海SS No003 ぬくもり

海SS No003 ぬくもり

 海は、優しい。
「ふあ……」
 ぐったりと重い体。堤防にたらした両足が棒のようだ。
 初めてのトラピーズ挑戦。登山でもするようなハーネス使って船の外に身を乗り出すのは、正直いって、怖い以外のなにものでもなかった。ちょっとでも風がイタズラをすれば、僕はあっという間に水の中だ。
 それでも、何とか陸まで帰ってこれたのは、スキッパーをやってくれたホナミさんのお陰だろう。うちのハーバーでもトップクラスの実力を持つ、金色の長髪の美しい女性。彼女の操縦がなければと思うと、ぞっとしない。
 まあ、僕が今日頑張ったのは、相棒がホナミさんだったからこそ、というのもあるのだけど。でも、僕なんかがホナミさんと組んで、本当に良かったんだろうか。ああ、今更ながらミスが蘇る。トラピーズ状態から上手く船内に戻れなかったこと三回、タック時にもたついて他船に抜かれたこと沢山。僕が居なきゃ、ホナミさんはもっと、もっと上位に出られただろうに。ああ、僕はなんてことを。
「ゆーくーん!」
「のわ! ほ、ホナミさん?」
 後ろからの衝撃。僕の体を包み込むしなやかな腕。頬に当たる暖かさ。背中をぐいと押す膨らみ。
 自分が、ホナミさんに抱きつかれてると気づくのには、数秒の時間を要した。だって、だって、だって!
 ああ、くらり。
「あれ、ゆーくん、おーい」
「あ、いや、大丈夫、大丈夫です。だからその離れいや強くしなくていいので!」
 心臓が喉元辺りまでせりあがるような感覚。わけがわからない。いや、その、嬉しいけど、けれど!
 結局、ホナミさんは僕から離れてくれず、僕はそれから数分か十数分か、とにかく、ドキドキと困惑が入り混じった時を過ごして。
「よかったよ」
「え?」
「今日のセーリング。トラピーズ、めいいっぱい外に出られたじゃない」
「そ、そんなことないですよ。僕、ホナミさんの足、引っ張ってばっかで」
「私のコトはどーでもいーの。問題はキミ、ゆーくんの、勇気」
 勇気、か……。
 逃げようとしても逃げられない。僕に付けられた名前。何度、この二文字を怨んだことだろう。僕はずっと、今でも、この勇ましい単語とは真逆の生活をしている。
 その暮らしを変えようと思ったのは、あの時、ホナミさんの勇気にあふれたセイリングを見たから。だから僕は、同じセイラーに、いいや、海人(シーャ)になって、ホナミさんに。
 なんて、言えるわけがない。こうして抱きしめてもらうだけで、今はもう、十分ですから。
 うつむく僕の頭に、暖かい手。
「がんばったで賞、えらいえらい」
「そんな、小学生みたいな」
「あはは。お姉さんくらいの年になるとね、小学生も中学生も同じなの」
 ああ、完全な子供扱い。これを覆すには、まだまだ、沢山の時間がいる。
 まずは、勇気を身につけて、僕の名前を僕のものにして、それから。
「ゆーくん、顔、赤いよ?」
「い、今頃気づかないでください!」
 あはっ、と笑うホナミさんの目は、どこか確信犯のようでもあって。
 そんなホナミさんに、僕はぞっこんです。

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