映画『あしたのジョー』の観所や面白さと不足感
曽利文彦監督映画『あしたのジョー』を、アタシは公開初日に劇場で楽しんできました。
楽しんできたけれど、この映画、アタシは惜しいと思う。
「熱血ボクシング映画」としては充分楽しい。けれど「あしたのジョーの物語」の映画版としては、惜しくも欠けてるものがある。
描き出された矢吹ジョーのキャラクター性に、惜しくもわずかに、けれど、決定的な不充分感が感じられる。
劇場で、上映直後に客席を出るとき、「面白かったね」と話してる若いカップルの会話が耳に入った。
うん、アタシも面白かったと思う。
けれど、「ロッキー」の映画とは違う面白さか? あるいは、『はじめの一歩』とは違う面白さが感じられたか?? つまり、「あしたのジョーの物語」でしかない面白さがどこまであったか?? みたいな面では、決定的に不足しているものが感じられる。
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ここで、アタシが言ってるのは、原作を忠実に映画化してない、的な指摘「ではない」。
むしろ、2011年って現在の時点で「あしたのジョーの物語」を再話しよう(語り直そう)って野心的な試みが、色々な面で果敢にチャレンジされた力作だと思える。
それだけに、今回の映画では、物語のエッセンスのようなものが、取りこぼされてしまったのは、とても惜しい。
もちろん、物語を変奏し、原作にあたるマンガで描かれた物語にアレンジを加えることは、構わない。
構わないし、曽利映画『あしたのジョー』のアレンジは、果敢なチャレンジだとも思います。
ただ、惜しいところはあった。
アレンジするのは構わないんだけど、もうちょっとだけ別のアプローチもあり得たかもしれません。
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◎矢吹ジョーのキャラクター性
例えば、今回の映画では、矢吹ジョーってキャラクターの、根無し草性が不足している。
主人公の矢吹ジョーは、1960年代の東京の山谷に取材されたスラム(ドヤ街)に身を寄せる風来坊だ。
そしてジョーは、ドヤ街の住民たちから、彼らの希望を体現するようなヒーローとして期待されていく。
ところで、原作にあたるマンガでは、矢吹は、ドヤ街に身を寄せた後でも、地域に今ひとつ収まりきれない。住民からの英雄視を嫌がるわけではないけれど、どうしても地域の人間関係に落ち着かない。落ち着くには、あまりに強く渇望感に掴まれたキャラクターとして描かれてる。
この、ごく自然な英雄視に馴染まないキャラクター性を、(マンガを踏まえながら)マンガよりもくっきりと描いた作品に、TVでオンエアされた連続アニメ『あしたのジョー2』(出﨑統演出作品、全47話)がある。
例えば、ドヤ街近くで営まれる八百屋の娘、紀子がジョーに面と向かって、何が楽しくてボクシングをするのか? と訊くやりとり。このやりとりでは、矢吹が「今、ここ」から手が届く身の回りの生活感には安住できない感じが、よく描かれている。「今、ここ」にはないものへの渇望に突き動かされてリングに立つ、立たないと収まらないのがジョーのキャラクター性なんだってことが、鮮やかに描かれてる。
ちなみに、今回の映画には、紀子も彼女の生家の八百屋も登場してない。
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曽利文彦監督映画『あしたのジョー』で描かれた矢吹ジョーに欠けているのは、身の回りの生活感に馴染めず、「あした」を求めるジョーの、ある種、虚無的とも呼べる渇望感だ。
もちろん、矢吹ジョーってキャラクターは、たんじゅんな意味での虚無主義者(ニヒリスト)ではない。
渇望感を満たそうと、身体的な充実感をリングに求めていく矢吹ジョーは、少なくとも受動的ニヒリストではない。けれど、ジョーが渇望する「あした」は、1つ1つの試合を勝ち、ステップアップして、いずれはチャンピオンに、とかの常識的な「明日」ではない。
かと言って、「俺より強い奴に会いに行く(戦いたい)」って、タイプの「明日」もジョーの求めるものではない。リングの上でだけ味わえる充実感をひたすら渇望するのがジョーであって、「そのために」強い対戦相手を必要としていくのが矢吹だ。この心理的なメカニズムの因果は、矢吹ジョーってキャラクターの内面では、決して逆じゃぁないはず。
リングの上だけで体験できる充実感を、ひたすら渇望してく矢吹ジョーってキャラクターは、本質的な意味で「刹那的」。
ジョーってキャラクターの、能動的なニヒリズムは、例えばアカギ(『闘牌伝説アカギ』)のそれに、とても近いものなのだわ。
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◎映画で描かれた矢吹ジョー
曽利映画で、矢吹ジョーを演じた山下智久さんは、よく、ジョーというキャラクターに喰いついていった。
特に、映画のクライマックスにあたる力石との公式戦で、いったんはボクシングの基本に立ち返って構えながら、結局は基本も捨て去っていく前後の演技がいい。
映画を観てきた直後に急いで書いた印象記でも触れたけど、力石との公式戦から、力石の死を挟んだ後、空っぽのリングを暗い観客席から独りでみつめるジョーってシーンに至る流れがこの映画のハイライトだ。この一連のシークエンスでの、山下ジョーは出色。
ここのところでは、「ああ、やっぱりこの映画は『あしたのジョーの物語』」と感じられる。
(はっきり書くと、ウルフ金串戦のとこなんかは、「シークエンスとしては」あまり「あしたのジョーの物語」的には感じられない。面白いんだけど別種のボクシングものでも感じられるような面白さ、なのよね)
トータルで、山下智久は、「あしたのジョー」の主役を演じるという任を、よく果たしてると思える。
では、映画の不足感はどこから生まれちゃったのか?
