ネタバレ(ネタばらし)についての覚書

 フィクション作品についての、紹介文、解説文、批評文の類で、ネタバレ(ネタばらし)の類は、必要に応じてなされるべきだ。不必要になされるべきではない。

 紹介文、解説文の類が、ネット上で公開される場合、オフラインで公開される場合よりも、ネタばらしの必要/不必要は慎重に検討された方がいい。
 理由は、ネット上に公開される文章は、「検索エンジンでサーチ」され、「検索エンジンを使ってジャンプしてくる読者がいる」からだ。

 対処としては、表題に、「ネタバレ」などを断った上で、本文中でも主旨について重ねて断る、など。

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 フィクション作品についての、紹介文、解説文、批評文の類での、ネタバレ(ネタばらし)の必要/不必要は、書かれるべき内容との関連で検討されるべきだ。ネタばらしを目的にした文章は、書かれるべきではない(不必要なネタバレはすべきではない)。同時に、ネタばらしを、考えなしに否定すべきでもない。
(ネタバレ、ネタばらしの類は、必要に応じてなされるべきだ。不必要になされるべきではない)

 つまり、紹介、解説、などの内容が、意見、主張の、検証、補強を要すなら、ネタバレも避けるべきではない。

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 「ネタバレ(ネタばらし)」とは、さしあたり、「フィクション作品における、形式面の構成解説や、上辺のお話の要約、あるいは引用」としておく。

 特に、プロット展開(筋展開)を先取りした引用や、構成や形式の説明ほど、ネタバレ度が高い。
 それ以上に、テクスト表層の展開でも、ストーリーとの落差を生じる要点に関する引用、説明ほど、ネタバレ度が高い。

 何故、ネタバレは避けられるべきなのか。
 話の都合もあって、文芸作品を例にとる。
 ネタバレが避けられるべき、根本的理由は、ある文芸的テクストを未読の読者から、「テクスト表層の結構を読み解いていく楽しみ」を奪う可能性があるから。少なくとも、「テクスト表層の結構を読み解いていく楽しみ」を減衰させ得るからだ。

 テクストならざるテキスト、つまり、本来は「多様な解釈の可能性が期待されない類の文章」に関しては、通例、ネタバレ云々の問題は、生じない。
 例えば、事実報道とか報告書の類は、フィクションを代表例とする文芸とは、文章の性質が異なるから、ネタバレ云々の問題は、生じ得ない。

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 よく言われることだけど「『猛犬注意』と記された張り紙が意味するのは、別に『獰猛な犬には注意しましょう』って内容ではない」。
 良く言われることだし、言われてることの日本語的真実性は、わかり易いはずだ。

 「『猛犬注意』という張り紙が意味する」のは、通例、例えば「ここの番犬は、気が荒いゼ」とか、「用のない奴は近寄るな」とかいった意味だ。
 「『猛犬注意』という張り紙」を上辺の意味通りに「獰猛な犬には注意しましょう」と解して、読解終了にするのは、浅い読みだし滑稽な読み方だ。

 もちろん、ここで「『猛犬注意』という張り紙が意味する」のは何か、って話をするのは、フィクション作品について「獰猛な犬には注意しましょう」にあたるものが「上辺のお話」にすぎない、ってことを示唆した喩え話だ。

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 ところで、「『猛犬注意』と記された文面」を無視して、これを「飛び出すな危険」って意味だ、と解釈するとしたら、やはりおかしい。無理がありすぎる。

 やはり比ゆとして書くのだけど、「猛犬注意」を、「ここの番犬は、気が荒いゼ」と解釈するなり、「用のない奴は近寄るな」と解釈するなり、それは受け手(読者)1人1人の自由ではある。
 自由ではあるのだけれど、それでも、解釈が表明されるなら、「猛犬注意」の文面を踏まえて、「どこをどう読み取れば、どう解釈できるか」は言語化された方がいい。

 つまり、あるフィクション作品についての解釈を、妥当性や説得力を伴って公表するなら、基本的には、ネタバレも必要なことになる。
 「上辺のお話や構成、諸々の脈絡がこれこれだから、上辺の文面の細部がこう読み取れる」。フィクションの解釈を、極端にシンプル化してしまえば、こういうことでしかないからだ。

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 けれど、アタシが思うには、誰でも、あるフィクション作品を、最初に楽しむときには、上辺のお話や展開を追ってワクワクドキドキしたいものだと思う。あるいは、脈絡を追ったり見失ったりして、惑う楽しみを味わいたいものだと思う。
 だから、「テクスト表層の結構を読み解いていく楽しみ」を減衰させてまで、ネタバレの類を書くかどうかは、何を目的とした文章を書くか、文章の狙いに応じて配慮した方がいい、と考える。

