『決定版太平洋戦争7』追いつめられ、決戦を求める日本軍

 副題は「比島決戦」。戦場は再びフィリピンに戻る。
 戦前のフィリピン経済は、モノカルチャー経済だった。輸出用の工業原料である砂糖とマニラ麻だけを集中的に生産し、衣類や食料は輸入に頼っていた。
 そしてフィリピンを占領した日本は、フィリピン経済を支えるだけの余剰生産力を持っていなかった。フィリピンのモノカルチャー経済は破綻し、フィリピンの景気は悪化する。
 景気を悪くする支配者が好かれるはずもなく、フィリピンでは日本の人気は悪く、治安も悪化したのはこれは仕方がない。
 これは日本がそれまでのフィリピン経済を支配していたアメリカに比べて良い悪いの問題ではなく、統治能力のあるなしの問題である。

 サイパンが陥落し、絶対国防圏が崩壊した日本は、誰にとっても「負け」が確定となった。
 そして、その時点で日本軍がひたすら「決戦」を志向したことについて、私はゲーマーとして大いに納得と共感を持つものである。
 かつてあるゲーマーは言った。

「ワシは自分が勝てんなら、相手も勝たせてやらんのじゃ」

 根性ババ色であるが、ゲーマーとは常に、次の戦いを意識するものである。「与しやすい」と嘗められては、次の戦いにも悪影響がある。ならば、負ける時も、意地汚く戦って相手を苦しめるべきなのだ。

 これと同様に、史実の日本軍もこの戦争が敗北で終わる前に、少しでも連合国を苦しめてやろうと考えたのではないかと思う。そして「決戦」は当時の日本軍が考え得る、ほぼ唯一の連合国を苦しめる手段だった。
 「決戦」で少しでも損害を与え、可能であれば面子も奪う。
 「捷号」作戦はそうした思考の流れから生まれたものだろうと思う。

 だが、実際には「捷号」作戦は連合国=アメリカ軍を苦しめる役にはあまりたたなかった。「捷号」作戦は主に日本軍将兵を苦しめることになったのである。

 その理由は、やはり「決戦」を求めたからだと思う。凡百の戦いではなく「決戦」であるからには、少しでも有利に戦いたい気持ちは分かる。だが、そんな贅沢を言えないほど追いつめられているのが1944年の日本なのだ。
 存在しない有利な状況を求めた結果、日本はこの期に及んでさらなる錯誤を重ねる。敵の動きを見誤り、味方の戦果を見誤る。

 終戦まで少しでもアメリカ軍を苦しめ、スケジュールを遅らせたいという日本軍の目的は可であっても、その手段として「決戦」を選んだのは不可であった。
 この時点で日本軍が選ぶべき戦略は、不利でも諦めずに執念深く戦うゲリラの戦略だった。それのみが、アメリカ軍を苦しめ、損害を与える戦略だったからだ。
 実際、日本の戦争指導が崩壊し、現地部隊が自力で何とかするようになると、なし崩し的にそのような展開になってくる。硫黄島とか。沖縄とか。

 結局のところ、日本は敗北が確定したこの時点でも、「決戦」という幻想にすがり現実を見なかった。私は、これもまた無理からぬことであろうと思う。
 現実を見据えても、ロクな未来につながらない時、人や組織からはモラルが失われていく。「もうダメだ」となった時に「でも頑張ろう」なんて言える人や組織はきわめて希少だ。「もうダメだ」となれば、「どうにでもな~れ~」となるものである。他人のことはどうでも良くなり、自分のことしか考えなくなる。
 片岡徹也先生の『レイテの提督群像』の記事では、レイテ海戦に参加した提督たちがバラバラで組織としてコミュニケーション不全となっていた様子が描かれているが、レイテのような状況では、そうなるしかなかったろう、とも思う。

 それがイヤだ、許せない――人は限界にあっても諦めずに正しく判断し行動すべきだというのは。
 己がかくありたい、というのであれば尊重もするが、他人もそうであるべきだ、というのは。

 それこそ、現実を見ない判断であろうと私は思う。

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