アタシが思うには、今、考察してる不足感は、主に、矢吹と“その他大勢”なキャラクターたちとの関わり方、その映画的演出から生まれてるのだと思える。
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言ってしまえば、映画では、モブの扱い方が、メインキャストと比べて、よくないのだわ。
エキストラの演技云々と言った面よりも、むしろ、監督や演出、及び、編集における、モブの使い方がよくないように思える。例えば、原作にあたるマンガでもアニメ版でも、根本的に根無し草であるジョーが、リングの外で、唯一と言っていいくらい馴染む相手に、ドヤ街の悪ガキ連中がいる。
曽利映画でも、ジョーは悪ガキ連には馴染んでる。それはいい。
ところで、この悪ガキ連中、餓えれば万引きも食い逃げもするような生活感が、逞しさといった感じで描かれてるのが「あしたのジョーの物語」だ。
マンガ家ちばてつやは、「人間は餓えれば盗みだってする」って、当たり前で雑草のような生命力を、決して否定しない作家性を持っている。それは例えば『おれは鉄平』や『のたり松太郎』といったちば作品を読めばわかることなのだわ。曽利映画で描かれた悪ガキ連やドヤ街の面々に決定的に不足してるのは、こうした雑草的で猥雑なまでの逞しさだ。
映画では、ドヤ街の面々にしても、うだつのあがらない感じばかりが一面的に強調され、うだつのあがらなさの「内に」伴った、雑草的で猥雑な明るさが欠けている。明るいシーンでは、小市民的にお行儀よくなっちゃってるのよ。
だから、映画の内では、リングで勝っていくジョーに寄せられる期待感が、たんじゅんな上昇志向への憧れのような性質に彩られていっちゃう。映画では、ジョーの周辺を取り巻くモブの生活感が一面的なので、ジョーに寄せられる期待感も一面的になってしまった。それで、ジョーの抱える渇望感の特異さ――上昇志向ではない能動的ニヒリズム――は、限りなく薄味になってしまった。
これが、今回の映画で、惜しくもわずかに、不足しているもののアタシ的整理だ。
「熱血ボクシング映画」としては、おそらく、なくても構わない。
けれど「あしたのジョーの物語」の映画版としては、決定的な不充分感を招いている。
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◎映画製作陣の総意
興味深いことに、曽利文彦監督映画『あしたのジョー』では、製作陣、この論考文で指摘したような「あしたのジョーの物語」としての不足感に、決して無自覚とは思えない。
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映画のドヤ街については、美術――つまり、セットの作りは素晴らしい。その実在感は、特筆に値する。
ところが、実在感のあるセットの内で繰り広げられる住民の芝居の方は作り物めいた一面的なものにしかなっていない。
こういう書き方は、エキストラの役者さんたちには失礼だろうけれど、編集されて公開された映画を観ると、そういわざるを得ない。----
また、ドヤ街に通じる泪橋のセットも、クオリティは高い。
パンフレットに採録されてる記事を読むと、はじめ泪橋のセットは、橋の途中まで作るだけのプランで、全体像はCGで処理する予定だったんだとか。けれど、映画全体の製作の内ではずみがついて、全部作っちゃえってなった様子。
それが悪いこととも思えない。ただ、仕上がった映画の内に、川の手前から、橋の向こうに見えるドヤ街って構図の画面があるけれど。この構図、ドヤ街の遠景全体が、蜃気楼のような印象をどうしても生んでいる。
この印象は、映画の全体的な作りの影響下で、どうしようもなく生じたものだ、と思える。
例えば、2007年にテレビ朝日で製作されたドラマ『点と線』(松本清張、原作)では、1950年代末の東京駅ホームや、東京の町並みを再現する精緻なオープンセットが組まれた上、CG合成も駆使して、当時の東京という全体像が、画面に映ってないところまで続いていくように演出されてた。