 これは、「基本的な必要性」の上で考えた方がいい、配慮のもんだい、なのだわ。

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「『猛犬注意』という張り紙」についてのメモ

 「『猛犬注意』という張り紙が意味する」のは、通例、『獰猛な犬には注意しましょう』って内容ではない」。

 これは、日本語の習慣として確かなことだ。

 ただし、「『猛犬注意』という張り紙」を、「フィクション作品」と同質とみるのは、やっぱり無理はある。
 親記事本文に書いてあることは、断ってあるように喩え話だ。

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 フィクション作品の解釈で、「『猛犬注意』という張り紙」の「獰猛な犬に注意しましょう」にあたるものを、“正しい解釈”とみなすような考えが勘違いだ、という喩え話は、割と近い。今の世間でも、意外に多い事例だし。
 一方、本文にある喩え話のそれ以外の部分は、少々苦しい。

 「『猛犬注意』という張り紙」は、実はタイプとしては、一般的なフィクション作品よりも、広告コピーのような表現形態の方に近い。
 例えば「ほしいものが、ほしいわ。」とか、「じぶん、新発見」とかいった広告コピー。これらは、1980年代に話題になった、西部セゾン・グループの広告コピーだ。
 こうしたタイプの広告コピーも、受け手に多様な解釈を許すけど。フィクション作品の解釈多様性は、通例、広告コピーのような解釈多様性とは、多様な解釈を生むメカニズムのタイプが異なる。

 フィクション作品は、通例、ある程度以上の長さ(分量)をもつ“パッケージ”として公表される。もちろん例外はあるけれど、広告コピーとの比較で言えば、フィクション作品には、通例、「ある程度以上の長さ(分量)」や「“パッケージ”」が伴う。
 「広告コピーの類」と、「ある程度以上の分量をもつ“パッケージ”をされたフィクション」とを比較するなら、それぞれの意味産出メカニズムは、一般論では、前者では「状況依存性」の比率が高く、後者は、「状況依存性」よりも「“パッケージ”内での文脈依存性」の比率が高い。

「ネタバレ(ネタばらし)についての覚書」筆者メモ

 親記事「ネタバレ(ネタばらし)についての覚書」は、はじめ、2007年4月25日に公開した。

 その後、2010年9月18日に、文面を大きく改訂。

 「言わんとすること」の方針面では変更はないのだけれど。
 大まかでも、通じ易い言い方に代える、と言う方針での改訂した。筆者(アタシ)自身の覚えの意味で、下位に、旧稿もさらしておくことにします。

「ネタバレ(ネタばらし)についての覚書」旧稿(2007年4月版)

 紹介文、解説文、批評文の類で、ネタバレ(ネタばらし)の類は、必要に応じてなされるべきだ。不必要になされるべきではない。

 紹介文、解説文などが、ネット上で公開される場合、オフラインで公開される場合よりも、ネタばらしの必要/不必要は慎重に検討された方がいい。
 理由は、ネット上に公開される文章は、「検索エンジンでサーチ」され、「検索エンジンを使ってジャンプしてくる読者がいる」からだ。

 対処としては、表題に、「ネタバレ」などを断った上で、本文中でも主旨について重ねて断る、など。

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 紹介文、解説文、批評文の類での、ネタバレ(ネタばらし)の必要/不必要は、書かれるべき内容との関連で検討されるべきだ。ネタばらしを目的にした文章は、書かれるべきではない(不必要なネタバレはすべきではない)。同時に、ネタばらしを、考えなしに否定すべきでもない。
(ネタバレ、ネタばらしの類は、必要に応じてなされるべきだ。不必要になされるべきではない)

 つまり、紹介、解説、などの内容が、意見、主張の、検証、補強を要すなら、ネタバレも避けるべきではない。

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 ネタバレ(ネタばらし)とは、さしあたり、文芸作品における、テクスト表層の結構の、引用、ないしは説明を指す。
 特に、プロット展開を先取りした、結構の引用、ないし説明ほど、ネタバレ度が高い。
 それ以上に、テクスト表層の展開でも、ストーリーとの落差を生じる要点に関する引用、説明ほど、ネタバレ度が高い。

 ネタバレが避けられるべき、根本的理由は、ある文芸的テクストを未読の読者から、「テクスト表層の結構を読み解いていく楽しみ」を奪う可能性があるから。少なくとも、「テクスト表層の結構を読み解いていく楽しみ」を減衰させ得るからだ。
 テクストならざるテキストに関しては、通例、ネタバレ云々の問題は、生じない。

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備考:
結構=ここでは、ことに、「テクスト表層の統辞的(シンタグム)な配列、及び、構成」に限定して「結構」の語を使っている。
「結構」は、「連辞系の(パラディグムな)構造を伴う、意味産出の構造」の表層であり、その、入り口にあたる。
すなわち、テクスト表層は、ストーリーと、コンテンツの表層にあたり、入り口とも言える。


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