白い猫と赤い糸。 (多分)草稿

 オフィスビル群の中、切り取られたように青々とした木々に囲まれた公園。
 そこは人気こそ少ないものの、入れ替わり立ち代わり誰かしらが訪れ、人が途切れることはあまりない。
 梅雨切れ間、久々の快晴をみせた日曜日。
 早めのお昼を済ませ、公園から出て行くOLたち。
 それと入れ替わるように一人の女の子がやってきた。

「こんな天気のいい日に塾にこもって勉強したって、身体に悪いだけよね」
 なんてもっともらしいイイワケを済ませると、日知香は木陰のベンチに座ってお弁当を広げ始めた。
 白ご飯とだし巻き、里芋の煮っころがし、それに焼き鮭。
「ん~、いいにおい。お母さんわかってるぅ~♪」
 うら若き女子中学生のお昼としては"田舎臭い"という向きもあるかもしれないが、日知香にとっては大好物のオンパレードである。
「おだしが効いてておいしいよぅ」
 おいしいご飯は、人を幸せな気分にさせるものだ。

 ――あーあ。これで一緒にいてくれる彼氏がいれば、サイコーなのになぁ。

「ちーちゃんはカテキョの先生がイケメンでゲットするんだって息巻いてるし、ともちゃんは彼氏と勉強会デート……」

 ――あたし一人だけ塾の日曜特訓コースだなんて、寂しすぎる。

「"ニッカもガンバレー"……って何の嫌味よ」

 日知香もこの春で中学3年。勉強が大事なのはわかってるつもりだ。
 だからといって"大事"というだけで勉強に集中できるほど、日知香は器用ではない。
 なにより、日知香も女の子なのだ。

「あーん、恋がしたいよぅ」

「にゃ~ん」
 日知香の、独り言というには大きな声に反応したのは、一匹の白い猫。
 赤い首輪をした猫は、日知香が座っているベンチから目と鼻の先。
 草むらの影に身を寄せるようにして、ジーッとこちらを見ている。

「あなたが、恋を運んでくれる白猫さん?」

 あまりのタイミングの良さに、思わず聞いてしまった。
 が、もちろん返事は無い。
 それでも、日知香も猫は好きなほうだ。
「白猫さん、こっちおいでよ」
 ひとまず弁当を横に置いて、手招きしつつ呼んでみるもウンともスンとも反応が無い。
 首輪をしているから、ちゃんと名前を呼ばないと来ないのかもしれない。
「それとも、夏も近いのに毛が長めだし……暑いから出たくないのかな」
 なおも2、3分続けてみるも成果がないので、気を取り直してお弁当に手を伸ばす日知香。

「遠い恋より目の前のご飯よね。焼き鮭さん、いただきまー……」
「にゃ~ん」

「……もしかして、白猫さんの狙いはこのお魚かな~?」
「にゃ~ん」

 ――この猫、もしかして言葉がわかるんじゃあ……?

「こ、このお魚は今日のお弁当の中でも一番好物で取っておいたんだから、だーめっ」

「……にゃ~ん」
 少し間をおいて、ひと鳴き。
 まだ日知香の方を向いているから、諦めたわけでもなさそうだ。

「駄目なものはダメよ。そりゃ、もし白猫さんが本当に恋を運んできてくれたなら、お礼にあげても……」
「にゃ~ん」

 ――やっぱり、人間の言葉がわかるのかもしれない。

 結局。

「少しだけだからね」
 猫相手に意地になってもしょうがないし、本当にお腹を空かせていたとしたら可哀想だ。
 日知香は焼き鮭を少しほぐすと、猫と自分の丁度間くらいに置いてやる。
 まってました、とばかりに日なたに出てきた白猫を見れば、首輪から赤いリードが伸びていた。

 ――リードで縛り付けられてる?

 日知香はつい、自分をみているかのような錯覚に陥ってしまう。

 ――猫は"自由"の象徴なのに。

「キミも捕らわれの身なの? 白猫くん……」
 そんな言葉が口をついて出た。

「にゃ~ん」
 相変わらずの鳴き声に、ハッとさせられる。

 ――今のが質問の答え?