一方、映画『あしたのジョー』のドヤ街は、当時の東京とは孤絶したような感じで演出されている。この演出が遠因になって、実際はうそっぽいドヤ街の生活風景を、なんとなく映画のマジックで通用させてしまっている。おそらく、映画の製作陣の総意としては、物語の背景をなす生活空間のリアリティ(生活感)よりは、メインなキャラクターたちの織り成すお話に重点を置く、とでも言った判断が形成されていたのではないか。
『あしたのジョー』は、監督の他に、製作総指揮のクレジットも立てらている製作体制で、映画製作陣の役割分担には、推測し難いものもある。とりあえず、ここでは「製作陣の総意」を想定していきます。---
例えば、この映画では、時代設定も、劇中では意図的としか思えない方法で曖昧に描写されている。原作にあたるマンガでは、戦後日本の高度成長期真っ盛りの、底辺の生活感を背景にした物語が描かれたんだけど。
映画では、冒頭、製鉄所の溶鉱炉、鼠色のコートを着て出社していくらしい様子のサラリーマン群衆ってイメージ示唆的な画像を構成。このモンタージュ効果で「高度成長期」への連想を示唆的に描いただけで、以降、劇中の時間が西暦で何年だとか、昭和何年だとか、意図的としか思えない描き方で明示が避けられている。
その気になれば、新聞紙面のアップや、遠景のテレビニュースなどで、簡単に織り込める情報なのに、そうした手法も、テロップやナレーションでの挿入も一切なされていない。これは、「製作陣の総意」として、物語の時代背景が意図的に曖昧化された表現と言うしかない
そして、アタシは、この原作にあたるマンガに「忠実ではない」、時代背景のあいまい化は、「あしたのジョーの物語」を2011年現在に再話するにあたって、悪いアプローチではなかったと思う。
むしろ、2時間ちょいって枠の内に、長い物語の前半を収めるにあたっては、積極的なチャレンジだったと評価できる。高度成長期の底辺の生活感を、きちんと描写しようとしたら、とても2時間ちょいには収まらないだろう、と思えるからだ。
高度成長期と2011年の今の間には、オイルショックがあり、日米経済摩擦があり、バブル景気があり、バブルがはじけて、喪われた十年間がある。
「人間は餓えれば盗みだってする」って、雑草的リアリズムを「当たり前」のこととする生活感は、今の日本ではかなり縁遠いものになってしまっている。つまり、映画について、この論考で批判的に指摘してる、一面的でうそっぽいドヤ街住人の生活感(芝居)も、2時間ちょいでの再話ってアプローチの一環だったのだろう、とはアタシにも思える。
ただ、そのアプローチも、ドヤ街住民とジョーとの関わり描写の面では、裏目に出てしまった、ってのがアタシの評価だ。----
劇中のドヤ街の作り物めいた生活感に関連して、決定的に重要と思えるのは、倍賞美津子演じる、名もないドヤ街の女が登場する数の多くないシーンだ。この女住人は、キャスト・ロールなどで「花村マリ」という名が記されていて、作品外情報では「ドヤ(簡易宿泊所)の女主人」だ、とも伝えられてるけれど。劇中で、観客がそうしたことを察せられる描写はほとんどない。
むしろこのキャラクターは、「ドヤ街(スラム)の、名も無き女住人」と思って観たほうが、映画の味わいが深くなる。ことに、プロデビューした後、トレーニングで走るジョーに声援を寄せる住人たちが、即席のパレードのようにジョーに併走するってシーン。ここで、不自然極まりなく演出されたお祭的な即席パレードを、ドヤ(宿泊所)の2階から無言で見やる倍賞美津子の演技がすごくいい。
微笑みを含んで、眼下のバカ騒ぎを見やる視線が、即席パレードの不自然さも、すべてわかって、すべて許容してるって感じで、凄い存在感だ。このシーン、映画の脈絡の内での説明が困難なのね。
パレード的なシーンは、ジョーに期待を寄せるドヤ街の住人たちってプロット(筋展開)に納まってる。でも、一連の光景を見守ってる名も無き女って構図は、なくてもお話は成り立つ。にも関わらず、微笑みながらすべてを無言で見やる名も無い女って構図が重ねられることで、暗示されている、言語化しづらい何事かがある、とは感じられる。
もし、この構図が無ければ、即席パレードのシーンは、恐ろしくウソ臭い、バカ騒ぎって絵面になってしまったはずだから。それだけの存在感の重みを、倍賞美津子は無言の演技で発揮してる。アタシとしては、この「無くてもお話は成り立つはず」のカットの挿入は、ドヤ街の生活感のリアルで無さを、リアリズムではなく、ある種の寓意性で描写しようとした「製作陣の総意」かと考えたい。
