心の豊かさをHDDの中に求めれば、部屋なんて狭くても良い
数年前、ライトノベルを年間300冊以上読んでいた頃、いずれ本があふれるから広い部屋に引っ越す必要があるだろうと思っていた。
しかし、今は違う考えを持っている。それを簡潔に表現すると、日記のタイトルである「心の豊かさをHDDの中に求めれば、部屋なんて狭くても良い」という一文に集約される。
昨年からScanSnapを使って新しく買った同人誌は読んだら電子化して処分するようになった。さらに、今年の初めには100枚以上あった音楽CDのほとんどをリッピングして、パッケージを含めたメディア媒体は処分した。すると、部屋の空きスペースが少しだけ広くなり、その分HDDが少しだけ圧迫された。
現在使用している外付けデータ用HDD(500GB)は、USBパワーのポータブルタイプで、大きさは手のひらほどしかない。ざっと計算してみたら、これだけあれば自宅にある、一部屋丸々占拠しているすべてのライトノベル(およそ3000冊程度)をすべて保存できることがわかった。
もちろんデメリットはある。パソコンのモニタにしろ、電子書籍リーダーにしろ、長時間の読書には向いていない。
しかし、よく考えてみれば、ほとんどの本は一度読めばまったく読み返さないし、読み返すにしても全部通して読み返したりはほとんどしない。もともと通勤電車の中で読んでたりしたわけで、読書環境なんて少々劣悪でもまったく気にしない。
電子化された書籍は紙の本が持っていた魅力を失ってしまう、紙の手ざわりでページをめくらないと読んだ気にならないといったこだわりを持つ人もいるが、幸いなことに私はその手のことにはとんと無節操で優先順位はかなり低い。
本棚があふれ、積読があふれ、未開封の新刊があふれるにいたって、大量の蔵書を抱えることに自分は何を求めているのかを考えてみた。結論は「その気になれば読める状況にあること」だった。
パソコンや携帯電話を通じて表示して後から読み返すことが出来るのであれば、別に本という媒体にこだわる必要はない。データさえ残っていれば良いのだ。
データがあれば良いという考え方は一見無機質に思えるが、それは違う。一流の画家に心血を注いで描かれれば色のついた紙に過ぎない絵に魂が宿り、大小説家が情熱を込めて綴れば文字の羅列でしかない文章にロマンがあふれる。
しかし、その価値は紙切れそのものにあるわけではなく、クリエイターによって込められた形のない何かにある。デジタル化されたくらいでそれらは失われたりはしない。
形のない何かから価値を得られるかどうかは受け手の心構えによって決まる。私は、HDDの中のデータにもそれを求められるようになりたい。そうすれば、より豊かな精神的充足を手軽に得ることが出来るようになる。
「心の豊かさをHDDの中に求めれば、部屋なんて狭くても良い」とは、そういうことだ。
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