 日知香がやっとボンヤリ思考を振りほどいて良く見れば。
 鮭のほぐし身は綺麗サッパリなくなっていた。

 今の鳴き声は猫なりのお礼だったのか? おかわりの催促だろうか?

「少しだけっていったでしょっ!」
 日知香の声は少しばかり大声になってしまっていた。

「ニッカ! なにしてんだっ!」
「ご、ごめんなさい!」

 だから、大声で"名前"を呼ばれた日知香が、後先考えずに謝ってしまったのは仕方の無いことで。

「えっ?!」

 "飼い猫"の不作法を叱ったはずが、見知らぬ女の子に突然謝られた彼が、驚いてしまったのも仕方の無いことだろう。
 日知香と、彼女と同年代だろう男の子。

「「……あんた、誰?」」

 数瞬の間を置いてやっと発した二人の声は、綺麗にそろった。
 こうなると逆にタイミングが難しいもので、お互い中々話を切り出すことが出来ない。

「にゃ~ん」
 "自分は無関係"とばかりにのんきに鳴いている、猫。
 猫を見る二人の目つきも、つい険しくなってしまう。

 やがて何か気づいたのだろう。男の子は白猫を抱え上げて、一言。
「俺は、水上丈二。"ニッカ"の世話係。あんたは?」

 そういいながら、丈二は右手に巻かれた赤い紐を見せ付ける。
 紐の端は地面へと続き、目で追うのも面倒なほどの絡まりの先で、丈二が抱える猫の首輪へと繋がっていた。

「"ニッカ"ってその白猫くんの名前?」
 そう問いかける日知香の声音は、少し冷たかった。

「そうだよ。…………ニッカウヰスキーの"ニッカ"。あんたは?」
 答える声は、とてもゆっくりで。
 丈二も戸惑っているのがわかる。

 日知香はといえば、さっきから浮き沈みが激しい気分の中、今日一番の引き潮が来ていた。

 ――猫にリード、ウィスキー、……"ニッカ"。なんか全部気に喰わないっ。

「酒も飲めないのにウィスキーって、ばっかじゃないの?」
「こいつの命名、叔父貴。こいつは叔父貴の猫……なんだけど、叔父貴がまるきりほったらかしなんで俺がかわりにやってる」

 日知香のささくれた言葉に、「答え」が返ってきた。
 そのことに驚いて丈二の顔をのぞくと、不安そうな顔で日知香の顔をみている。

 ――言い方こそぶっきらぼうだけど、悪い奴ではないのかもしれない。

「俺の言い方で誤解してたら悪いことしたね。で、良ければ聞きたいんだけど。なんで俺に謝ってきたんだ?」

 "私もニッカって呼ばれてるから"。
 その一言が、日知香には言えずにいた。

「……」

 ゴロゴロゴロ……。
 唐突すぎて。日知香は最初、猫だと気づかなかった。

 ゴロゴロゴロ……。
 白猫は、やっぱり空気なんてお構いなしに龍之介の腕の中で気持ちよさそうにしている。

 ――そっか。白猫くんは猫だもんね。
 ――誰とも繋がらずに生きるのが自由なら、誰かと繋がるのも自由。
 ――心地いいからそうしてるんだよね。

 日知香は急に笑いがこみ上げてきた。
 難しく考えすぎていた自分が、馬鹿らしくなったのかもしれない。

「私の名前も"ニッカ"。木下日知香。……あだ名なんだ」

 名前を告げた日知香の顔は笑っていた。
 それを聞いた丈二も笑っていた。

「……っていうか、なんで爆笑中?!」
 
 丈二は息も切れ切れに答える。
「いや、ニッカ、って、名前も、だけど。ニッカの、百面相、がっ……あははは……」
「だから爆笑するなーッ!」

 白猫くんが運んできた"出会い"が"恋"になるかはまだわからない。
 でも、きっと彼の隣は心地いい。
 そんな予感があった。

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