同じような寓意性を伴った描写は、泪橋を背景にしたシーンや、ハイライトシーンの無人のリングでも感じられる。
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◎映画『あしたのジョー』の評価
というわけで、アタシの曽利文彦監督映画『あしたのジョー』の評価だけど。
この論考の冒頭にも書いたように、「熱血ボクシング映画」としては、充分面白い。
けれど「あしたのジョーの物語」の映画化としては、果敢なチャレンジにも関わらず、惜しくもわずかに、けれど、決定的な不充分感がある。
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映画を観ての結果論でしかないけれど、おそらく映画のシナリオ段階から生じているだろう、白木葉子(香里奈)の映画オリジナルなキャラクター描写は、2時間強って枠の内では過剰だったのではないかでしょうか。
これを「結果論でしかない」とするのは、あるいは、この過剰とも思える白木葉子へのこだわりがなければ、今回の映画化のプロジェクト自体が始動しなかったかもしれないからです。ただ、アタシが思うには、例えば、映画の冒頭を、力石の墓参りをしている初老の白木葉子ってシーンからはじめるとかのアプローチでもよかった気がします(もちろんこの役は賠償美津子さん)。
つまり、時間設定が不定に曖昧な回想として矢吹対力石の物語を描いていくとか、そうしたアプローチもあり得たのではないか、って気はするんですね。
こんなの、素人が事後的に妄想するだけの後知恵にすぎないですけど。
もし、劇中の白木葉子の回想ってフィルター越しに描かれたなら、60年代的なリアル感の乏しいドヤ街の住人って描写にも、もっと別のやりようもあったはず、とは考えられます。何にしても、白木葉子がドヤ街を再開発しようとするとかの映画オリジナルなキャラクター描写は、やはり「2時間強って枠」に対しては過剰な結果になってしまった、とは思えます。
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それでも、この映画は、「あしたのジョーの物語」を2011年って現在の観客に向けて語り直す(再話する)ってことについて、果敢にチャレンジした作品。
結果は、アタシ的にはやや否定的に「惜しくも不足」と評価せざるを得ないけれど。
その果敢なチャレンジは、賞賛に値する。繰り返すけれど、アタシがこの論考で指摘した批判点は、原作に忠実な映画化ではない的な批判「ではない」し、60年代的なリアリティが薄い点がよくないって批判「ですらない」。
そうではなくて、時代背景を不定であいまい化して描くにしても、もっと別のアプローチもあったのでは、って考察が、本稿の批評文としての趣旨。むしろ、アタシは「あしたのジョーって物語」を特定の世代による占有にも似た状況から解き放とうとする、再話のアプローチとして、製作陣の意気込みをすごく買っています。
アタシとしては、曽利文彦監督映画を楽しんだ人たちほど、原作にあたるマンガ『あしたのジョー』(脚本=高森朝雄、漫画製作=ちばてつや)を読んでほしい、と思います。あるいは、かつて読んだ人も、読み返してみるといい、と思う。
マンガ版も読んだり読み返したりしていけば、きっと、今回の映画も、もっと楽しめるはずだから。----
曽利文彦監督映画『あしたのジョー』は、「熱血ボクシング映画」としては充分面白いし。
「あしたのジョーの映画化」作品としても、観どころの多い映画です。この論考では触れなかったけれど、伊勢谷友介さん演じる力石徹や、香川照之さん演じる丹下段平がよかった。あるいは、曽利監督お得意の、ケレン味のある、VFX(Visual Effects)も堪能できます。
この辺のことは、別に書いた印象記でアタシも触れたし、ネット上で公開されてる他のかたがたのレビュー記事でも多く触れられています。
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--...
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