めている。

「元特攻隊長が、とうとう男じゃなくなった。今までも、女の格好してたけど、ちんぽまで切っちまった、ってか。
 呑み込めないでいるのは、お前だけじゃないんだろ。聞こえてるよ」空けたビール缶を片手に、まあ、気長に行くさ、と、腰を上げた。

 流しで食器を手早く洗いながら、「お粥、作ってやるから、寝てなって」と、声をかける。
 冷蔵庫に収めた食材を取り出すと、出汁を用意しながら、白米パックを片手鍋の脇に置いた。葱や漬物を刻んで、鮭の塩焼きを小皿にほぐしはじめた頃、悠希はボツボツ話しだした。

 勤め先じゃぁ、特攻はないけどさ。ヤっくんやポリが来たら、最初の担当ってことになってんの。

 店に迷惑かけない知恵は、つけちまったけどね。捌いて、上に取り次いだり、お引取りいただいたり、とかさ。

 気づいたら、そんな役回りに収まってんの、と、丼やら小皿やらを載せた盆を持ちあげたとき、背後から声がかけられた。

「なんの話ッスか、それ」
 盆を持ったまま、ゆっくり振り返ると、敷居のところに山崎が立っている。

「女になっても、あたしは、あたし、って話だよ」
「信じられんね」ザラついた声と共に突き出された腕が、食器の上で左胸を掴んだ。

「バッカやろッ!」跳ね上げた盆を、顔面に叩きつける。膝もぶち込んだ。飛び掛って仰向けに押し倒す。揺れた引き戸が音を立てた。

 茶髪を乱した悠希が、馬乗りで特攻服の襟を締め上げてる。

「なんのマネだッ!! 言ってみろ!」
「あんたが、女だってゴネるなら、確かめてやる」歯軋りするように毒づく山崎。眉を顰めた悠希は、のけぞると勢いを込めた額を叩きつけた。

 両襟を片手で掴みなおすと、もう一度締め上げた。馬乗りのまま、頭を引き寄せる。

「舐めてんじゃねぇよ」鼻先が触れ合うような距離で、悠希がねめつける。長い髪が山崎に触れていた。
「ほいほい股開くほど、安かねぇッ!」後頭部を床に叩きつけざま立ち上がると、族旗に指をつきつける。

「山崎っ!! てめ、総長だろ! ツッコミ禁止! ウリ禁止! 愚礼怒は、いつから変わったッ!!」

 怒鳴りつける悠希を見ていた山崎は、ゆっくり両膝をつき、両手をついた。大股開きで立つチャイナの相手に土下座して、腹の底から声を出す。

「すみませんでしたッ!」暗くなった室内で顔を上げた山崎の瞳が、蒼白い。

「オレ、……オレ、今から、2代目特攻隊長は、死んだと思いますッ! OGの悠希姉さんができたと思うッス!」どうかっ、許してくださいっ、と、床に額を擦り付ける。

 山崎の土下座を見下ろしながら、悠希は、大きく息を吸った。ゆっくりと、かがみ込んでいく。
 肩を押し、顔を上げさせたときには、唇の端をあげていた。指先で、額を小突く。

「頭固いよね、おまえは。だから、4代め任されたんだけどさ」どこからか、コロッケの匂いがただよってきていた。

「いいかい。女にやらせてもらいたかったら、手順ってもんがあんだろ」からかうように続けると、あたりから、食器を広い集める。

「手順とってきても、お前には、絶対、やらせてやんね」笑いながら、流しに戻っていった。

「明かり、つけてくれよ」悠希が、新しく作り直した食事を持って来ても、山崎は暗い中で正座を続けていた。

 苦笑しながら、隅にあったビール・ケースを、ストッキングの脚で押し出す。散らかったままの粥を踏んでも、構わずに、盆をケースの背に置いた。

「ほら、食いなって」うすっ、いただきます、と、肩を丸めた山崎がボソボソ食事を始めた。

「窓、開けても平気かい?」「うすっ」

 細めに開けた窓枠に腰掛て、悠希は煙草を吸い始めた。鈍い色の水路が、暗く淀んでいる。

「あの、悠希……姉さん……。さっき、オレが言っちまったこと……」

 ん? と首を傾げて促す様子に、山崎は言葉を継いだ。

「あの……、悠希さんが、死んだと思うとか……」

 あぁ……、と、深く吸った煙草を窓の外に吹き出してから、悠希は振り向いた。

「あたしも、それで呑み込む。でも……、お前が相手のことなんだよ」

 うすッ、と返事した山崎は、食事を続けた。わかる? と言う言葉は呑み込みんでいた悠希は、水の音を聞きながら、後輩の背中を見つめていた。

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備考=えー、競作のレギュレーションのこと。
山崎君は、1人暮らしですけど、両親は海外出張ではないと思います。高校の学籍は、辛うじてまだあるってことで。
悠希さんは、女になったとこですけど。別に山崎君の彼女ではないですねぃ(困笑)。

この作品をベースに、発展させた「エピソード・メモ:悠希と愚礼怒」を公開(2007年4月21日)。作者としては、別作品としていきたいと思っています。

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